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ずっと不思議だったこと
わたしは、ずっと不思議でした。
なぜアメとムチ系賞罰指導をする教師のもとで、子ども達の行動は揃っていて、「よい」先生、「よい」子ども達、「よい」クラスだと、「よい」評価をされる傾向にあるのに、不登校の子どもや教室に居られない子どもが現れるのか。
なぜ選択理論を大学院で教えている教授がわたしの授業をたった1度参観をしただけで興奮して「あなたたちの先生は素晴らしい」と子ども達の前で大絶賛し、校長先生にわたしの取り組みを全校で試みるように掛け合ってくれたのか。
なぜ承認を手立てとして教師と子どもの信頼関係を築く学級経営の実践を全校で試みようとしたら、アメとムチ系賞罰指導の先生から非難や拒絶にあったのか。
なぜ外国籍の子どもがいて「飛び出し君」がいて、怪獣母さんの子どもがいて、個別の支援を必要とする子どもがいて、不登校傾向の子どもがいて、中学受験をする子どもがいて、いろんな価値観がごちゃまぜにあるクラスの中で、何かが起きると集まってわちゃわちゃと話し合って課題に取り組んでいったクラスの子ども達の自己肯定感が97%となったのか。
先日、地域課題に最新テクノロジーでとり組む中高生の教育プログラムの講座の中で、インクルーシブ教育へ向かう過程(出典:フランス労働省の図)を観た瞬間、、、点と点がつながって線になり、線と線がつながって面になり、面と面が組み合わさって、立体になる、、、構造が見えてくる、、、ああ、これだったか!という感覚になりました。
排除か多様性か
わたしの観た図は、社会の構成員を表したフランス労働省の図です。もともとは、人のカタチが描かれていて、車イスや杖をついている人が、排除の図では円の外に、隔離の図では小さな円の中に、統合の図では大きな円の中の小さな円の中に、多様性の図では、円の中で共に生きている図が描かれていました。
わたしが着目したのは、排除と多様性の図です。
2つの図を見比べた瞬間に、
先生の「やらせたいこと」を外的コントロールで子ども達に強いる教室には「排除」があり、
子ども達の「やりたいこと」、子ども達の内発的動機付け(内的コントロール)を先生が大切にする教室には「多様性」があったと気づいたのです。
外的コントロールとは何か
外的コントロールや内的コントロールについては、選択理論に基づいて考えます。選択理論は、「自分の行動は自分の選択である」ということを確認し、それが人生に大きな変化をもたらす理論です。
人間関係を壊す7つの習慣(行動)と人間関係を築く7つの習慣(行動)があり、どちらの行動を選択するかで、子ども同士の関わりや教師と子どもの関わりが変化していきます。
人間関係を壊す7つの習慣(行動)をとる人を観察していると特徴があって、外的コントロールで相手を自分の思い通りにしようとイライラしたり怒ったりしています。
外的コントロールは教師と生徒間でも、親子間でも行われています。
具体的に、「批判する、ガミガミ言う、罰 する、脅す、責める、文句を言う、ほうびで釣る」などです。関わり方の具体的な例としては
・批判する:「そんなんじゃだめ」「だから言ったでしょ!」「あなたは間違っている」
・責める:「あなたのせいだ」「どうして(なんで)〇〇しなかったの?」
・文句を言う:「うるさい」「きたない」
・ガミガミ言う:同じ事を繰り返し言う。嫌みを言う。
・罰する:「廊下に立っていなさい」「罰として、〇〇しなさい」
・ほうびで釣る:「〇〇できたら、××あげる」
わたしはこれらの行動をとる先生をアメとムチ系賞罰指導をする先生とみなしていました。アドラー心理学では、アメとムチ系賞罰指導をする大人のもとでは、顔色をうかがう子どもか反発する子どもが育つとさていました。わたしは、この指摘はごもっともだと、自分の教員人生を振り返ってそう思います。加えるなら、反発しても力で押さえられた子どもは、諦めや無気力な姿へと変化していきます。
子ども達に嫌な感情を与えて、教師の「やらせたいこと」を子どもに強いることが行われます。
異質な考え方を取り入れる
崩壊したクラスを引き継いだ頃のことです。子ども達に向かって「ダメでしょ!」「しっかりしなさい!」「だらだらしない!」
長年、子ども達に関わってきた先生達から、「面倒くさいし」「どうせ無理だし」「できないし」を口々に言う子ども達へ檄(げき)が飛んでいました。そして、繰り返される子ども達の問題行動の負のループ、、、、、
根本的な原因は何なのか。
課題の本質は何なのか。
解決への糸口となる手立てを試みるには何を根拠としたらいいのだろうか。
わたしは、子ども達にどう関わっていいのか分からず困り果てました。周りの先生達に相談しても、頭の中はいつも不明確でもやがかかり、心の中は不安でモヤモヤがいっぱいになり、わたしは混乱しました。そして、自分に何ができるのだろうかとすごく考えました。
今、振り返ってみると、混乱したのは当然のことだったと思います。なぜなら、それまでの環境下で起きた学級崩壊について、その環境を創り出した人達に相談しても得られるのは原因の情報で、解決策ではないからです。
だからこそ、わたしは先生達に学校という環境から外にでて、別の視点をもつ方々と出会った方がいい、学校外で学んだ方がいい、そして世界は広く多様な価値観があると知った方がいいとお伝えしたいです。
本気で取り組み解決したいと考えたら、「異質」な考え方をその環境の外から取り入れて試みることでしか、解決ができないことがあるからです。
わたしの場合は、
書籍では
・汐見稔幸先生の子育ての本
・スタンフォード大、ハーバード大、ペンシルバニア大などの心理学者の方々の本
・「夜と霧」や「ブレイキングナイト」などの実話
視点を得た方としては主に
・子ども達
・心理学やコーチングの先生(後に、あるプロジェクトで最高評価Sを獲得された方や後にベストセラー作家となりNHKに出演された方から学びました)
・会社経営者社長 (数人で起業し、ある分野で日本一の会社にした方)
などでした。
その中から、目の前の子ども達との関係性に変化をもたらす手立てとして、選択理論を選んだのです。
内的コントロールとは何か
選択理論を考えたグラッサー博士は40年以上にわたる精神科医としての経験を通して、患者は全て同じ問題を抱えていることに気づきました。「仲良くしたいと思っている人と、仲良くできない」という問題です。そして、社会に出る前に「大切な人たちと仲良くしながら、自分の願いも大切にする方法」を学べば、現在、社会で起きている様々な問題を予防することができるのではないかと考えに、「面倒くさいし」「どうせ無理だし」「できないし」を口々に言う子ども達を目の前にして、「仲良くしたいと思ってもできないんだよ!」と訴えた子どもの声を聞いて、「何とかしたい!」「わたしに何ができるだろう」「そもそも仲良くって何なのか」と日々考えていたわたしは、「これだ!」と思ったのです。
選択理論では、1つの体の欲求(生存の欲求)と4つの心の欲求(愛・所属、力、自由、楽しみ)、あわせて5つの基本的欲求を満たすために「内側から動機付けられて行動する」と考えます。欲求のほとんどは、身近な人達との良好な人間関係の中で満たされます。そして、どのような方法で、基本的欲求を満たそうとするかは、ひとそれぞれ違いがあります。子どもは自己評価によって、自身が改善すべき点に気づき、自身で改善方法を決め、実行していきます。教師は、子どもの行為に対して批判するのではなくフィードバックをする立場にあるため、フィードバックをする技術を磨きます。
そして、子どもの主体性や内発的動機付け(内的コントロール)を大切にした関わり方とは、人間関係を築く7つの習慣(行動)として、「傾聴する、受容する、励ます、交渉する、支援する、尊敬する、信頼する」と示しています。
子どもの存在を尊重し、「やりたい」を大切にするクラスです。
・傾聴する:耳を傾けて聞くこと。
・支援する:ささえ助けること。
・励ます:ふるいたたせる。気持ちをそそる。
・尊敬する:他人の人格・行為などを尊び敬うこと。
・信頼する:信じて頼ること。
・受容する:受け入れて取り込むこと。
・(違いを)交渉する:相手と取り決めるために話し合うこと。
「過去」に固執せず、「未来」に夢や希望を描きながら、「現在」の生活に焦点をあて、わたしも子ども達も今できることは何かと問いながら、選択します。
試みてみる
汐見先生の育児本を参考に、「ダメ」という言葉を子どもたちには言わないと決め、子ども達の話しに耳を傾けると、わたしは、子ども達の中に、諦め・無気力・自己否定があることを感じとっていきました。そこから怒濤の試行錯誤を繰り返していきました。その過程(プロセス)を、課題解決型の思考を活かして捉えてみると、以下の通りとなります。
①問題認識
「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」の子ども達に出会いました。
かれらの存在や行為を「ダメだ!」と否定するのではなく、現状をありのまま見つめることを試みました。
※時間は限られています。子ども達の行動に対して否定や非難に時間を費やすよりも、現状を把握しその背景には何があるのかを洞察することに時間を使います。
②現状分析・課題の明確化
それまでの大人との関係性の中で子ども達の中に無力感・諦め・自己否定が培われたことを掴みました。
わたしと子ども達の関係性の中で、子ども達の無力感・諦め・自己否定を変えていくことが課題となりました。
※子ども達と周りの大人達との関係性を変えることに時間を費やすよりも、子ども達とわたしの関係性の中で変化をもたらすことに時間を使います。
③ゴール設定
Mちゃんとのことがきっかけで「温かな家族のようなクラスにする」という想いがわいてきました。
④実行計画の策定・実行・検証の試行錯誤
目の前の子ども達の現状と「温かな家族のようなクラス」のギャップを、一つ一つ自分のできることからうめていき環境を整えることを試みていきました。
何かがクラスで起きる度に(それはしょっちゅうでしたが)、子ども達と頭を寄せ集めて、課題をどう乗りこえていこうかと「わちゃわちゃ会議」も始めました。わたしは子ども達から手立てのヒントをたくさんもらい、子ども達は自分の行動を自分で決めて実行することで、自分を信じる力がすこしずつ身についていきました。
「面倒くさいし」「やりたくないし」「できないし」と口々に言って、友だちの失敗を嘲ったりバカにしたりしていた子ども達が、友だちを励まし勇気づけるようになり、3学期には子ども達だけで算数の授業が展開していくクラスになりました。すると算数の文章問題の平均点は69点から92点に向上しました。算数の思考力が向上したのは、周りの大人達から指示や命令ばかりされて、ダメだダメだと否定されることにうんざりしていた子ども達が、わちゃわちゃと試行錯誤を繰り返す経験を通して、自分を信じる力や自ら考える力も身についたからだと考えています。
異質であることの孤独
わたしは、大学時代にブラジルに留学し、世界中の移民が集まっている多様な文化の国で約1年を過ごしました。大学を卒業後、教職にすぐ就く人達が多い中、ポルトガル語通訳として外国人労働者の生活・労働・法律相談に携わりました。「雇用の調整弁」として社会的に弱い立場で働く外国人労働者達の声を聞いて職業相談をし、法律を根拠に労働問題を解決に導くのが主な仕事でした。
教員に転職した頃は、「ああ、日本の社会は、真面目で日々努力を怠らない先生のような人達によって支えられているんだ、、、」と感じました。その後、対応が難しい事例の多い学区に転勤した頃には、「子ども達の支援体制は充実していて、先生間のサポート体制も整えられている!すごくやりやすい!」と感じました。教育熱心で子ども達一人ひとりに向き合うことに時間を費やすことを厭わない先生達と共に仕事をするのはやりがいがありました。
しかし、翌年「自己肯定感を高める実践研究」を引き継ぎ、子ども達が再生していった実践を全校に共有化する時に壁にぶつかりました。子ども達と信頼関係を築く手立てとして、「承認」の考え方を学校全体に導入しようとしたら、アメとムチ系賞罰指導をよしとする先生達からの批判を受けたのです。承認には、結果承認・行動承認・存在承認と3つあって、存在そのものを認めるという存在承認がアメとムチ系賞罰指導をする先生達に受け入れられない考え方だったのです。
試みた実践を説明しても「分からない」と言われ、研修会を開催すると研修会のやり方がいけないと言われ、職員室で孤立感を味わうこともありました。
学校現場での排除やいじめ
それまでのやり方を変えること、習慣を変えることには不快感が伴います。存在承認の考え方は、アメとムチ系賞罰指導の先生のそれまでの子ども達への関わり方を「本当にそれでいいの?」と問う考え方だったと思います。だからこそその考え方を受け入れるのに拒否感がわき、わたしへの攻撃になったのだと推察しています。話し合いで解決するのではなく、非難や攻撃、悪口で反応するのがアメとムチ系賞罰指導をする先生の特徴です。この頃、アメとムチ系賞罰指導の先生がわたしにしたことは、「いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか(内藤朝雄著)」によれば、「わたしは排除にあっている」「いじめられている」に当てはまるレベルだったなと思います。
目の前の子ども達に適した対応をしたい、目の前の子ども達の現状を変えたい、、、
そんな想いをもって何かを試みようとしたときに、わたしが受けたような体験をして心折れて諦めてしまう若い先生達もいるのではないでしょうか。実際に、何人かの若い先生が子どもへの思いやりや教師として「やりたいこと」をアメとムチ系賞罰指導の先生によって曲げられる場面はありました。アメとムチ系賞罰指導のやり方を強いられて、子ども達への関わり方を変えていったのです。実際、職員室で苦しい胸の内をわたしに打ち明けながら涙される先生もいました。この時の経験と考察が、後の「アメとムチは、愛のムチか無知のムチか~子ども達の姿が真実~」というブログになりました。
アドラーの「課題の分離」と対話
相手を責めたり批判したり悪口を言ったりして、ケンカばかりだった子ども達に、アドラーの「課題の分離」を教え、選択理論の「(違いを)交渉する」を試みました。すると子ども達はケンカをしてもその後、気持ちが落ちついたら本音を伝え合い、話し合いができるようになっていきました。話し合いのゴールは謝ることではなく、お互いにここまではよくて、ここから先は嫌だというラインを示し、次はお互いにどうするかを考えて伝え合い、実際にその行動がとれた・もしくはとろうとしたら解決したとみなしました。
当時、わたしは国語の物語文の授業では対話を重視していました。内的対話、ペア対話、全体対話を実践しており、話を聞く力・内省する力・相手を深く理解する力を子ども達はすこしずつ身につけていきました。教師が授業中に子ども達に向かって話すだけの知識習得を重視した画一的な教育の場では身につかない力です。対話を通して、互いの感じ方や捉え方の違いに気づき、違いを認め、受け入れ、そして、混じり合って融合して新たな価値観を生みだしていきます。不快なことが起きても人を罰することをしない代わりに、相手を理解しようとして子ども達らしい優しさや創造的なアイディアで解決策を生みだしていきます。
日本語が全く分からない外国籍の子どもが転校してきた時に、その子が母語で話をすると、「あ、今ね、〇〇がほしいって言っているよ」となぜか日本語で通訳のできる子ども、学習発表会では日本語が分からない外国籍の子どもが主役の劇の台本をつくる子ども、授業中考えても納得する説明を導き出せない子ども達に教えようとすると「先生は教えてはダメ!ぼくたちは自分達で考えたいんだ!」と言う子ども達が現れました。
教師の「やらせたいこと」か、子どもの「やりたいこと」か
アメとムチ系賞罰指導をする先生の教室では、学校に来なくなる子ども、教室に居られなくなる子どもが現れていました。
それは教師の「やらせたいこと」を指示や命令で行動する子どもが「よい」と評価され、行動できない(しない)子どもは「悪い」「出来ない」と評価されるからだとわたしは考えています。ある部分がダメだからダメな子とか、ある部分がその環境に適合していないから悪い子と、狭い尺度で判断・評価されると存在を否定される子ども達がでてきます。これが排除です。口では「みんなと仲良くしなさい」と言っても、その教師が狭い尺度で「いい」「悪い」を判断して子ども達に関わり罰を与えたら、子ども達は教師のその姿をまねをしていきます。教師の在り方から、子ども達は学ぶのです。
ここに「いじめの構造」や、日本の子ども達の自己肯定感の低さの原因があるとわたしは推察しています。
一方、良好な人間関係を築く関わり方をすこしずつ身につけ、ケンカの時には自分と相手の課題を分けて考えられるようになった子ども達は、違いがあるということを認め理解して、一人ひとりがここに居てもいいと感じられるクラスを創っていったのではないでしょうか。ここに居てもいいと感じられる教室の中で、子ども達は自分の「やりたいこと」に挑戦し、大いに間違え、試行錯誤を繰り返し、泣いたり笑ったり嘆いたり怒ったりしながら成長していきました。子ども達の命はキラキラと輝いていました。
クオリティ・スクールの理念
選択理論は、「自分の行動は自分の選択である」ということを確認し、それが人生に大きな変化をもたらします。アメリカでは、グラッサー博士の「クオリティ・スクール」の理念を取り入れたミシガン州ワイオミング市の公立小学校ハンティントンウッズ・スクールが全米一の優秀校と紹介されたそうです。その公立小学校の校長は次のような教育理念を打ち立てていました。
1. 人には基本的欲求がある。学校は子ども、保護者、教師にとっての欲求充足の場である。
2.競争ではなく協力することで、最高の学習ができる。
3. 強制のあるボスマネジメントではなく、リードマネジメントの環境で子どもは成功する。
4.脅したり、罰したりしないで、問題は話し合って解決する。
5. 上質は自己評価を通して達成される。
グラッサー博士は、「社会へ出る前に、良好な人間関係を築く方法を学ぶことができれば、現在、世の中で殆どの問題(情緒的問題、依存症、暴力、虐待、犯罪など)を予防できる」と考えていました。
そして、「落伍者なき学校=クオリティ・スクール」が設立されたのです。
出典:選択理論を学校に クオリティ・スクールの実現に向けて 柿谷正期・井上千代著
この理念には、「人間らしい」普遍性があるとわたしは考えます。
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解説編
1.基本的欲求については、上質世界(イメージ写真)とともに学ぶことをお勧めします。
2.共同学習によって生徒同士が共に学習する姿勢を示しています。
3.リードマネージメントについて
強制のない選択理論に基づいたマネジメントの仕方をリードマネジメントといいます。ボスマネジメントは、外的コントロールを使ったマネジメントで、強制がその大きな特徴の一つです。クローフォード(Crawford,1993)は、次のように述べています。
・ボスマネジャーは生徒を動機付けることに心を配り、リードマネジャーは動機付けの障害を取り除く。
・ボスマネジャーは誰が悪かったのかを探し、リードマネジャーは何が悪かったかを探す。
・ボスマネージャーは欠陥の責任を取らせ、リードマネジャーは欠陥を防ぐ方法を調べる。
・ボスマネジャーは生産性に全員の注目を向けさせ、リードマネージャーは「上質」に全員の注目を向けさせる。
・ボスマネジャーは個人の達成を強調し、それに報奨を与え、リードマネージャーはグループの達成を強調し、その達成を認める。
・ボスマネジャーは「勉強しなさい」と指示を与え、リードマネジャーは「勉強をしやすくなる」方法を確立する。
リードマネージメントは「尊敬のマネジメント」とし、「子どもを尊敬していたら、教師は決して使わない言葉、決してしないことがある」と述べている方もいます。(井上,2011)
4.罰しないについて
問題行動に対してどう対処するか子どもに問うと、「罰を与える」と応える子ども達は多いです。しかし大声で叱ったり、脅したりして、その場を静かにさせることには即効性があったとしても、子ども達自らの判断で良かれと思ってした行為ではないので、持続性は望めません。「自分がしたいからする」という内発的動機付けからの考えと異なり、「先生や親に言われたからする」「やらないと怒られるかもしれないからやる」という外発的動機付けからの考えは、思考力や判断力を鈍らせる結果となります。また、教師や親と子どもの大事にしている上質世界が同じとは限らないので、子どもの欲求は満たされないまま抑圧された状態が続きいつか爆発するか、「自分は大切な存在ではないのかもしれない」と自己肯定感も下がることになります。
外的コントロールで教育することは、子ども達が自ら考えて道を切り拓く力や、クリエイティブな発想、主体性も損なわれることになるでしょう。
5. 自己評価がクオリティ(上質)を達成する鍵であり、「より良いものを生み出すためには、上から命令されてできるものや、評価を厳しくして達成されるのではなく、本人の自己評価によってのみ可能である」とグラッサー博士は述べています。
出典 教師と子どもの信頼関係に関する研究 森藤由喜子先生
最適解を選択し、未来を創る
「地蔵君」もいる、「飛び出し君」もいる、外国籍の子どももいる。彩りいっぱいの子ども達がいる教室で、子ども達を何とか理解しよう、子ども達が叶えたいことを何とか現実化しようとして、泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながら、わたしは懸命に一つひとつ課題に取り組みました。正解はありません。その時、その時、最適だと判断したことを試みました。
すると人を罰することをしない代わりに、相手を理解しようとして、本音をぶつけ合って、泣いたり、笑ったり、怒ったり、嘆いたりしながら、子ども達らしい優しさや創造的なアイディアで解決策を生みだしていく、子ども達の世界が現れました。
子ども達の創りだした世界は、「みんなに居場所のある世界」でした。
わたしは、子ども達との日々を過ごして、
「思いやりと優しさは生まれながらみんなもっている」
「子ども達一人ひとりに必ず一つは『天才のたね』がある」
と確信したのです。
わたしの言うことは聞かない
わたしの思い通りにはならない
わたしの予想を遙かに超えていく
創造性に満ちた子ども達と
とびっきりの幸せを味わった日々でした。
このブログを読んだ全ての方々に、
とびっきりの幸せのたねが届きますように。
総集編
ブログを書くきっかけとなった男の子との再会
「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いのきっかけとなった女の子のお話
崩壊したクラスから再生した子ども達とのお話し
絶対に謝らない子どもが変わった~「地蔵君」の喜びの花が咲く日まで~
危うさを抱える「頑張り屋のいい子」~Sbタイプの子どもたち~
子ども達の自己肯定感を育む最初の一歩~温かな家族のようなクラス~
学級崩壊したクラスとカリスマからの逆転の発想~まんぼう作戦~
「『飛び出し君』にも居場所を創りたい!」の頃の子ども達とのお話し
大失態を演じて気づいたこと~ヘナチョコなわたしもあっていい~
「飛び出し君」と子ども達のきらめくいのち~まあるくなあれ、環になあれ~
「不登校傾向」の子ども達の言葉にならない想いと、本当の言葉をなげかけられる時
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