ペンギンのお庭

友だちの死

大学生の頃、ブラジル留学から帰国したわたしは

「格差社会や貧困の原因は教育 

ブラジルの子ども達の識字率を上げたい」と考え、

大学院の進学を目指していた。

自宅で試験勉強をしていると

バイクに乗って中学生の頃の同級生が

突然、家にふらりと現れるようになった。

試験日が近づいたある日のこと

友だちがいつもの様に突然現れてたわいもない話しをした帰り際

わたしは、試験に集中したいので

今度来るのは、試験後にしてと伝えた。

友だちはうなずいて、

「ガソリン代の500円を貸して」と言った。

500円を渡すと「ありがと今度、返す」

そう言って、バイクに乗って帰って行った。

大学院の試験が終わり

そろそろ、現れるかな、、と思っていたころ

共通の友だちから連絡があった。

彼が亡くなったという電話だった。

お葬式に行くと、大きな自宅の一室に通され、

友だちの母親が背中を丸めて泣いていた。

そこで初めて、友だちが自ら命を絶ったことを知った。

横っ面をぶん殴られるような衝撃で、

わたしは言葉を失った。

友だちの母親にかける言葉も見つからなかった。

もしあのときに、いつものように「またね!」と言って別れたら

何かが変わっていたのだろうか、、

わたしは何ができたのだろうか、、

そんな事を繰り返し考えていると、

大学院に進んで、ブラジルの子ども達の識字率を上げるという道が

虚しく感じるようになった。

指導教官に院に進むのは辞めることを伝え、

それはそれは激怒された。

しかし、わたしはどうしても

友だちの事を言葉にして伝える事ができなかった。

わたしは、入国管理法の改正でぞくぞくと

来日する外国人労働者の通訳を始めた。

労災や解雇などが起きた

際雇用者側と労働者側の間に入って通訳する事は

法的にも感情的にも簡単ではなかった。

そんな時、背中を丸めて泣いていた

友だちの母親の姿が脳裏をふとよぎり

わたしの支えになることがあった。

以前、娘を亡くされた方が

どうして娘は亡くなったのか、、

なぜなのか、、と繰り返し話しをされた事があった。

わたしは、その方に友だちの事を初めて話した。

どうしてなのか

どうしてなのか

繰り返し、繰り返し考えて

どんなに理由を探しても

本当のところは分からない。

分かっていることは、

友だちの死は、わたしの人生を大きく変えたこと。

それからその人のことを心から大切に思っている人が

嘆き悲しむということ。

振り返ってみると、

友だちの死に衝撃を受けてから

言葉にして発するまでに実に

30年近い月日が経っていた。

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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