天才のたね

小さな国語教室~子ども達の語ったこととソクラテス~

「今日は、この本でやりたい!」

「今日は、この本でやりたい!」

国語教室に入ってくるなり、男の子が差し出した本はこちら。

「ぼくを探しに」

あなたと、あなたのいちばん大切な人に贈る

永遠のベストセラ-!

ちょっと心が折れたとき

新たな一歩を踏み出すとき

大切な人を想うとき

何かを変えたいと思ったとき

そして何も変わらないとき

この本はいつもあなたのとなりにいます。

1977年に第1刷が発行されて、ずっと読み続けられている本です。

初めて手に取り読んだ時に、「ハテナ???」でいっぱいになった本でした。

「何かが足りない」とかけらを探しに行った「ぼく」は、ぴったりのかけらをやっと見つけ、かけらと一緒にまるくなって速くころがると、それまで出来たことが出来なくなりました。そして、「なるほど つまりそうゆうわけだったのか」と、かけらをそっとおろし、一人でゆっくりころがっていくと、ちょうが「ぼく」にとまり、飛んでいき、このお話しは終わります。

ある男の子が着目したのは、、

1人目の男の子が着目したのは、足りないかけらを探しに行く最初の場面です。

「あれ、口の角度が変わっていくよ、口のところ。」

「最初は狭かった口の角度がどんどんと広くなっていく。」

「カケラを探していて楽しくないときは、口の角度が広くなるんだ。」

彼は、与えたプリントにたくさんの「ぼく」を描き始め、「ぼく」が集まって一人の「ぼく」が大きく口を開けた絵を描きました。

彼が一人の「ぼく」が大きく口を開けた絵を描いていると最初に気づいたのは、教室に一緒にいた女の子でした。

その女の子が着目したのは、、、

その女の子が着目したのは、ちょうが「ぼく」にとまる場面です。

彼女は想像したことを語り始めました。

「ちょうはね、どうして止まってまた飛んでいってしまったかというと、ちょう以外にも楽しいことがあると教えに来てくれたの。」

「楽しいことはすぐにどこかにいっちゃうかもしれないけれど、また楽しいことを見つけたらいい。」

「『なるほど、つまりそうゆうことか(とぼくが言った)』のはね、(何かが足りないと)求めていかなくてもよかった!ということのなの。」

「何かを求めると自由がなくなってしまう。だから、求めなくても自由で楽しんだらいい!そしたら、こうやってちょうにとまってもらったり、お花のかおりをかいだりすることもできるのよ。」

そして彼女は

「ぼくは、かけらを見つければ、足りないことがなくなると思ったけれど、(それは)ちがって、自然の中から楽しいことが見つかるから面白い本だなと思う。自然が楽しいところだと教えてくれ本でした。」

と、書いていました。

ずっと考えているけど分からないんだ。

「今日は、この本でやりたい!」と本を差し出した男の子は、

「母さんに『なるほどつまりそうゆうことか』とあるのは、どうゆうことなのかと聞かれて、それから、ぼくはずっと考えているけど分からないんだ。」

と、語り始めました。

彼も、ちょうが「ぼく」にとまる場面に着目し、女の子が語るのをじっと聞いていました。

自分の中で納得する答え、自分の中の真実を探していました。

「絵が雑い(ざつい)のに、何だか伝わるんだ。ちょうとかすごく上手に書けている。本当は書けるから、これ(雑な絵)はわざとなんだよ。」

「ほら、この(ちょうがぼくにとまった時の)目を見てよ。すごく穏やかな目をしている。(最初の場面の絵と見比べて)かけらを探しているときは、楽しいって言っているのに穏やかな目をしていないんだ。」

「結論がよく分からないんだよ。ちょうが止まって穏やかな目になって、その後どうなったのか、また次の旅に行ったのかが、全然分からないんだよ。」

「(最初の場面でぼくは)旅に出る!って、決心して、すごく頑張ってるんだよ。ほら、いろんなかけらで試すんだよ。ここ見て!ケガまでして、血もでてるよね。頑張っているんだよ。」

「でね、ここも分からないんだ。やっとぴったりのかけらを見つけたのに、かけらがないときに出来ていたことが出来なくなるんだ。みみずとお話ししたり、ちょうが止まったり、花の香りをかぐこともできなくなるんだ。かけらが入ることで、できなくなった。楽しいことができなくなったんだ。」

「普通に考えると、楽しいことができなくなったんだけど、逆に考えたらどうなるんだろう。

「何かが足りないっていうのはかけらじゃなくて、冒険を求めていたのかな。足りないのはかけらって、自分で決めつけていたのかな。」

「他のかけらもほしがったから、楽しいこともあったってことなのかな。」

「『なるほどつまりそうゆうことか』っていったいどうゆうことなんだ、、、」

沈黙が続きました。そして

「そうか!」

「この本の題名は、『ぼくを探しに』だ!『かけらを探しに』じゃない。かけらを探しているんじゃないだ!」

「『ぼくを探しに』ということは、自分を探しているってことなんだ!」

「つまり、かけらも自分の一部なんだよ!」

「かけらが入ったことでできなくなったっていうことは、スペースがないと楽しくないってことなんだ。」

「つまり、楽しむにはスペースがいるってことなんだ。」

「『ぼくを探しに』は、かけらも自分、自分自体がかけらってことなんだ。

「そして楽しむにはスペースがいる、スペースがあるから楽しめるってことを伝えているんだ。」

彼は、深く深く息を吐くと、

「すごいね、幼稚園児も読めるような本にこんなにも難しいことが詰まっている。」

彼は、本のあとがきを読み、

「この(あとがきを書いた)人すごいな。この作者が伝えたいことを理解している。作者じゃないのにな。」

と、つぶやきました。

最後に

ここに書けたのは、ほんの一部分、、、

録音しておかなかったことが悔やまれるほどでした。

子ども達の豊かな感性に触れるとき、

子ども達の想像力が広がるとき、

そして、子ども達が自分の中に真実を見つけて語るとき、

子ども達の命がきらきらと輝いて、

わたしはいつもそのきらめきに魅了され、

子ども達が心でみている世界をわたしも一緒にみたくなります。

2019年名古屋で夏休みに開催した読書感想文講座が、秋からは月に1回開催となり、今年からは月に2回の開催となりました。

回を重ねるごとに、子ども達は選んだ絵本を読みながら自由につぶやき、わたしは子ども達のつぶやきを聴いて、フィードバックや質問をして掘り下げ、対話を通して言葉を引き出し紡いでいくスタイルになりました。

ご感想をいただきました。

4月から職場復帰され中学校の国語教諭として教壇に立たれる方に、アシスタントをしていただきました。その方からご感想をいただきました。

1冊の絵本で1時間。
感性が想像が出てくる出てくる出てくる出てくる。小学生でこんな言葉をもうすでに持っていたんだ。みんな言葉から絵から発見したことを本当に楽しそうに話して、止まらない。
「私(ぼく)の感じたこと想像したことこそ素晴らしい!」って自信をもってて、それを聞いてほしくて仕方ない感じ。

最後に男の子が
「(あとがきを読んで)これ書いた人すごいな。ちゃんと理解してる。作者じゃないのにな」と呟いたのを聞いて、あやおさんが「あなたの天才のタネ見つけたよ。自分が理解してないってこと認めてるところだよ。理解できなくて、考えて考えて考えたからこそ、この人のすごさが分かるんだよ。自分が理解できていないことを認められるあなたはすごいよ!」と伝え、ソクラテスの”無知の知”の話をしました。男の子は”無知の知”という言葉もソクラテスも知らなかったけど、嬉しそうにそれをメモしていました。

その光景を見ていて、素直に
あぁ、素敵だな。
自分の感性や想像を話すと、全力で受け止めて、認めて、価値付けてもらえて、安心安全の場所で語れるって、こんな楽しい授業はないな。
熱いものが何度も込み上げてきた時間になりました。

豊かな言葉を育むとか、語彙力を付ける高める、生きた国語の能力、生きる力につながる国語、
色んな教育の殺し文句はあるけれど、 豊かな子どもの想像力、感性を、引き出す。この感覚。

味わい深い豊かな時間をありがとうございました。

                             吉野幸さん

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・

雨の中、小さなお子様を連れてのお越しでした。国語教室のアシスタントをしてくださる間、彼女のお子さんの世話をしてくださる方が現れ、彼女は集中して子ども達のつぶやきや表情に意識を向けることができました。ありがとうございます。

彼女は、子ども達が次々と語ることを聴いていたときに

「天才だ、、、この子達は天才、、」と、つぶやいていました。

わたしは、大学を卒業した後に外国人労働者のポルトガル語の通訳をしていたので、周りよりも10年以上遅れて教員になりました。授業力の差を埋めるには何をしたらいいかと考えていた頃に

「そうだ!素晴らしい人の授業を観にいこう!」と思いつき

夏休みに筑波大付属小の研究授業を参観しに行きました。

豊かな感性に触れたときの鳥肌が立つほどの感動。

自分の中の真実を見つけて語るときの真剣な眼差し。

二瓶弘行先生と子ども達の対話の授業に感銘を受け、対話を授業に取り入れ実践するようになりました。

すると、子ども達の語ることに魅了されていき、やめられなくなりました。

小学校の先生はやめた後も子ども達との対話は続いているのは、真実に触れる喜びが深いからだと思います。

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ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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