先日、誕生日を迎えたわたしは、以前担任をした子どものお母さんにふと再会したくなり、ご夫婦で営む焼き鳥屋を訪れることにしました。10人も座れば満席のお店を、わたしが担任をしていた頃も、その前も、そして今もご夫婦で営んでいます。
わたしは彼女の娘が小学校3年生の時に担任していました。自己肯定感が育まれていない子ども達の存在が学校全体の課題であり、従来とは異なる考え方を現場に導入しようとしていた時期でした。職員室で発言力のある先生達からは「先生は甘すぎる」と非難を浴び、わたしとしては教室で日々起きている事と職員室で起きている事の解離に混乱しながらも、子ども達とわちゃわちゃしながら「温かな家族のようなクラス」「飛び出し君にも居場所のあるクラス」に向けて「今、何ができるだろうか?」を問いに試行錯誤をしながら一つひとつ取り組み、後に選択理論を専門とする大学院の教授から「奇跡のクラス」と評されたクラスに在籍した子どもの一人が彼女の娘です。
わたしが担任していた当時、1つの相談事が彼女からありました。1歳年上の兄と共に、兄弟がお店の外で遊んでいたり、お店の隅で寝ていたりしてお店を営む両親の仕事が終わるのを待っていることをどう思うかと問われたのです。夕方から夜の11時過ぎまで営業しお酒も提供するお店に子どもがいるのはいけないよとお客さんに言われ、だからといって子ども2人が家にいるのも、、どうしたらいいかと悩んでの相談でした。わたしは返答に窮し、しばらく考える時間が欲しいと伝えました。
学校で経験豊かな年配の先生に相談してみると、「飲み屋さんに子どもが夜遅くまでいて生活が不規則になったり、大人が飲む姿をみたりするのは、教育上よくない」という意見でした。なるほど、そういった考え方もあるんだな、、と思いつつも、わたしはその考えが腑に落ちず、何だろう、、、どう考えたらいいんだろう、、、と考えていたら頭がパンパンになってしまいました。そこで、「もしわたしが彼女の立場だったら、どんな人生だろう」と、想像してみることにしました。
フィリピンから来日し言葉や文化の違う日本で、日々働きながら子育てをしている彼女の姿に、ブラジルに留学をして言葉が通じず困った自分の経験を重ねてみたり、職業安定所で通訳をしている時に出会った外国人労働者の方々から相談されたことを思い出しながら想像していくと、わたしは彼女のような日々を送れるだけの強さが果たしてあるかなと思い至りました。
わたしは彼女に逢いに行き、2つのことを伝えたと記憶しています。
一つ目は、確かに夜に子どもがお店にいるとよくないという意見もあったものの、わたしは自分の国や家族から離れて、遠い外国(日本)で、毎日懸命に働きながら子育てをしている母親の姿に子ども達が日々接することで、困難なことがあってもやり抜く子に育っている、それは何よりも子どもにとって代えがたい教育だと考えたこと。
2つ目は、母語を日本語としない母親の元で育った子どもは語彙が少ないことから漢字学習や国語、社会などでつまずくことが予想される。その際に、テストは間違えていい、100点を目指さなくていい。その代わり時間とエネルギーを得意なスポーツに投じた方がいい、全部を頑張らなくていいと彼女から娘に話してほしい。あなたの娘なら、将来必要な時に必要な学力は身につけると思う。
そう伝えた瞬間、彼女の相手の心の奥まで捉える、真っ直ぐな目を今でもわたしは覚えています。
それから約3年後、スポーツが得意だった彼女の娘は、小学6年生で日本選抜チームの選手に選ばれ、オーストラリアで開催された世界大会では優勝投手として「JAPAN」のユニフォームを着て胴上げをされました。
そして、わたしがお店に訪れた日は、彼女の息子(担任した女の子の1歳年上の兄)が、サッカーの才能を監督に認められ、県外の高校に進学することになり、引っ越しをする前日でした。あの頃のように店の隅にいたのに、すっかりと背も高くなり見違えるような青年になった姿に、わたしは最初誰なのか気づきませんでした。
丁度わたしの手元には、一つのメモがありました。それは、先日お会いした元日本代表選手で今は沖縄SVの代表兼監督の高原さんが今の在り方に至った考え方や日々の実践についての極意を、NPO法人テラ・ルネッサンスの創立者鬼丸さんのファシリテーションで引き出され語った際に、わたしの琴線に触れた言葉を書き取ったメモでした。そのメモを、未来への門出に贈りました。「生きた」言葉を読み全身で吸収しようとする真剣な眼差は、あの時、わたしの目を真っ直ぐに捉えた彼女の目とそっくりでした。
帰り際に、「なぜ、2人ともこんなにもスポーツで認められるまでに育ったのでしょうか」と尋ねてみました。すると、「なんででしょうかね、、、店の外でずっと遊んでいたからでしょうか」とわたしに目を向けてそう言った時の父親の手元は休まずに働いていました。
「息子さん、すっかり大きくなりましたね」と、彼女に話しかけると、彼女は翌日には旅立つ息子の横に並んで立ち、「わたしからしたら、まだまだチビ」と言って、彼女の背丈を追い抜いた息子を見上げながら笑いました。
その笑顔はまるで雪深い大地に根を張り、雪が解けた陽だまりの中から、顔を覗かせた小さな野の花のようでした。
写真は、東北に住む友人が撮った福寿草
花言葉は、幸せを招く