ペンギン先生の実践

学級崩壊したクラスを再生する~愛おしいを育む居場所~

小学校の先生をしている頃に出会ったた子ども達

子ども達と一緒にお腹を抱えて笑い転げた出来事

この世の最後かと思うくらい嘆き悲しんだ出来事

穴があったら隠れて一生出てきたくないぐらいの恥ずかしい出来事

子ども達とのわちゃわちゃな日々の中で起きる出来事の中で私は、

嬉しくて泣く

悲しくて泣く

悔しくって泣く

メゲて泣く

本当によく泣きました。

「先生はよく泣く人だ」と子ども達から言われていた私は、

子ども達が泣いた時も、よくもらい泣きしていました。

そして、子ども達の涙は私にいつも、

大切なことを思い出させてくれたり、

大切なことを教えてくれたりしました。

(参照 ナミダの居場所)

子どもが涙を流すと、私の胸の奥の奥がきゅーっとして、

その時1番大切なことをは何かを決めて、実現に向けて進んでいく時の

困難を乗りこえる際の自分の心の拠り所となることもありました。

先生になったばかりの頃、

担任をしていたクラスの女の子が、私の前で泣きながら訴えたことがありました。

「家に帰っても1人でご飯を食べている。

朝ご飯の時、お母さんが疲れて朝起きないから、1人でパン焼いて食べている。

夜ご飯も1人で食べている。1人が寂しくて、お父さんに泣いて電話したことがある。」

という内容でした。その女の子は私に、

「今度の個人懇談で、先生からお母さんに言ってほしい。

一緒にご飯を食べてほしいと言ってほしい。」

と願っていました。

個人懇談の当日、エトロのスカートを美しく着こなしたお母さんにお会いし、

おずおずと女の子の気持ちをお話しすると、

案の定、「家庭内のことですから」と反発され、

結果、女の子が1人でご飯を食べる日々は変わりませんでした。

1人でご飯を食べることを、「孤食」といいます。

泣いて訴えた女の子のどこか心がポキンと折れてしまいそうなか弱い印象がずっと残り、

もっと違う言い方や伝え方ができたのではないかと、自分の力不足を悔やみました。

一人でご飯を食べることって、子どもの心にどんな影響があるんだろうと思いました。

その後、学級崩壊を3年生で体験したクラスを4年生で担任することになりました。

「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」

という子ども達を前にして、それまでの方法とは違う方法を編み出す必要に迫られました。

子ども達の無気力な様子。視線が合わないひやりとしたクラスの雰囲気…

いったいこれらは何なのか。どうしたらいいのか。

よい手立ての試行錯誤と子ども心を探求する怒濤の日々がスタートしました。

新学級が始まって2日目の初めての給食の時間

男子の姿が見られないので、廊下に出てみると、廊下で男子が野球をしていました。

給食のおかわりを巡っても、激しい言い合い・小競り合いが繰り広げられました。

言い争って、声高に強く主張した方の意見が通って、

おかわりを勝ち取っていくという喧嘩上等な世界が繰り広げられていました。

中には、朝ご飯を食べてこない子ども達もいて、

その子ども達が主張するときの激しさは「生存をかけた闘いか」と感じる程でした。

日々繰り返される給食戦争!

(なんじゃこの喧嘩や争いは!どうしたものか、トホホのホ…)

下を向いていても、気持ちはメゲるばかりです。

なにしろ、もともとは泣き虫のヘナチョコなんですから…

(そもそも給食は楽しく、美味しく、

感謝していただきたいのです)

深呼吸をしてお空を見上げたその時です。ひらめきました!

(子ども達とルールを創ろう!

大人の作ったルールを子ども達が嫌だと言って守らないなら、

目の前の子ども達の納得するルールを、子ども達と一緒に創るんだ!)

通常、新しいクラスが始まると、「黄金の3日間」といって、

その間に、先生の方針やルールを制定する期間があります。

でも!2日目に廊下で男子野球ですから!

後で聞いたら、「3年生ではずっとそうだったよ!」っておい!

ここは、逆転の発想です。

先ず、全体での話し合いが成立しないという実態から、

給食ルールを制定したい子ども5人を募集し、

その子ども達と基本となるルール案を考えました。

最も白熱したのが、「おかわりの方法」についてでした。

その時の子ども達との会話から、

私は「もしかして、この子達はすごく想像性が豊かな子ども達かもしれない」

と、子ども達の「天才のたね」を感じて楽しくなり始めました。

同時に、子ども達は互いの家庭の事情も含めて、

非常によく知っていることにも気づきました。

ただお互いによく知っているけど、

「うざい」「バカ」「どうせ出来ない」「むり~」などの言葉が飛び交い、

友達の挑戦をあざ笑ったり、バカにしたりするなど、冷たい関わり方であることに気づきました。

「ずっと一緒にいるのに、ひんやり冷たい関係性なのはどうしてなんだろう」と思いました。

給食のルール案を全体で説明し、1週間のお試し期間を経て、

再度全体で話し合い、給食ルールはクラスの「憲法」になりました。

再度の話し合いの時にミカンの分け方で、

「食べたい子がいたら、分けて食べたい。

分けて一緒に食べた方が美味しいから。」

という意見が出て、その意見が子ども達の共感をよび、

ミカンがでると、一房ずつ分けて食べるようになりました。

給食のおかわりを巡って言い合いや争いをしていた時間が、

ミカンの一房まで分かち合う時間になりました。

みかんの皮をむいて1つずつ房を分けて、

一緒に美味しそうに食べる子ども達の姿…何とも微笑ましくてとても嬉しかったです。

給食の時間を中心に、すこしずつ「ありがとう」と笑顔が広がっていきました。

新しい「憲法」がクラスで上手く行き渡るまで、

小さな手立て5つくらい試みましたが、

子ども達にとってもこの「憲法」のもと給食を食べる時間が心地よかったようで、

この「憲法」を子ども達は卒業するまでずっと守ったそうです。

給食の「おかわり」を巡ってのケンカはなくなり、

給食を食べている15分ほどが1日の中で落ち着いた時間となりました。

次は、給食の準備の時間に着手です。

準備の時間に座って静かに待つことが出来ない子どもが多く、

その子ども達を注意するとその声で準備の時間が騒がしくなり、

またまた準備が遅れるという課題がありました。

私と子ども達との関係性が築けていない中で出来ない事を注意することばかりだと、

クラスの雰囲気がどんどん悪くなるという悪循環…どうしたのもかと悩みました。

学校では、目立つ「よい行動」をする子どもが褒められ、

目立つ「悪い行動」をする子どもが注意される(叱られる)という場面がよく見られます。

しかし、「褒める」という方法も「叱る」という方法も、

「目立つ悪い行動」をとる子どもの数が多すぎて崩壊したクラスには通用しませんから!

そもそも給食の時間は、協力し合って準備して、命を有り難くいただきたいものです。

(がちゃがちゃしている子ども達に静けさや落ち着きの時間がほしいなぁ。

どうしたらいいのかな、トホホのホ~)

と、お空を見上げた時です。ひらめきました!

目立つ「よい行動」や目立つ「悪い行動」に注目しても効果ないなら

目立たない「よい行動」に注目したらいいかも!と、ひらめいたのです。

ひらめいたら、即行動。GO!GO!GO!

この時の作戦名は「マンボウ作戦」です。

なんせ、子どもたちのガチャガチャや喧嘩の中にいると、

私までイライラして、キーっと怒りたくなります。

だけど、怒ってもムダですから!

海の中をゆったりと泳ぐマンボウになったつもりで、気持ちをゆったりとさせ、

クラスの中にいる僅かな、本当に僅かな静かに座っている子どもの名前カードを、

私は、「よい行動中♡」と書いた黒板に貼っていきました。

そして、その名前カードを貼るときに、

にっこりと笑顔をその子ども達に向けました。

すると、えっ何?魔法!?と思うぐらい、

少しずつ静かに座って待つことができる子ども達が増えていきました。

こうやって、全体の7割ぐらいの子ども達が静かに待てるようになると、

ここから、静かに待てない子ども達への個別のお話しに着手です。

ここでも、身に付いていないのですから叱るのではなく、

子どもとの対話の中で小さな1歩、1つの行動を決め、

その行動をとれたとき、とろうとしたた時に

「やったね」「やろうとしたね」と認める方法をとりました。

給食の時間に静かに座っていられない子ども達に出会ったことで、

給食の時間に静かに座っているということも子ども達の努力の上に出来ていること

「当たり前だ」と大人が決めつけて考える様な行動1つも、

子ども達にとっては毎日の小さな1つ1つの積み重ねの中で出来ていることなんだ

という視点を以前よりも強く意識するようになりました。

そして、目の前にいる子ども達がそれぞれ1人1人が成長への階段を一段ずつ、

その子のペースで上がっているんだという見方を主にした手立てを選択するようになりました。

4月の下旬に家庭訪問がありました。

さまざまな生活環境を背景とする保護者達との出会いです。

その出会いの中で、

「ずっと一緒にいるのに、冷たい関係性なのはどうしてなんだろう」という私の疑問に対する

ヒントと気づきをもたらしてくれたのは次の保護者の方々の言葉や態度でした。

「初めまして」の出会いの時に、

最初から腕を組んでけんか腰に私を睨みながら話す親…(後から仲良くなりました)

「お前、ばっかやろう、先生が来たって言っとるだろう」

と子どもを怒鳴り頭を叩く親…(後から優しくなりました)

「全く子どもの世話をする時間はありませんから」

と生活することで精一杯の疲れた様子の親…

そして、その時心に残ったのは、うなだれて話を聞いている子どもの姿でした。

胸の奥がきゅーっとしました。

この胸の奥のきゅーっとする感じは何だろう。

きゅーっとする感じに向き合って、気づいたのです。

(あぁ、保護者の方々は、随分学校や先生が嫌いなんだな。多分それまでにいろんな嫌な思いをしてきたんだな。

だから、学校や先生は「怖かったり」「不安だったり」する存在なんだな)

という気づき。そして、

(初めて会った時の子ども達の姿は、身近な大人に「いいね」と認められることよりも

「ダメだ」と否定されることが多くて、傷ついて無気力になった姿だったんだな…)

という気づきでした。

そこから、私は「1つの想い」が沸きおこってきました。それは、

「ダメという言葉を使わずに、よい言葉で子ども達に関わりたい」という想いでした。

学校では、「~してはダメ」という言葉はよく使われます。私も使っていました。

だけど、子ども達のうなだれた姿を見た時に、これは本当の子ども達の姿じゃないと感じました。

本来の子どもらしい姿に戻って、その子らしさを発揮してほしいと願いました。

職員室では親が悪いとか、家庭では先生が悪いとか、

互いの責任にしていても何にも変わりませんから!

先ず、自分の言葉から変えようと決意しました。

その時に出会ったのが、「子どもが育つ お母さんの言葉がけ」という育児書でした。

今は、「この『言葉がけ』が子どもを伸ばす!」になっています。

「どうして出来ないの!」という新しい事を学んでいる子どもを責める言葉

「〇〇ちゃんが1番ね」という誰かと比較する言葉

「いいから黙って聞きなさい」という大人から子どもへの一方的な言葉

「失敗するのに決まっているじゃない」という決めつけの言葉

「イライラするな」と言わなくても子どもが感じて伝わる言葉

「時間の無駄ね」という子どもの試行錯誤や可能性を奪う言葉

ついつい大人が子どもに言ってしまう言葉が書かれてありました。

この本を読んだときに、私は本当に自分が恥ずかしくなりました。

自分自身の言葉を1つ1つ変えていく地道な取り組みが始まりました。

コツコツコツコツとやっていきました。

「ダメ」を「いいかも」「いい感じ」へ

「どうして出来ないの!」を「どうしたいの」へ

「いいから黙って聞きなさい」を「気持ちを聞かせて」へ

「イライラ」は言わなくても子どもは感じるから、

深呼吸を意識して穏やかな心へ日々修行

すると、子ども達との関係性が変わっていきました。

「ダメ」という指示・命令の言葉から

「どちらがいいの?」「どうしてほしいの?」と子どもに聞くと

最初子ども達はとまどって、自分でどちらがいいのか、

何をしてほしいのか分からない子もいました。

それでも、コツコツと聞いていくと子ども達自身も分かるようになり、

子ども達一人ひとりの個性が表れ始めました。

子ども達同士の関係も変化していきました。

その頃、子ども達に人気があったのは「いいとこメガネ」というゲームでした。

「いいとこメガネ」は、友達のよさ・やってもらって嬉しかったこと・大好きという気持ちを

見つけて伝えることのできる魔法のメガネです。

子ども達は、このゲームを喜んで始めました。

すると、もともと互いのことをよく知っている子ども達同士。

私以上に友達のよさに気づいて、伝えてくれるようになりました。

その頃、「承認」という言葉に出会いました。

その「承認」については、「結果承認・行動承認・存在承認」の3つに分ける考え方が分かりやすかったです。

コーチングでは、「havinng、 doing、 being」と言われることもあります。

結果承認は、テストで100点取った、競争で1番だったなど、

褒めるにあたいする結果があって成立します。

実は、私はこの結果承認の教育的効果にずっと疑問をもっていました。

その頃に、行動承認・存在承認という言葉に出会いました。

落ちたプリントを拾ってくれたとき、静かに座っていた時、

友達を手助けした時などの行動を見つけて、

「ありがとう」や「嬉しいな」と気持ちを伝える方が、

子どもがぱっと笑顔になり、子どもと一緒に嬉しい気持ちになれました。

それから、相手の目をみる、話を聞いてうなずく、笑いかけるなど、

相手の存在そのものを認めて行う「存在承認」は、地味だけどパワフルでした。

これを私は「静かな承認」と呼んでいました。

給食戦争の時代に、名前カードを貼って笑顔を向けるというのは、

「存在承認」だったのか!という気づきもありました。

目には見えない大切な心、子どもの心のねっこである

基本的自尊感情を育むには、存在承認です。

不登校傾向の子ども、無気力な子ども、競争の中で頑張りすぎる子どもと関わる大人、

子どもに関わることをしている方々は知っておくと役に立つと思います。

基本的自尊感情については、最後の方に書きます。

私が1つ1つ言葉を変えて、前よりももっと子ども達の話に耳を澄ますようになると、

子ども達の中に急に泣き出す子が出てきました。

何人もの子ども達が堰を切ったように泣き出すのです。

それまで誰にも言えずに抱えていた思いを子ども達は泣きながら話してくれました。

孤独や不安を抱えていた子ども達が泣いて話をしてくれたお話しは、

ずっと心の大切な場所にそっと保管しています。

卒業式の前日に公園で会った時に、

話してくれたことを大人達に伝えてもいいか聞きました。

すると、

「いいよ、先生」

「だって、誰かの役に立つことでしょ」

「自分たちの自信にもなるよ」

と、言ってくれました。

話をしてくれた子どもの中にAさんがいます。

(参照 小さな声を聴く~学校が楽しいと言った女の子の本音~)

「学校が楽しい」と言って泣いたAさんは、お家が安心できないから「学校が楽しい」子どもでした。

Aさんの小さな声を聴いた私は、胸の奥がきゅーっとして、やっぱりもらい泣きしました。

一緒に泣いて、その後で私の胸の奥の奥から、

「温かい家族のようなクラスを創りたい」

「みんなに居場所のあるクラスを創りたい」

という想いがあふれ出てきました。

この想いが、その後のアメとムチ系賞罰指導を得意とする

パワフル先生達によって起こされる困難を乗りこえる心の支えになりました。

「温かい家族のようなクラスを創りたい」という想いは溢れてきましたが、

さて、いったい何をしたら「温かな家族のようなクラス」になるのか全然分かりませんでした。

温かな家族…温かな家族…温かな家族っていったい何だろう…とぶつぶつぶつぶつ唱えていました。

その時、出会った本が「幸福優位7つの法則」です。

タル・ベンシャハー博士のもとで

ハーバード大ポジティブ心理学講座を担当したシェーン・エイカーの書いた本です。

そこに、経営が上手くいっている会社のデーターが載っていました。

「ポジティブな相互作用とネガティブな相互作用の比率が、最低でも2,903対1でなければならないといことを突き止めた。つまり1つのネガティブな意見や経験や表現の悪影響を打ち消すのに、3倍の量のポジティブな意見や経験や表現が必要だ」と書かれていました。この転換点をロサダラインと呼び、このラインを下回ればチームの仕事ぶりは一気に落ち込み、このラインを上回る比率であればチームは能力を最大限に発揮する。調査結果によれば、ポジティブ対ネガティブが、6対1ぐらいが理想だ」とも書かれていました。

相互作用というのは、言葉だけでなく、

表情・行動などの関わり方全てのことです。

それを読んだ時に、

6対1の割合になれば、担任が変わった翌年も、

よさや才能が子ども達の中で育っていくかも!とひらめきました。

そして、ネガティブな相互作用を1つ打ち消すには、

ポジティブな相互作用3がいるとも書かれてありました。

つまり、「ダメ!」という言葉の作用を打ち消すには、3つの「いいね」がいるということです。

「にらみつける」という行為を打ち消すには、3回「笑顔を向ける」ということです。

そして、その割合が6:1になったら理想的だということは、

単純な私は、「これを言葉がけで考えたら、18:1の割合なんだね」と考えました。

つまり、「1つの否定的な言葉を使ったら、18の肯定的な言葉を使うことなのね」

と、理解したのです。

能力が最大に発揮されるチームって、

クラスの中で「天才のたね」が育っちゃうってことでしょ!

子ども達のよさや才能、天才のたねがぐんぐん育つクラスは、

何だか温かいクラスになるような気がする。

根拠はありませんでしたが、「いい感じ」がしたので、ひらめいたら、即行動です。GO!GO!GO!

授業中、姿勢がいいね

えんぴつときんときんだね

今日も笑顔が素敵

ノートが開いているね

丁寧にかけているね

会えてうれしいな

教室を周りながら、一人一人笑顔を向けてささやいていく方法を始めました。

そうはいっても、沢山やることがあるのが先生のお仕事…

三日坊主にならないように、先ず「必ず肯定的な言葉を使う時間はここ!」を決めました。

国語の授業は毎日あります。そして国語の授業の開始に、新出漢字の書き取りを5分します。

この時間を、列を決めて○をつけながら、

肯定的な言葉をかけて歩くということを毎日始めました。

「ダメ・ダメ・ダメ」と言われ続けていた子ども達にとって嬉しかったのか、

静かに書き取りが出来るようになっていきました。

その子どもがやる気が無くてできなかったのか

本当に出来なくて困っていたのかも分かるようになってきました。

そして少しずつ子どもの心が落ち着いてくると、

子ども達は字を丁寧に書くようになっていきました。

4月当初、漢字の書き取りの宿題に、1回で合格した子は4名だけでした。

それが、この方法を始めたら、再提出の子どもの数が逆転しました。

そんなことをしていくうちに、当たり前のことですが、

子ども達の中に認めてほしいポイント・タイミングがそれぞれ違うことに気づきました。

それぞれに効果的に対応するにはどうしたらいいのかを考え始めました。

その時は、コーチングの理論の中に4つのタイプ

(コントローラー・アナライザー・サポーター・プロモーター)をもとに、

子どもの行動から4つのタイプに分けて声かけをしてみることもしてみました。

この時の気づきは、対極にあるタイプ同士が1番よい学ぶ相手であること

クラス全体の中で、エネルギーが極端に突出している子どもがいると、

その対極にあるタイプの子どももシーソーのように突出して、

全体でバランスをとろうとするエネルギー力学みたいなものが働くということでした。

子どもの個性はそれぞれなので、一概に「このタイプ」と決めつけることはできません。

ただ、このタイプ別の考え方は、後の自尊感情尺度の考え方に出会った時と、

教員人生最大・最強の「飛び出し君」が転校してきた時の班づくりに役立ちました。

このように、言葉かけを変え、ポジティブ心理学のロサダラインを活用し、

タイプ別承認を試み、いろいろとやってみて「承認」に関して1番有効だったのは、

8人のお子さんを産んで立派に育ててみえるお母さんに教えてもらった方法です。

それは、子どもが「見て見て聞いて」と言った時に「見て聞く」という方法です。

これも早速実践しました。

子どもが「先生~」と呼ぶ時に、たとえノートの〇つけをしていても、

赤ペンを置いて笑顔を向けて見る。これ、結構大変でした。全ての作業が中断されますから。

でもやってみて、コーチング理論も、ロサダラインも、承認も全てすっとばして、

子どもの「見て見て聞いて」に関心を向けることが1番大切で、結果早道だと知りました。

つまり、子育て中のお母さんの方法がシンプルで効果があったということです笑

いろんな試行錯誤を経て、子ども達は変化していきました。

肯定的な言葉や温かな関わり方が増えると、子ども達の中から、

「分からないから教えてほしい」

「~が苦手だから手伝ってほしい」

という言葉が素直に出てくるようになりました。

「苦手なこと」「分からないこと」「困っていること」を誰かに伝えて手助けしてもらうことは、

手助けする子どもの優しさを広げ居場所を与える大切な役割を担っています。

そして、子ども達は出来なかった友だちができるようになると、

まるで自分が出来た時のように喜ぶのです。

そんな子ども達の姿を見た時に、子ども達は本来、

競争ではなく共創の世界にいるんだなと思いました。

「苦手なの」「分からない」「困っている」を隠さずに素直に伝え合えるようになると、

優しさと喜びと居場所が幾重にも重なるようになっていきました。

「ダメ」と言う言葉を使わないことからスタートしたこの実践…

4月の時の「出来ないし~」「無理だし~」で何もやらずに最初から諦める姿から、

やってみる、するとやりたいけど「出来ない」から相談しに来るという姿に変化してました。

そして、その時の「出来なくて困っている」と相談しに来ることは、

子どもが安心しているから言える言葉だと知りました。

友達が困っているのを察して手助けする姿も増えてきました。

子ども達の中で、一人ひとりの「天才のたね」が育っていきました。

3学期になると、「先生役」「黒板役」「(発言したい子を)当てる役」の3人で算数の授業を行い、

私が笑いながら見ていたり、算数の苦手な子のところで個別で教えたりすることがありました。

1学期の算数の「思考」の得点率69%のクラスが、3学期末92%のクラスになっていました。

このように、崩壊から再生する子ども達との日々を通して、私はある方法を見つけました。

学校は集団生活の中で学ぶ場なので、集団として守るべき「ルールや秩序」、

学年として達成すべき学力の基準があります。

ただ、そのルールや秩序、学力の基準を優先すると、

「できていない」「やれていない」部分がフォーカスされ、

その部分を指摘・指導することで、子どもとの関係性が悪くなります。

関係性が悪くなると、子どもが教師や自分自身に対して否定的な感情をもち、

「問題」行動をとる、負のスパイラルになることです。

一方で、子ども達とよい関係性を築くと、

子ども達が安心し、子ども達が選択して、

大人が想像した以上の結果となる、正のスパイラルになるということです。

大人が決めたルールや秩序・基準が先ではなく、

子ども達に安心感を与える関係性を先に築くという方法です。

翌年度私は、前任者の自己肯定感を高める研究を引き継ぐことになりました。

そこで、「温かな関係性を最初にもってくる」考え方を、学校全体に共有化することにしました。

「温かな人間関係」の手立てとして「承認」などの肯定的な言葉かけの導入をしようとした時、

びっくりするような困難に直面しました。

アメとムチ系賞罰指導を得意とするパワフルな先生達による反対にあったのです。

「承認」などの肯定的な言葉がけが、「子どもに媚びている」「虫酸が走る」と言われるなど、

導入は暗礁に乗り上げました。

アメとムチ系賞罰指導を得意とする先生は、自分のいい・悪いのモノサシで判断をし、

褒めたり、否定や排除・無視をするからこそのアメとムチ…攻撃力に長けています。

一方こちらは争いが苦手なヘナチョコ泣き虫…ずい分怖くてイタタな思いをしました…

この時ばかりは、お空を見上げても何にもひらめきません…チーン

しかし、救いの手が学校の外から現れました!

私のクラスにフィールドワークにきていた先生の指導教官である大学院の心理学教授が

授業を参観した後、子ども達に大興奮して「君たちの先生は大変素晴らしい」と言い、

「非常によい取り組みだ」と大絶賛して校長先生にかけ合ってくれたのです。

これで、導入できることになりました。

「権威ってすごい!」という大人の事情を目の当たりにしました。

ただ、苦労は終わりません………

校長先生を含め先生方に、「承認」「ポジティブ心理学」「ロサダライン」などと、

私にとっては具体的で分かりやすい話をしているつもりでも、

全く、まーーーーーーーーーーったく伝わらなかったのです。

その時はすごく悩みましたが、今、振り返れば当たり前です。

そうです。崩壊したクラスを再生したい一心で、

試行錯誤と探求の日々を過ごした私は、

気づいてみれば、すっかり心理学オタク…

大学院の心理学教授と話はピッタンコ合いましたが、

現場の先生方との共通言語が見つからない状態でした。チーン。

追い打ちをかけるように、その頃に読んだ、「『学力』の経済学」という本の中で、

「アメリカの自尊感情の研究から学力が高いという『原因』が

自尊心が高いという『結果』をもたらしている」とか、

「子どもをほめるときにはもともとの能力ではなく、

具体的に達成した内容を挙げることが重要」とか書かれてあり、

「へっ?存在承認の方が子ども達は活き活きしたのに、

達成した内容をほめるということは結果承認が自尊感情を高めることなの?」

「へっ?学力の高さが自尊心の高さなの?」と読んでいて、

子ども達の実態と合わない内容に頭が混乱するばかりでした。

有名大学の教授が書いたというだけで、

実際に体験した子ども達の変容や目の前の子どもの実態とは全く異なる内容を

危うく信じかけたその時です。一冊の本と出会いました。

それが、近藤卓先生の「子どもの自尊感情をどう育てるか」←教育関係者必読の書!!!

そこには、アメリカで貧しく社会的弱者の立場にある家庭に生まれ、学力も低く自信が持てず、

社会に出ても意欲をもって生きていくことができない子ども達の存在が問題になり、

自尊感情を高めるための教育運動が展開され

結果:学力が上がらず、自分勝手で自己中心的な子どもが増えた

結論:自尊感情を高めることは、むしろ弊害が多いということになった。

しかし、このアメリカの例には、ある大切な視点が欠けているとして、

近藤先生の自尊感情を社会的自尊感情と基本的自尊感情の2つに分けて考える理論が

展開されいました。

近藤先生は、自尊感情を社会的自尊感情と基本的自尊感情に分けて説明していました。

社会的自尊感情は、「認められたり、ほめられたり、優れていると実感できたり、

価値があると思えたりすれば高まるが、失敗したり、叱られたりするととたんにしぼむ

状況や状態に支配される不安定な感情」です。

アメリカの失敗は、他者との比較で自分の優れている点が焦点化され、

そのことを過度に意識化させることになってしまったこと。

日本では、社会的自尊感情を育むことに熱心で、子ども達は頑張り努力し成功し続け、息つく暇がない、

と指摘されていました。

一方、基本的自尊感情とは「あるがままの自分を受け入れる、かけがえのない存在として認める

よいところも悪いところも、長所も欠点も併せ持った自分を、大切な存在として尊重する感情」です。

現代の日本では、家族崩壊の危機や地域社会の関係も希薄化し、ここに今生きていること、

存在していることに不安と孤独を感じ、自信がもてない状態にいると、

近藤先生によって説明されていました。

これらの説明が、実際に体験した子ども達の変容や目の前の子ども達の実態にピタッと一致して附におちました。

そして、SOBA-SETという簡易な心理学テストが数値で表される分かりやすさがありました。

私は、こちらの自尊感情尺度を導入し、子ども達の変化の様子をじっと見ました。

sbタイプ(社会的自尊感情・基本的自尊感情共に育っていない)の子どもは、

明らかに無気力だったり元気がなかったりして、大人から見て把握しやすく、

学校でも先生から「大丈夫かな」と気づかれ、声がかかりやすい子ども達です。

感情と体験の共有をする場面を意図的に設定することで、変化していきました。

一方Sbタイプ(社会的自尊感情が高く基本的自尊感情が育っていない)子どもは、

一見良い子で把握しずらいです。進学校にこのタイプが多いというデーターもあります。

私が今まで出会ったSbタイプの子ども達は

・頑張り屋の良い子で褒められたがる

・「失敗」に対して心がポキンと折れやすい

・イライラを隠していて攻撃性がある

・「苦手」「助けて」となかなか言えない

といった傾向がありました。

もちろん、1人ひとり違う個性だから決めつけてはいけませんが、

一緒にいると何だか「苦しそうだな」「イライラしているな」と感じる子ども達です。

この子ども達には、「失敗しても大丈夫だよ」などと、気持ちを緩めるような関わり方が大切です。

頑張り過ぎるぐらいに頑張っていて、心で悲鳴を上げている子ども達です。

sbタイプの子どももSbタイプの子どもも、

基本的自尊感情が育つことでより幸せに生きやすくなります。

私が勤務していた学校は当時、自己肯定感の低い子ども達が多く、

自己肯定感をどうしたら高めることができるかに取り組みんでいました。

将来になりたいものがない、やる気がない子ども達を前にして先生達も胸を痛めていたからです。

平成26年度の「全国学力・学習状況調査」における将来への希望と自己肯定感についての調査では、

自己肯定感が高い児童の中で、将来への希望が「ある」と答えた児童は83.1%、

自己肯定感の低い児童の中で、将来への希望が「ある」と答えた児童は43.5%でした。

この調査からも、自己肯定感の高低が自らの将来イメージを左右していることが見てとれました。

本来、学校は、子どもにとって日々未知なることを学び、未体験のことに挑戦する場です。

つまり、社会的自尊感情を集団生活の中で育む場とも言えます。

しかし、様々な家庭環境を背景として不安と孤独な状況におかれている

子ども達が一定数いる学校において、それらの子ども達の存在を認め、

不安感でいっぱいの子ども達にいきなり挑戦を強いる前に安心感を高めることが大切だと私は考えました。

子ども達は安心したら自ら挑戦しますから。

家庭や地域が担ってきた役割を、学校も担うんだ!

つまり、基本的自尊感情を育む場を学校の現場にも意図的に設定する!という発想です。

「温かな家族のようなクラスにしたい」という私の想いを、子ども達が支え応援してくれました。

その結果、全国平均75%よりも低かった自己肯定感が、学校全体で86%、クラスでは97%に向上しました。

だけど、本当に大切なのは数字ではありません。子ども達の変化です。

誰かが何かをしようとして出来なくて困っている時、その子をひとりぼっちにすることがなくなりました。

子ども達同士で、支え合い補い合う温かな関係性が築かれていました。

この年を最後に退職した私に、離任式の日、

Mさんが泣きじゃくった顔でお手紙をくれました。

学級崩壊から再生する日々を共に過ごした彼女は、

出会った頃は「無理だし~」「出来ないし~」を率先して言っていた女の子でした。

そこには、

「先生は、学校に夢と希望をくれた先生です。

1人1人の良いところ見つけ、良いところを伸ばしてくれました。

私たちと1人1人ていねいに接してくれました。1人の人間として尊敬します」

と、心がいっぱいこもったお手紙でした。

このお手紙は、私の教員人生の勲章です。

最後に

「星の王子様」の中に「本当に大切なことは目には見えない」という文があります。

本当に大切なことは、人それぞれ違うと思いますが、

私にとって子ども達の心のことは、「目には見えないけど、本当に大切なこと」です。

私の横で泣いた子ども達の小さな声を聴いているうちに、そうなりました。

胸の奥がきゅーっと痛くなることもありました。でも同時に、

子ども達の心は私にたくさんの喜びをもたらしてくれました。

たまに思い出すと、微笑んでしまう小さな小さな一コマ…

おかわりを巡って言い合いや争っていた子ども達が、

みかん1個を一房ずつ分け合って、一緒に美味しいと言って食べた小さな小さなあの瞬間…

喧嘩ばかりしてバラバラだった子ども達の心に、

目には見えないきれいな糸で繋がりが生まれた瞬間でした。

だから、私はこう思います。

「おいしい」と言って一緒に食べること

それは、「愛おしい」を育む心の居場所だと。

困難に直面した時にも生きていく…

子どもの生きる力を支える大切な心の居場所です。

子どもの心のねっこが育つ温かな場がもっともっと広がりますように。

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ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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