ペンギン先生の実践

子ども達の自己肯定感を育む最初の一歩~温かな家族のようなクラス~

今回は、小学校の先生をしていた頃に、

学校を休みがちだった子どもの

「小さな声」に耳を傾けて聴き、

教育実践に活かしたわたしの経験からのお話しです。

月曜日の朝の全校朝礼…

遅刻をする子ども達がちらほらと現れると、

「なぜ遅れたのですか。ダメです!いけません!」

と、皆の前で立たせて怒鳴り、

それから列の一番後ろへ並びなさいと子どもにあごで促す(うながす)

アメとムチ系賞罰指導をするパワフル先生がいました。

(※以下 アメとムチ先生と省略します)

「わ~来たね~!」と言って遅刻をした子どもを抱きしめ、

列の後ろへと手を繋いで一緒に歩く若い先生もいました。

それを、苦々しい顔で見ていたアメとムチ先生からの

若い先生へのご指導とご鞭撻(べんたつ)があり、

次週の全校朝礼で遅刻してくる子どもがいると、

若い先生も「ダメです!いけません!」と指導し

そして列へ促すアメとムチの連鎖が起きていました。

私は学校で繰り広げられる人間模様を眺めながら、

アメとムチ先生から若い先生へと

アメとムチの連鎖が起きていることに異和感を感じていました。

「遅刻をする子どもを皆の前で怒鳴って列に促すことが

果たして、子どもにとって適したことなのだろうか。」

「子どもに人前で恥をかかせることで

大人の言うことをせるということを

大人が子どもにやっていいことなのだろうか」

そして、

「集団の中で遅刻をしてくる子どもがいたら、

どう受け入れるのがいいのかな。」

と、あれやこれやと考えていた時期がありました。

アメとムチ先生の言い分は、

遅刻することは学校の秩序を乱しているので、

指導をしてから子ども達の列に入れるべきだというものでした。

一見正論に聞こえるこの先生の言い分に、

実はわたしは疑問を感じていました。

子どもが遅刻をしてきたことに対して

睨んで(にらんで)、「ダメです」「いけません!」

と、他の子ども達がみている前で怒ることで

次から子どもが時間を守るようになり、

学校の秩序が保たれると考える理由が

よく分からなかったからです。

しかも「遅刻はいけません」と怒る

アメとムチ先生からは、

「時間は守るべきもの」という正論の裏に、

「この子は嫌いだ」という嫌悪感や

自分の思う通りにならないことへのイライラを

言葉や態度の端々に感じてもいました。

一方で、遅刻をしてきた子どもをみなの前で

「わ~来たね」と抱きしめて迎え入れることも、

適した態度なのかどうなのか考えていました。

集団の中で遅刻をした子どもを抱きしめると

子ども達にしたら「遅刻したら抱きしめてもらえる」

と、態度で教えることになり、場合によっては

遅刻を促すことになりかねるからです。

学級崩壊したクラスを受け継ぎ、

再生に力を尽くした翌年は、

様々な特性をもつ子ども達がたくさん在籍する

教員人生で得た手立てと工夫を総決算!!の

「多様性いっぱい!」のクラス担任になりました。

30人ぐらいのクラスでしたが、

実際には3クラス分位の対応を必要とする子ども達でした。

その中に、「怪獣母さん」の息子もいました。

※怪獣母さん

(参照 モンスターママとの日々~火を噴く「怪獣母さん」と魔法~

「怪獣母さん」の息子は、

不登校傾向の子どもで弟と2人よく遅刻してきました。

弟は、アメとムチ先生が担任で、

遅刻をすると皆の前で

「ダメです!いけません!」

と怒鳴られてから列に並びます。

大きな体の大人が

1年生の小さな体の子どもを

怒鳴って指導する姿を見ていると

わたしの胸がチクチクと痛みました。

「同じことをやりたくない」と思いました。

アメとムチ先生のように怒鳴ることなく、

彼が遅刻することなく

自ら学校に来るには何ができるだろうか?

とお空を見上げながら問いていたら、ふとひらめいたのです。

「そもそも、学校が嫌でつまらないから遅刻してたんでしょ。

だったら学校に来てよかった!って思ったらいいんだ!

先ずはにっこり作戦だ!」

ひらめいたら、即試してみよう!Go!Go!Go!です。

彼は遅刻をしてくると、

授業をしている周り子の迷惑にならないように、

ソッと用具を机の中にしまい、

ソッと席に座る周りを気遣う子でした。

私は授業をしながら彼と目が合うのを待ち、

目が合ったら微笑み、

後は何事もなかったように、授業を進めました。

前年度、学級崩壊のクラスが再生する際に、

実践したら効果のあった「存在承認(別名静かな承認)」を

彼にも試みてみたのです。

同時にわたしは彼との間で1つの約束をしました。

それは、遅刻をしたらその後の放課の時間に

「連絡帳を書いてもってくる」という約束です。

彼が遅刻をしてきた日の最初の放課に、

彼が連絡帳を書いてもってくると、

「よく来たね。今日はどうしたの?」

とお話しを聴く時間をとる様にしました。

すると、彼はぼそぼそっと家でのことを話し、

私は彼のお話を聴きました。

彼の遅刻をした理由はさまざまでしたが、

「ああ、今日も学校に来られてよかったな」

と思うような大変な事情の時もありました。だから、

「よく来たね。今日はどうしたの」

をずっと続けました。

すると、なかなか気持ちを伝えることのできなかった彼が、

自分の気持ちを少しずつ少しずつ伝えられるようになり、

友だちにも言えるようになっていきました。

アメとムチ先生も相変わらず彼の弟が遅刻をすると

「ダメです!いけません!」と人前で立たせて

怒鳴っては列に入れる方法を続けていました。

教員歴は私の3倍…年上でもあるその先生は、

「わたしは子どもを厳しく指導しているのに、

あなたは子どもに甘い!いい顔している」

と言って非難しました。

若い先生達は、その先生の

ご指導・ご鞭撻(ごしどう・ごべんたつ)のもと、

子どもが遅刻をすると人前で「いけません!」

と、怒鳴るようになっていました。

そして、わたしにも学校の秩序を守る上で

自分と同じ指導をしろと同調圧力をかけてきました。

けれども、「よく来たね、どうしたの?」を続けて

彼や子ども達からの「本当のこと」に

耳を傾けて聴くようになると、

アメとムチ先生のようなやり方は

わたしには受け入れられませんでした。

子どもが遅刻をする本当の理由には、

子どもにはどうすることもできない

家庭(親)に原因がある場合もあるのです。

それなのに、遅刻してきたから一律

同じように指導すべきだいうのは

子どもにとってよい効果があるとは思えないと

わたしは考えました。そして何よりも、

子ども達の「小さな声」を聴くことを大切にしたいから、

理由を聞かずに「ダメです!」と言って怒鳴ることは

わたしにはできませんでした。

そこは屈しませんでした。

そうやって、彼が遅刻をしても、コツコツと

「にっこり作戦(静かな承認:存在承認)」を続けているうちに、

彼は定時に学校に来るようになり、

楽しそうな様子で教室で過ごすことが増えてきました。

たまに遅刻することもありました。

すると、怪獣母さんから、

「本当は、朝早く起きてランドセルも用意していたんです。

だけど、弟が学校に行きたがらず待っていて遅れたんです。」

と、伝えられたのです。

私はこの時に、アメとムチ系賞罰指導はもしかしたら、

「遅刻→皆の前で怒鳴る(賞罰指導)→だから行きたがらない→欠席→不登校」

という流れをつくっていているかもしれないなと思いました。

加えて、「怪獣母さん」から子どもが、

「ぼくのことを大切だから、先生怒鳴るんだよね。

ぼくのことを好きだから、先生は怒鳴るんだよね。」

と、何度も聞かれてどう応えていいのか分からず、

応えられなかったと伝えられました。

アメとムチ先生のイライラとしたり

睨み(にらみ)つけたりする態度から、

学校の秩序を守るためという正論を口で言っていても、

その先生の心の中にあるその子を排除したい、

罰したいという気持ちが子どもに伝わって、

子どもはそれを感じとって言っているんだなと思いました。

わたしには、彼との間の心の交流の中で、忘れられない場面があります。

「飛び出し君」が秋に転校してきた時のことです。

給食の時間に歩き回る「飛び出し君」の対応で、

私の給食を食べる時間が5分から3分ぐらいになった時のことです。

私が給食を急いで食べ終わると彼が直ぐに私の机にやってきて、

「先生、ぼく片付けておくから」と言って、

私の給食のトレイを片付けてくれたのです。

彼の席はその時私の机の対角線上、1番離れた場所にありました。

翌日も、その翌日も私が給食を急いで食べ終わると、

彼は直ぐに私のところにやってきて片付けてくれました。

「私が食べ終わるのが分かるんだね。」

と言うと彼は、

「だって、ぼくいつも先生のことを見てるんだよ。」

と言いました。

(いつも見ているんだ…私今、全然見ていない…)

と思った私は、

「ごめんね、今先生、『飛び出し君』のことで手一杯で、

何にもできてないよね。本当にごめんね。」

と言うと、

「分かってるよ、いいんだよ、先生。」

と、彼は言いました。

そうやって、彼は「飛び出し君」の居場所創りに懸命な私を、

彼が出来ることで私を支えてくれました。

そして、「飛び出し君」が遅刻して学校に来ると、

彼は「おはよう、よく来たな」と言って、

「飛び出し君」のランドセルの片付けや、

連絡帳書きを手伝っていました。

私は彼が「飛び出し君」に「よく来たな」と言っているのを聴いた時に、

私から彼へ、彼から「飛び出し君」への「『よく来たね』の連鎖が起きた」

と思い嬉しくなりました。

もしも最初の頃に、アメとムチ先生の同調圧力に屈して、

遅刻する彼を「ダメだ」と皆の前で怒鳴っていたら、

いったいどうなっていたでしょうか。

きっと彼から「飛び出し君」への

「よく来たね」の連鎖もなかったことでしょう。

そして、「飛び出し君」に手を差し伸べる

彼のような子どもがいなかったら、

寂しさから暴れる「飛び出し君」のイライラエネルギーに

彼や周りの子ども達が巻き込まれて、

「子どもチームVS先生の紛争勃発」になり

学級はあっけなく崩壊していたことでしょう。

「飛び出し君」の対応には決断と実行の連続で、

「これ以上はもう我慢できな~~~~~い!絶叫!」

ということを多々やらかす子でしたが、

ふと気づくと、

「飛び出し君」の周りには、彼を補おうとする

子ども達の思いやりの輪が広がっていきました。

そうやって、「『飛び出し君』にも居場所を創る」

という私の想いを、子ども達は支え応援してくれたのです。

(参照

「飛び出し君」と子ども達のきらめくいのち~まあるくなあれ 環になあれ~

教室を飛び出す子どもが変わった~「飛び出し君」の春風~ )

学級崩壊のクラスの再生に心尽くした時も

翌年、「多様性いっぱい」のクラスで

さまざまな子ども達に対応する時も、

山あり谷ありの一年、一年でしたが、

わたしは、彼も「飛び出し君」も、

そして出会った子ども達一人ひとりのもつ

優しさや思いやり、「天才のたね」に魅了されていました。

子ども達一人ひとりがわたしにとって大切な存在で、

35人クラスを担任すると「今年はおれは36番目か…」

40人クラスを担任すると「今年はおれは41番目か…」

と、夫がつぶやく程でした。

ただ、教員人生において1度だけ

「学校に行きたくない」と思ったことがありました。

それは、先生を辞めることに決めた最後の年3月の始めの頃です。

「飛び出し君」とも心が繋がり、「ああ、あと先生も2週間なんだな」

とホッとした時に、それまでのいろいろな出来事が

一気に思い出されたのです。

子ども達の自己肯定感を高めるために導入した手立てや研修が、

アメとムチ先生に非難されたり否定されたりしたことが、

悲しくなって泣けて泣けてしかたがありませんでした。

何しろ、自己肯定感を高める有効な手立である「承認」について、

アメとムチ先生達が「虫酸が走る」「意味が分からない」と言うので、

心理学&コーチングを専門とする先生をお呼びして校内研修をした時も、

研修が終わった後で、研修内容には触れず、

「何で今日研修をするんだ」と非難されるレベルでした。

争いの苦手なわたしは、攻撃性の高いアメとムチ先生を前にして

何かにつけて謝ることの多い一年でした。

わたしと子ども達の関係性について

フィールドワークに入った先生の指導教官である

選択理論(心理学)の大学院の教授からは、

わたしの授業を参観した後で、

「君たちの先生は大変素晴らしい、これは奇跡のクラスだ」と大絶賛され、

同僚のアメとムチ先生からは非難されるという

両極端の評価を受けた一年でした。

心配した夫が気晴らしにと日曜日一緒に外出した後も、

月曜日の朝、やっぱり泣けて起き上がることができませんでした。

その時、私を見守っていた夫は、

「もういい、もう学校に行かなくていい。ずっと休んだらいい。」

と言ってくれました。

「ずっと休んだらいい」といいという夫の言葉を聞いた時、

わたしの心が落ち着いて「やっぱり行く。」

と立ち上がることができました。

いつも、学校には7時半に行き準備をし、

7時50分ぐらいからやってくる子ども達を、

教室で「おはよう」と言って

迎え入れることをしていました。

その日は、8時10分ぐらい、

遅刻ギリギリに教室につきました。

すると、子ども達が教室で待っていて、

「先生来た~!」

「休みかと思って心配したよ。」

「おはよう、先生。」

「待ってたよ、先生。」

と笑顔で迎え入れてくれました。

そして、子ども達が私の周りに集まってきました。

感じる力が大人よりもずっと優れている子ども達のことです。

私がいつもより元気がないということも

きっと感じとっていたと思います。

だからこそこの時の子ども達の笑顔に、私の心は救われました。

(ああ、笑顔で迎え入れてもらえるって、

こんなにほっとした気持ちになるんだ。

彼に試みた「にっこり作戦」は間違っていなかった)

そう思った私は、翌日も7時半に学校に行き、

子ども達を「おはよう」

と笑顔で迎え入れることを続けました。

結局、自己肯定感を高めるための有効な手立てとしての

「承認」については、わたしからどれだけ説明しても

アメとムチ先生の理解を得ることはできませんでした。

何とか理解していただきたいと、

いろいろと考えたり調べたりしているうちに、

近藤卓先生のSOBA-SETに出会いました。

子どもといのちの教育研究会会長であり、

中学校・高等学校のカウンセラーでもある近藤先生の理論によって、

ともすれば心がポキッと折れそうになる

子ども達の目には見えない自尊感情についての

理解をわたし自身が深めることになりました。

(参照 基本的自尊感情~自分を大切に思う気持ち~

わたしは、日本の若者達の自殺率が高いのは、

基本的自尊感情の低さに要因があると考えています。

基本的自尊感情を育む感情の共有と共有体験をする場が

今はとても少ないのです。

(参照 学級崩壊したクラスを再生する~愛おしいを育む居場所~

だからこそ、学校現場で基本的自尊感情を

育くんでいく必要性があるのです。

学級崩壊したクラスを引き継ぎ、

そのクラスが再生した方法を

翌年、学校全体に共有化し、

学校全体の自己肯定感を高めた教育実践の

最初の小さなステップは、

「ダメだ」という否定の言葉を

「どうしたの」に変えたことからでした。

1つの言葉を変えることから始めて、

聞こえてきた子ども達の「小さな声」が

わたしの教育実践を導きました。

わたしの目の前で泣いた子ども達の「小さな声」を聴いて、

わたしの心の奥の奥がきゅーっとしてわくように出てきた

「温かな家族のようなクラスにしたい」

という想いから始まった教育実践は、やがて

学校全体の自己肯定感を高める実践となって実を結びました。

こうして、振り返ってみるとわたしの教師人生は、

わたしをとても幸せにしてくれました。

子ども達はわたしにいつも

人生の素晴らしさを教えてくれました。

「小さな声」を通して「本当のこと」を

わたしの心に届けてくれました。

わたしに多くを教えてくれた子ども達一人ひとりに

心からの感謝を込めて「ありがとう」を伝えたいと思います。

わたしにとってかけがえのない大切な存在です。

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

このお話しには後日談があります。

わたしの担任したクラスを

アメとムチ先生が引き継ぐことになりました。

その先生は、学校現場に「承認」を

導入する際1番強く拒否反応をした方でした。

「承認」についての研修会をした後でも、

結局、子ども達に向かって「ダメだ!」という否定の言葉をよく使って、

先生が決めた基準で子ども達が行動するように

人前で子どもを立たせて怒鳴ったり、

気に入った子どもを大げさに褒めたりするなど

外的コントロールを使って子ども達を指導していました。

その先生がわたしのクラスを引き継いで担任になると聞いた時、

わたしの心に不安がよぎりました。

(もしかしたら学校に来られなくなる子どもがでてくるかもしれない…)

その不安を当時、学級経営について相談によくのっていただいていた

自ら起業し会社を大きくした社長に打ち明けました。

学級「経営」というからには、何か困難や試練があった時は

優れた経営者にきく!というのが当時のわたしの考え方でした。

すると、その社長は、

「悪いことを心で念じてはいけない。

その先生のもと上手くいくようにと考えなさい。」

と、私を諫め(いさめ)ました。

私はその通りだな、大切なのは子ども達だなと考え直し、

子ども達みんなが学校に来るために行った手立てと記録、

子ども達みんなが参加できる授業にするために、

工夫し作成した教材データー全てを学校の共有ファイルに残し、

学校最後の日に、

「子ども達に関することは何でも連絡してください。」

と、連絡先としてわたしの携帯番号を渡しました。

それから約半年後のことです。

学校から招待をされ秋に学習発表会を見に行った時です。

1年前の学習発表会で劇の主役をした

外国籍の男の子の姿がありませんでした。

わたしが給食を食べ終わるとトレイを片付けに来たり、

「飛び出し君」に「よく来たな」と言ってランドセルを片付けるのを

手伝っていたりした彼の姿もありませんでした…

その年の5月、外国籍の男の子は学校を辞め、

そして彼は、アメとムチ先生のもとで完全に不登校となり

その後転校していったと聞きました。

心と心が繋がってできた

「よく来たね。どうしたの」の連鎖が途絶えていました…

このことからわたしは、

目の前の子ども達の心が必要としていることを捉えて、

新たな手立てを試みたり、学ぼうとしたりすることなく、

外的コントロールで子どもを指導し続ける

アメとムチ先生の在り方が、

本来は最も学校に来る必要のある子ども達の心をポキリとおって

不登校にしていることもあるのではないかという厳しい視点をもっています。

マハトマ・ガンジーは

「子どもは真実を映し出す鏡である。

彼らには奢(おご)りも、敵意も、偽善もない。

もし思いやりに欠け、嘘つきで乱暴な子どもがいたなら、

罪はその子にあるのではなく、両親や教師や社会にあるのだ」

と言っていました。

厳しい言葉だと思いますが、これは大切な視点です。

子ども達の「小さな声」を聴いたからこそ、そう思うのです。

目の前の子どもが泣いて伝えてくれた

「小さな声」に耳を傾けて聴き

教育実践に活かした

わたしの経験からのお話しです。

関連記事 「愛おしいを育む居場所~心理学オタクの実践~」

Photo by Emmy

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生(たかはし あやお) 愛知県在住。元小学校教員。講師。(近い未来)作家。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

POSTED COMMENT

  1. 細川一滴 より:

    ペンギン先生の集大成のような記事ですね。僕のやっていることにも確信がもてました。ありがとう〜!

  2. pen より:

    感情の学校の一滴先生からのコメント、光栄です。こちらこそ、ありがと~!

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