天才のたね

子ども達の「小さな声」に耳を澄ませたら、人生からのギフトを受け取る

学級崩壊したクラスを引き継いで、

2ヶ月ぐらい経た頃のことです。

子ども達の話を耳を澄ませて聴くようになると、

堰を切ったように泣き出す子ども達が出てきました。

子ども達がナミダを流しながらいろんな思いを

わたしに打ち明けてくれました。

私はそのお話を側に座って、

ときどきもらい泣きしながらじっと聴きました。

その出来事の中で、

当時の私にとても影響を与えた女の子(当時10歳)がいました。

Mさんです。

心が落ちつかずがちゃがちゃとする

子ども達が多いクラスの中では珍しく

静かに学習に取り組むことができる子どもでした。

宿題も、毎日欠かさずやってきました。

ただ、うつむきかげんな視線や

寂しそうな表情を浮かべることが気になる女の子でした。

そのMさんが、

アンケートの回答欄に「学校が楽しい」と書いてきました。

以前の私なら、「学校が楽しいならよかった」

とそのままにしたかもしれません。

でもその時はなぜだか「だいじょうぶだ」

という感じがしませんでした。

そこで、2人きりになれるところにMさんを呼んで、

「学校が楽しいのはどうして」と聴いてみました。

すると、彼女の目からポロポロと涙が溢れ出し、

「家だと(不登校の)お兄ちゃんが暴れて叩いてくる」

「家の中はケンカばっかりだから、学校が楽しい」

と打ち明けてくれたのです。

(Mちゃん、ずっと辛かったんだ)と感じた私は

この時、胸の奥がきゅーっとなりました。

わたしの横で涙を流しているMさんの心の痛みを一緒に感じたのです。

Mさんは、「学校が楽しい」と言ってはいましたが、

Mさんが在籍していたクラスは

学級崩壊をしていたクラスです。

学級崩壊したクラスでは、いつも子ども達がケンカをしたり

先生が怒鳴り声をあげたりします。

家の中でも学校の中でも怒鳴り声やケンカの声ばかり…

Mちゃん、どんな気持ちだったのだろう

Mちゃん、ケンカの声や怒鳴り声を一生分は聞いただろうな。

もうそんな声をMちゃんに聞かせたくないな。

教室の中ではMさんの笑顔が見たいなと

わたしは心の底からそう想いました。

Mさんは、

「仕事で疲れている母さんには、心配かけたくないから言えない」

とも言いました。

お母さんに、初めてお会いした時のことを思い出しました。

人生が思う様にいかず、心も身体もくたくたな様子でした。

今のお母さんに何かを頼むのは難しそうだなと思いました。

「学校にいて、いつが楽しいの。」

「休み時間に、友だちとおしゃべりをする時が楽しい。」

「お友だちは、お兄さんのことを知っているの。」

「うん、家のこと何でも話ができる。」

何でも話ができるお友だちが1人いることが分かりました。

お話しを聞いた後で、わたしは1つMさんに約束をしました。

Mさんの楽しみにしている

放課の時間には授業をしないことです。

彼女の1日の中にある「楽しい時間」を

どうしても確保したいから、

約束を守ろうと心に決めました。

だけどいろんな事情で

どうしても、どうしても守ることができずに

授業を延長してしまうときがありました。

その時には延長した分、

次の授業の開始の時間をずらしました。

そうやって、Mさんとの約束を守ろうと努めました。

その頃には彼女と私の間には、

「先生、約束守ったね。」

「何とか努力しましたよ。」

と、目と目で会話する心の繋がりができていました。

彼女から話を聞いた後で、

大人の方でご自身の子どもの頃の話を打ち明けて下さる方がいました。

その方は父親から暴力を受けて育った方でした。

夏休みが苦痛で、夏休みになると家に居たくなく、

自殺しようと思ったことが何度もあったと伝えてくれました。

わたしはそのお話しを聴いて、終業式の日に

「楽しい夏休み!」とはしゃぐ子ども達の中に混じって、

一人心に苦しみを抱えているというのは、

大変な孤独だなと感じました。

胸がズキンと痛くなりました。

そして、それまでの先生生活を振り返ってみたときに、

どれだけの子ども達の声を聞きのがしてきたのだろうか…

もしかしたら、あの時も、この時もと

ひとしきり思い出されて、

ずーんとメゲて、のたうちまわりました。

とことん落ち込みました。

そして落ち込んだ後で、

「今、ここからだ!」とやっと思い直した時です。

4月に始めて教室に入った時に感じた

クラスに充満していた冷ややかな雰囲気が

なぜなのかがやっと分かったのです。

たった1つしかない単学級の学校で、

同じクラスの一員として長い時間を共に居ても、

温かな関係性を築けていない子ども達がいる…

たった1つしかない家族の中で、

同じ場所・長い時間を共に居ても、

温かな関係性を築けていない親子がいる…

「長い時間・同じ場所に一緒に居たとしても、

温かな関係性が築けることになるとは限らないんだ。

あの冷ややかな雰囲気は、

心の繋がりの薄さからきているだ。

それが目の前の子ども達の今の現状なんだ。」

と気づいたのです。

現状を否定せず、そのまま認めて受け入れると

きゅーっとなった胸の奥の奥から

「温かな家族のようなクラスにしたい!

心の繋がりのある温かな家族のようなクラスにしたい!」

という想いが溢れてきました。

その想いを叶える方法を探して、

試してを繰り返す中で、

子ども達一人ひとりと心の繋がりができ、

崩壊したクラスが再生し、

翌年、学校全体に共有化することで、

学校全体の自己肯定感を高める実践となりました。

後に、「奇跡のクラス」と

心理学の選択理論の教授から称された

クラス創りはもともと

わたしの横で涙を流しながら届けてくれた

Mさんの「小さな声」に

耳を澄ましたことがきっかけでした。

翌年、「飛び出し君」に出逢った時、

「うるせ~」「ばばあ」「ぶっ殺す」と悪態をつく「飛び出し君」を、

反射的ににらみつけて

クラスから排除しようとするパワフル先生に、

ケンカも争いも苦手な私が勇気を出して、

「彼をクラスに入れます」と言えたのは、

「飛び出し君」の居場所がなくなることに

心の痛みを感じたからです。

心の痛みを感じた時に、

その心の痛みから逃げないで、

その心の痛みから自分を守ろうとして

周りを攻撃したり批判したりしないで、

先ずは「これは何なんだろう」と

心の奥の奥を見つめてみる…

すると、居場所がどこにもない「飛び出し君」の孤独を感じたのです。

「飛び出し君」の抱える孤独を感じて、

それまで出会ってきた子ども達に

わたしが力も知識もなくて

何もできなかった悲しみも感じて

「『飛び出し君』が安心する居場所を創りたい」という

想いが心の奥の奥底から湧いてきました。

「飛び出し君」の対応をしている時には、

Mさんや学級崩壊から再生する日々を共に過ごした

子ども達一人ひとりがわたしの心の支えとなりました。

子ども達が再生し、成長し、そして変化していく日々を

共に過ごしたからこそ、

目の前の子どもが荒れて暴れていても、

「きっとだいじょうぶになる」ということが

深いところで信じられたからです。

信じる心をもって関わると、

子どもは本来のその子らしい姿に変化していきます。

「飛び出し君」も変化していきました。

わたしは泣き虫ですぐに落ち込みます。

だけど、崩壊したクラスを再生するときも、

「飛び出し君」を受け入れるときも、

「今、これをやる必要がある」と思ったことは、

周りの先生達と違うことでもする勇気がでました。

日々難しさを感じながら

それでも諦めなかったのか…

なぜできたのかが、ずっとよく分からないままでいました。

心理学の知識があって、1つ1つ試行錯誤をしながら

実践したからかなと考えていました。

ある日のこと…

あなたが大切に思うものの中に、あなたの心がある…

という言葉に出逢いました。

愛する人・愛する祖国を想いながら逝った

ピアノの詩人ショパンの

心臓が安置された教会に刻まれている言葉です。

確かにショパンの曲の中に

ショパンの心は息づいていると感じた時に

わたしは気づいたのです。

わたしの横で涙をながす子ども達の側に座って

じっと話を聴いていたときに感じた心の痛み

ああ、あの心の痛みはきっと、

目の前で涙を流す子ども達のことを

とても大切に思っていたからこそなんだな…

そして、心に痛みを感じた後で

心の奥底から湧き上がって想いは

わたしが本当に大切にしたい想いだったんだなということに気づいたのです。

大切にしたい想いを叶えるために

それまでのやり方に心理学の知識を駆使して実践する…

周りから非難されても屈することなく

本当に大切にしたいことを大切にする

小さなことをこつこつと繰り返したら、

子ども達一人ひとりと心の繋がりができて、

崩壊していたクラスは再生し、

誰にも心を開かなかった「飛び出し君」とも

心の繋がりができたんだとやっと分かりました。

労り(いたわり)という言葉の語源は、

痛み(いたみ)という言葉だと

本で読んだことがあります。

痛みを感じた後で

「家族のような温かなクラスにしたい」という想いが溢れて

難しさを感じながらも1つ1つ課題に取り組んだら、

温もりが広がり包まれていく教室になりました。

だとしたら、

痛みを感じるということは、

大切なモノがあるよ」というサインなのです。

「小さな声」を届けてくれた子ども達と

「小さな声」に耳を澄ませたわたし…

子ども達と共に

いっぱい泣いて

いっぱい笑った

あの日々を共に過ごしたからこそ気づけた人生からのギフト

「飛び出し君」の小さな声はこちら

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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