今回は、「国籍や家庭環境に関係なく、
才能が開花する方法がきっとある」という
想いから教師になったわたしの
心の支えとなった「言葉」のお話しです。
~・~・~・~・~
わたしは大学を卒業した後、
92年の入国管理法の改正により
中南米から日本に働きにくるようになった
外国人労働者の方々の生活・職業・労働相談に
ポルトガル語通訳として長年携わっていました。
その後、小学校の先生になろうと決意したのは、
日本語の語学指導員として1年3ヶ月、
公立の小中学校8校を巡回指導した時、
20人の外国籍の子ども達に
出逢ったことがきっかけです。
言葉が分からない
自信がない
教室の中で笑うことができない
そして、
学校を辞めていく子どももいました。
そんな子ども達に出逢って
わたしは37歳の時に
「先生になる」と決めたのです。
慣れ親しんだ通訳の仕事を辞めて
新しい仕事を始める不安で
「先生になる」と決めるまで
3日間眠れませんでした。
そんな自分を励ますために
書き始めた1冊のノート。
このノートには、
当時のわたしの心を支えた言葉が
書き綴られています。
ノートの1ページ目には、
深い思考と穏やかな心を身につけるために
2005年3月7日
次のページには、
不安でいっぱいの自分自身を奮い立たせるように
「意志のあるところに道があることを、わたしは知っている」
と書いています。
新しい仕事は、公立の小学校内に開設した
外国人児童のための日本語教室の先生兼通訳でした。
最初は日本語指導に必要な資料や教材がほとんどなく、
目の前の子ども達に必要な資料や教材集めからのスタートでした。
その時のわたしを支えたの言葉
「最も困難な仕事は、
一回きりの爆発的なエネルギーの発散や努力によってではなく、
最善を尽くして、日々努力し続けることによって達成できる」
~この世で一番の奇跡 オグ・マンティーノ~
当時、「雇用の調整弁」と言われた製造業に従事する
外国人労働者の家庭では社会の歪みが
さまざまな問題を噴出させ、
その問題のしわ寄せが子ども達にいっていました。
胸がかきむしられるような出来事にも直面し、
自分の力のなさを痛感する日々でした。
その時のわたしを支えた言葉
「私が苦しみのあるところに愛を
いさかいのあるところに許しを
分裂のあるところの一致を
絶望のあるところに希望を
闇に光を
悲しみのあるところに喜びをもたらす者となりますように。
慰められるよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
愛されるよりも愛することを
わたしが求めますように」
~「いい人」がきっと幸せになる7つの法則 ハビエル・ガラルダ~
日本語教室の先生を始めて1年目の秋
ずっと親と離れて暮らしていた子どもが
ペルーから転校してきました。
4年生の男の子と6年生の女の子でした。
4年生の男の子も6年生も女の子も、
日本語教室で日本語を学びながら、
通常学級でも学びました。
6年生の女の子が卒業をし、
中学校に通って3週間ほどたったころ
お母さんから娘が中学校へ行けなくなったとの相談を受けました。
ペルーでは進学校に通い、とても学ぶ意欲のある子どもでした。
久しぶりに再会した女の子の表情は、
笑顔が消えてまるで別人のようでした。
わたしは、相談を受けたその足で校長室に行き、
校長先生にお願いをして
中学校が始まる前の朝6時半から7時15分まで
小学校で日本語教室をする許可をもらいました。
朝5時に家を出て、朝6時に学校に到着し、
準備をして、朝6時半から日本語の授業をしました。
彼女は1回も休まずに日本語教室に現れ、
そして、中学校には行けませんでした。
1ヶ月ほど経てわたしは中学校に呼び出され、
その親子と中学校の話し合いに参加すると
中学校側の言い分は彼女のために
日本語を教える先生を配置したのに
中学校にこない女の子は自分勝手だという話でした。
中学校側が配置した日本語担当の先生は、
わたしからみると、生徒に「不適応」な先生で
担任も教科担任にも配置できないから
日本語教室に配置された先生でした。
わたしは、
「ずっと離れて暮らしていた親子がやっと
一緒に住めるようになったんです。
学ぶ意欲もあります。
中学校の日本語教室の体制を改善して下さい」
と中学校の校長に訴えました。
話している途中に悲しくなって泣けてきました。
すると、「外国人に感情的に肩入れしすぎている」と言われ、
体制はそのままでした。
その家族は中学校に通えない娘のために
ペルー人のための学校がある別の市へ転校していきました。
日本語教室の講師の立場だと何の意見も通らない…
再び自分の力不足を痛感し、
その年教員採用試験を受けて
正規採用の教師になりました。
その時のわたしを支えた言葉
「変えられることを変える勇気を
変えることのできないものを受け入れる平静な心を
そして、それらを見分ける知恵を与えたまえ」
~平静の祈り ラインボルト・ニーバー~
幸いにも日本語教室を開設した学校に
新規採用としてそのまま勤務し
たくさんの子ども達に出逢い
何人かの心から尊敬する先生達とも出逢い
大切なことを1つ1つ学びました。
2校目の学校は
困窮家庭に生きる子ども達や
外国籍の子ども達が多く在籍する学校でした。
そこで、学級崩壊をしたクラスを
担当することになりました。
子ども達や保護者達の
目には見えない心の闇に向き合い、
課題に1つ1つ取り組んでいくと、
子ども達が再生し、変化し、成長していきました。
翌年、子ども達が再生した際に有効だった手立てを
自己肯定感を高める教育実践の取り組みとして
学校全体に共有化しようとしました。
すると、思いがけず同僚の先生達から
批判や非難を受けることになったのです。
不安感の中に生きる子ども達と教師が
先ず最初に温かな関係性を築くために
子ども達の存在価値、
ありのままを認めるという
存在承認の考え方・やり方は、
アメとムチ系賞罰指導で子ども達をコントロールする
先生方の考え方・やり方とは違っていたからです。
わたしにとっては、必要なことは学んで、
目の前の子ども達の実態に適したやり方に変えることは、
シンプルに「やること」「試みてみること」だったのですが
わたしを非難した先生達の様子を観察してみると、
それまでと違うやり方に変えるということは
それまでの自分を否定する「敗北」のような反応でした。
「温かな関係性を築く」実践の導入が暗礁に乗り上げ、
くじけそうになりました。
その時のわたしの心を支えたのは、
マザーテレサの言葉です。
Do It Anyway.
People are often unreasonable, irrational, and self-centered.
Forgive them anyway.
If you are kind, people may accuse you of selfish, ulterior motives.
Be kind anyway.
If you are successful, you will win some unfaithful friends and some genuine enemies.
Succeed anyway.
If you are honest and sincere people may deceive you.
Be honest and sincere anyway.
What you spend years creating, others could destroy overnight.
Create anyway.
If you find serenity and happiness, some may be jealous.
Be happy anyway.
The good you do today, will often be forgotten.
Do good anyway.
Give the best you have, and it will never be enough.
Give your best anyway.
In the final analysis, it is between you and God.
It was never between you and them anyway.
学校の帰り道は大抵いつも夜でした。
階段を降りて、駐車場に行く道すがら
星空を見上げては、
「Give the best you have, and it will never be enough.
Give your best anyway.
あなたの中の最良のものを、この世界に与えなさい
たとえそれが十分でなくても」
繰り返し、繰り返し自分に言い聞かせる日々でした。
そして、
「もし教師をしていた父が今も生きていたら
きっと今のわたしの姿を喜んでくれるだろう
未来のわたしも、今のわたしの姿を喜んでくれるだろう
そう思える選択をわたしはするんだ
『温かな関係性を築く』教育実践を
学校全体に共有化することは、
今、目の前にいる子ども達に必要なことなんだ」と
勇気を出したのです。
そして、大学院の心理学(選択理論)の
教授の後押しもあって、導入しやり抜きました。
小さなことから1つひとつ
今できることから1つひとつ
メゲたり落ち込んだり、
泣いたり笑ったりしながらも
ずっと取り組むわたしに、
子ども達は「小さな声」を届けてくれました。
優しさと思いやりで応えてくれました。
わたしの心を支える言葉に出逢って、
わたしの心の中に、
今でも星のカケラのように輝く
子ども達とのお話しが生まれたのです…
関連記事
はじめまして。読ませて頂き、志しのある方が、まだ先生の中にいるのかと感心しました。うちは障害があり、特別支援学校に行ってますが、とても閉鎖社会で、これで社会に出て行ったら潰れてしまうと想い、もっと世の中は広くていろんな世界があり考え方があることを伝えたくて、学校に交渉しています。
全く受け入れてもらえません。周りの先生方は協力的な方もみえますが、なにせ何をやるにもトップの承諾が必要で話し合っても、自分の身分を守るのがみえます。子供達の将来など考えてないのでは!私はどの子もダイヤモンドに見えますただ原石なので磨いてあげなければいけません。まず磨き方を知らないのに本人に任せては、ただの石ころになってしまいます。もっと選択肢を増やしてあげたい!
まだこれからも学校とのやり取りは諦めません。
素敵な文を読ませて頂き有難うございました。
武藤さま
はじめまして。コメントありがとうございます。実は、武藤さまからいただいたコメントに、お返事を書いては読み返して「何だかしっくりこないな」と消し、また書いては「う~ん。何だかやっぱりしっくりこないな」と消し、本日に至りました。お返事が遅れたこと、ごめんなさい。わたしは、武藤さんからいただいたメールを読んで、「諦めません」と言っている武藤さんを、それでいいんだ、大丈夫なんだっていう気持ちとか、ちょこっとでも元気になれる気持ちとかを、わたしのお返事から感じてもらいたいなっと思って、お返事を書いては、「そうは言っても、武藤さんの状況を存じ上げないな、これでいいのか分からないな」と思い返して、今までお返事ができずにいました。ただ、考えてみたら、武藤さんの気持ちとか武藤さんがどう考えるかということは、武藤さんのこと(武藤さんのお庭:課題の分離と心理学でいいます)だから、わたしがあれやこれやと考えることじゃなかったなと思いました。わたしはよく、人と相手の境界線が曖昧になって、どうしたらいいのかな、どう考えたらいいのかなって考えすぎる傾向があって、ただ、わたしが武藤さんからのメールをいただいて、わたしがどう感じたかをお伝えすればよかったんだなと、今思って、書いてます。わたしは、先生をしている頃、自分でもいっぱいチャレンジしたなと思います。そして、いっぱいうまくいかないこともありました。だから、いっぱいめげたり、泣いたりすることもしょっちゅうでした。「強くなりたいな」と思って、世の中で成功している人の本をいっぱい読んだし、いいなと感じる言葉を書き留めて、よく見返したりしていました。そうやって試行錯誤をして、自分の想いを叶えていく方法を、自分なりに掴んでいきました。いっぱいチャレンジするから中途半端で終わることもあったし、「ここができていない!」って叱られることもありました。そして、今のわたしは、強くなったかなと思ったら、知恵や経験は身につけたけど、やっぱりどっか弱虫で、できないところはできないまんまで、壁にぶち当たればメゲるし、心が痛みを感じればすぐに泣くところは何にも変わっていません。だけど、子ども達に出会って子ども達と一緒に過ごした日々から、「天才のたね」はあると信じられるし、出来ない事は補い合って支え合って生きていけることも、子ども達の優しさに触れたから知っています。自分の体験を書いたことで、「志がある」って受け止める人が一人いた、それがご自身のお子様をダイヤモンドと見ている武藤さんだということに、とても励まされました。本当に有り難うございます。 もうご存知かもしれませんが「人を大切にしているな」と感じた映画、会社、場、取り組みをシェアします。 映画「1/4の奇跡~本当のことだから~」
www.yonbunnoichi.net/sakuhin/syokai/
日本理化学工業
http://www.rikagaku.co.jp/company/index.php
共同学舎
www.kyodogakusha.org/aboutus.html
自然栽培パーティー
shizensaibai-party.com/