今、わたしが覚えている
わたしの父との記憶…
それは、わたしがこの世に生まれた瞬間に
父の心の中のつぶやきを聴いたことです…
小さな頃に両親を亡くし、
戦後の貧しい時代を
孤独に生きてきた父が
わたしが生まれた瞬間に
「ああ、ずっと独りだった俺に、
これでやっと本当の家族ができた」
と、心の奥底でつぶやいたのを
生まれたばかりの私は聴き、
父が心底、安堵したのを感じました。
ずっと孤独を抱えて生きてきた父が、
わたしの存在で癒されたという
この時の体験がわたしの深い処に入り、
心に孤独を抱える人に出会うと
つい気になって声をかけてしまう、
つい自分のことを後回しにしても
関わってしまうということを
この体験を思い出すまでずっと、
わたしは人生の中で
無自覚に繰り返していました。
今はそのことに気づいて、
繰り返すことはなくなり、
それとともに
選択肢が広がりました。
そして、
心の奥底にある「小さな声」と
実際に話している声の音が
一致しているかずれているかを
無意識に聴き分けていたことも
自覚できるようになりました。
心の奥底と繋がって発せられる言葉は、
本音が響いて心地いいのです。
今から約17年前、
母から「父が入院した」との連絡が入りました。
病室に入り、父の姿を見た瞬間、
わたしは父が逝こうとしているのを感じとりました。
父はその時もう、目を閉じ会話は出来ませんでした。
父が横たわるベッドのわきに座り、
父の手を握って、わたしは父に語り始めました。
父の娘であったことで、どれほど幸せであったか
今、やっていることで、何に夢中になっているのか
返事ができなくても
父はずっと聴いている
父はちゃんと分かっている
逝こうとする父に少しでも安心を届けたい
そう思ってわたしは
手を握って、語り続けました。
明け方、父の心音がとうとう弱くなり
わたしと母は父の手を握りしめ
「ありがとう、今までありがとう」
と伝える中、父は逝きました。
わたしと母の喪失感は大きく、
3年ほど父について何も話せない状況が続きました。
そして17年を経て、分かったことがあります。
たしかに、目の前に父はいません。
現実には、
父と会話することも
父の姿を目で見ることも、
父の声を耳で聞くこともできません。
だけど、わたしの内側に父は今も存在していて
人生において必要とする時には
いつも父と対話をしてきたという事実がありました。
父が逝った後、
小学校の先生になったわたしは、
子どもの頃に孤独だった父を
彷彿(ほうふつ)とさせるような
子ども達に出逢いました。
「飛び出し君」や「地蔵君」といった、
周りの大人達がほとほと手を焼いた
子ども達に関わる時…
学校の帰り道に夜空を見上げて
星々を眺めながら
生前教師だった父に
話しかけたものでした。
そして、
振り返ってみると
その時の行き詰まった状況を
変えるきっかけとなる
ヒントやメッセージを
ひらめきというカタチで
受け取っていました。
父と出逢って、
共に生きて、
そして今は離れていても
奥深いところで
ずっと繋がっている…
1度繋がった心と心は
奥深いところでずっと繋がっている
ということを、
わたしは頭からではなくて
感覚から信じられるのです。
人は人と繋がって
そして、
多くの無数のいのちと繋がっているということも…
これは
父からわたしへのライフレッスン…
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