天才のたね

アメとムチ系賞罰指導~それは愛のムチか無知のムチか~

①朝のニュース

朝、こんなニュースを耳にしました。

厳重注意処分を受けた女性教諭の言葉を聞いて、すぐにメモをとりました。

「好き嫌いをさせないため」

→好き嫌いせずに食べることは大事

「半分にして」

→全部じゃないから子どものことを考えている

「達成感を味わわせたかった」

→できたら、褒められて達成感

とも捉えることもできます。

ところが、実際に教育現場にいた私からすると、

簡単に説明すると、

教師から見た優れた点を褒め、

教師から見た劣った点を叱責する指導で、

子どもを操作する方法です。

アメとムチ系賞罰指導では、

ある基準(ものさし)のもと、

良い・悪いの判断がされます。

ムチによる操作指導の具体的な事例としては、

・人前で立たせて、できないことを叱る

・感情的になって、大きな声でどなる

・周りに「こうなってはいけない」と暗に言う

などがあります。

これらは実際に、

子ども達の自己肯定感を高めるために、

温かな関係性と承認を学校全体に導入しようとした際、

「アメとムチ系賞罰」とある意味、対極にある実践方法だったため、

「子どもに甘い」「子どもに媚びている」と判断された私が、

「アメとムチ系賞罰」先生から、実際にされたことです。

「アメとムチ系賞罰指導」では、

「できない子」や「反発する子」に対して、

叱責する方法がよくとられます。

自分がされた時は大人の私でも怖かったし、

子どもがされている場面を見るのは

子どもの勇気がくじかれたり、

「天才のたね」がしおれていくのを見るようだったりして

胸が痛かったです。

そして、教師になったばかりの頃、

一見それらの先生の指導の元、子ども達がピシッとしているから、

「アメとムチ系賞罰指導」がよい方法だと勘違いして、

真似をして子ども達を怒鳴ったことを思い出すと、

子どもの心を傷つけて無理矢理させて、

自分は「できている」と勘違いしていたことに、

恥ずかしい気持ちでいっぱいになります。

アメとムチ系賞罰指導をすると、

子ども達が先生の顔色をみて行動するので

先生は「裸の王様」になります。

教師の価値観に合う行動をとる子どもを褒め、

そうでない子は「褒められない=無視をされる」という点から、

褒めるというのも操作指導になります。

よい評価を得ようとして行動する子、

評価が得られないと行動しない子が育ちます。

この言葉から、

なぜ「アメとムチ系賞罰指導」だと捉えたのかを説明します。

「好き嫌いはいけません。」

と否定語で伝えられた子どもは、

「先生をがっかりさせる。」

「怒られるのが怖い。」

「食べられないっていえない…」

否定的な考えと感情がぐるぐるし、混乱し、

「できない。」「困っている。」「助けてほしい。」

が言えなくて、

心の中は不安と恐怖でいっぱいになります。

さらに、人前で吐くなど嫌な経験として残ると

その食べ物が嫌いになります。

「好き嫌いはいけません」という指導を通して、

「嫌い」にするという負のスパイラルがおこります。

一方で、

「できない。」

「困っている。」

「助けてほしい。」

を、子どもから聞いて、

「何ができないのか。」

「何がこまっているのか。」

「どんなふうに助けてほしいのか。」

子どもの実態を掴んで、手立てを考えたら、

その子どもの成長の発達段階に応じた

対応を見つけ出すことができます。

そもそも、脳は否定語を理解できません。

「好き嫌いをさせない」と言った時は

好き嫌いをすることをイメージするからです。

「好き嫌いはダメ」と言いながら

「好き嫌い」をイメージさせて

その方向に向かわせている負のスパイラルです。

負のスパイラル脱却には、

「ダメだ。」や否定後を使わない、

言葉をまず変えることからです。

「ダメだ。」や「否定語」を使っている方は、

自分の無意識に発する言葉の中に、

どれくらいの頻度で使っているのかに、

全く気づいていない方が多いです。

「3D」=「だって、でも、だけど」と言って、

相手の意見を受け入れない方も多いです。

尚、これらの方の中には心の痛みを抱えながら、

がんばりすぎている人もいます。

ゆっくりとお茶を飲んだり、

きれいな花を見つめたり…

自分の心を優しく労る時間をとることを、

自分に許すことも大切です。

そもそも、「好き嫌いをさせない」ことが給食の時間のゴールでしょうか?

本当に大切にしたいことは何でしょうか。

「半分にして食べさせる」のを決めたのはだれでしょうか。

子どもではなく、その教師です。

教師が「半分」という基準を決めて、

それが達成できないと、

「ダメだ」と叱責します。

これがアメとムチ系賞罰指導です。

食べたことないものや味が違うものに、

子どもは敏感なのです。

そして、慣れない味に「食べられない」と言っても、

実際どれだけ食べられるのかも子どもそれぞれです。

子どもに聴いたら、

一欠片の子もいれば、

半分の子もいれば、

聴いただけで、安心して全部食べる子もいます。

逆に、誰かが叱られているのを聞きながら、

自分が怒られるかもとびくびくしながら、

食事をするのは楽しいでしょうか。

子どもが心からの達成感を味わうのは、

何かを「させられて」できた時でしょうか。

自分から「やろう」としてできた時でしょうか。

教師が決めた「半分」という基準で、

子どもが達成感を味わうと考えているのはあまりにも無知な考えで残念です。

アメとムチ系賞罰指導は、支配と依存の縦の関係をつくります。

給食を食べられない子どもが目の前にいたときに、

「好き嫌いはいけません」という基準で、

「ダメだ」「劣っている」と縦から見て判断する前に、

横に並んで子どもから話を聴いてみると、

子ども達は、いろんなことを話し始めます。

苦手な食べ物を前にした子どもから聞いた言葉です。

・明るい気持ちになれるように歌を歌ってほしい

・一口食べる時に、みていてほしい

・〇〇君が大好きだから、がんばってと言われると食べれる

・手を握っていてほしい

・1人でがんばりたいからそっとしていてほしい

・「食べなくていいよ」って言ってくれたらなんか「食べられる」

こんなやりとりを経て、

しいたけをほんの一欠片食べるのがやっとの子いれば、

全部食べられるようになる子もいました。

苦手なことに向かうプロセスで、

見えてくるその子の個性

一人ひとり豊かなんですよ♡

聴いていくと、「苦手」なことへの向かい方も乗り越え方も、

子どもそれぞれで、一人ひとりが、一つの小さな宇宙なのです。

また、学級崩壊のクラスの立て直しをしていた時に、

給食の時間は、基本的自尊感情を育む

大切な時間だということに気づきました。

これは、給食の時間の本来の目的・在り方とも一致しています。

基本的自尊感情とは、近藤卓教授によると、

「自分のよいところも悪いところもあるがままに受け入れ

自分を大切な存在として尊重する感情」です。

子どもが将来、困難なことや耐えがたい悲しみに直面した時に

ふんばって、挑戦して、乗り越えていく、

生きる力のねっことなる感情です。

そして、基本的自尊感情を育むことは、

大人が子どもに出来る最大の贈り物だとわたしは考えています。

自分を大切に思う気持ち~心のねっこ・基本的自尊感情~

Photo by Emmy

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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