3年生で学級崩壊となったクラスを
4年生で引き継いだ4月の出逢い
私と視線の合わない子ども達ばかりのいる教室は
ヒヤリとした冷たい雰囲気が漂っていた
「面倒くさいし、やりたくないし、出来ないし」
を、子ども達から山のようによく聞いた
2日目給食の準備の時、
男子が廊下で野球をしている
少なくとも3年間は同じ場所で、
一緒に過ごしているはずなのに
喧嘩ばかり、争いばかりがよく起こる、
心がバラバラの学級のスタートだった
従来の方法では対応できないから
新たな学びに時間と資金を投入し
「これだ」と思ったら即実践
仮説、行動、検証と行動探求の1年だった
その後、子ども達がナミダを流して
伝えてくれた心の声を聴いた私は、
自分が担任している時だけではなく、
翌年以降もちゃんと機能する
「家族のような温かなクラス」
を創りたいと願うようになった
1年が過ぎ、翌年私はバスケットの主顧問になった
その学級の中からできた、
たった8人のバスケットチーム、
やりたいから集まった小さなチーム
子ども達は視点を示して
大人が聴きさえすれば、
驚くほど友達の事をよく分かっていて、教えてくれる
ドリブルが得意な子
パス回しが得意な子
逆に、リバウンドのフォローが必要な子
集中すると周りが見えない子
一人一人の特性に合ったポジションと、
攻めと守りのパターンを
子ども達と相談しながら決めていった
その年の3月私は退職し
教師になって2年目の若手が
バスケットチームの顧問を引き継いだ
そのバスケットチームが、
6月の大会でその学校の史上初めて優勝した
9月の運動会の日に再会をした保護者が
その時の試合の様子を伝えてくれた
「気持ちが一つになっていて、声かけあって支え合う
子ども達の試合を見ていて、
心が何だか温かくなって、涙が出た」と
運動会の日に出逢った子どもが伝えてくれた
「バスケで優勝出来たのは、
上手い子だけが特別じゃない
みんなが主役のチームだし
私たちの心は繋がっているから
私たちの天才のたねが、
花開いちゃったんだから」
懸命だったあの時の私の願い
「家族のような温かなクラス」を
叶えてくれた子ども達
それから約半年後の卒業式の前日
「子ども達が公園にいるかも」と連絡が入り、会いに行った
「思い出にみんなで遊ぼう」と集まっていたのだ。
私の顔を見て、次々と集まってきた子ども達が差し出す
黄色の帽子にひとつずつ
「幸せにね」と書いていった
「先生、私が会長やったこと知っている?」
「先生、絵で金賞とったこと聞いた?」
「面倒くさいが口癖だったあの頃の自分に、
『しっかりしなよ』って言ってやりたい」
次々に話し始める子ども達に耳を傾けながら、
子ども達が楽しそうに遊ぶ姿を眺めて見ていた。
クラスのみんなが集まっている…
深い喜びが心の底からわいてきた
子ども達を集めて
「いろいろとお話してくれたこと、
内緒だよと打ち明けてくれたことを、
大人の人達に伝えてもいいかな」
と聞いてみた
子ども達は、口々に「いいよ」と言った
「何だか自信になるね」
「みんなのためになることでしょ」
そして、子ども達は「先生、また会いに来てよ」と言って笑った
写真は、優勝を知らせる子ども達の手紙
「先生が今何をしているのか分からないけど応援しています」
と書かれていた
ありがとう、ありがとう、大切な子ども達
こころは繋がっているから
あなた達を想う時は、
「幸せに」と想う