子ども達との物語

「怒り壺」に向かって気持ちを叫ぶ~アドラー心理学の「課題の分離」~

「天才のたねのみつけ方」は、以前担任をしたR君と4年の歳月を経て再会した時に「先生は僕だけを特別視しなかった。みんな一人ひとりに、天才のたねがあるって特別に思っていたでしょ」と、わたしの大切にしていたことをR君が覚えいたこと、彼の透明な感性を通して「一人ひとりを特別に思っていた」と捉えていたことのが嬉しくてナミダが出たことが始まりでした。(最初の記事「みんなの中に必ず一つはあるよ『天才のたね』」

こつこつと亀さんの歩みで書いたこちらのブログも100記事を超えました。「天才のたね読んでいます」「ぺんぎん先生」と声をかけられることも増えてきました。ありがとうございます。この記事が本か何かのカタチとなってかつての教え子達にいつの日か届き、「天才のたねってあるんだよ」と、目の前の子ども達の可能性を信じる心とともにあたたかな眼差しで語りかける姿をイメージすると、とても嬉しい気持ちになります。

久しぶりのブログ更新です。

今回は、「ふわふわとチクチク」に登場した優しく心穏やかな男の子も低学年の時に泣かされた「やんちゃな男の子」の3年生の時のエピソードです。

イライラの連鎖

家で嫌なことがあると、朝イライラとした様子で教室に入ってきては、優しそうな友だちにケンカをふっかける男の子がいました。9才の男の子でした。男の子のイライラはイライラをぶつけられた相手に、さらにその先にと広がっていくことがありました。

ある日、ケンカをふっかけられた男の子のお母さんからわたしに電話がかかってきました。

「もうこれで3度目です。普通は『ごめんなさい』と謝ったら同じことは繰り返さないですよね。先生からもう2度としないようにきつく指導してください。相手の親御さんにもそう伝えてください。」

憤った(いきどおった)様子が電話口からも伝わってきました。

わたしはそのお母さんの懸命さや腹立ちはよく分かりました。同時に、「本当にそれはいい方法だろうか?」とひっかかりました。その方法は、その男の子の行動を一時的にやめさせることはできても、友だちにイライラケンカをふっかける男の子が自ら(みずから)変化する方法とは思えなかったからです。又、その男の子の家庭の事情からも、相手のお母さんを追い詰める気がしてなりませんでした。

わたしは、(どうしたものか、、、)「う~ん、う~ん」と返答に窮しならが、職員室の窓の外に広がる空を見上げると、ひらめきました!

それぞれの課題として捉えればいい!(ヒント1)

イライラからふわふわへ

わたしは電話口でお母さんに語りかけました。

「あなたのお子さんは幸せですね。嫌なことがあって泣いたら、抱きしめてくれる人がいます。こうして気持ちを代わりに伝えてくれる人がいます。わたし、分かったことがあるのです。それって、全ての子にとっての『当たり前』じゃないですよ。特別なことなのですよ。」

すると、さっきまで憤っていたお母さんの気持ちが落ち着いてきました。相手のお子さんの事情をうすうすと察していたのでしょう。相手を思いやる心の余白ができたようでした。

「先生、分かりました。それならどうすることがいいでしょうか。」

と、一歩譲ってくださりました。わたしは、

「子ども同士で話し合う場をつくりましょう。お互いに本音を伝え合うことで、今回のことから何かを学んでお互いの成長になると思います。ごめんねと言っても『いいよ』と無理して言わなくてもいいですし、嫌な気持ちになったことを伝えてもいいとお子さんにお話ししてもらえますか。」

と提案してみました。すると

「分かりました。わたしの方から息子に自分の気持ちを正直に伝えるように話をしてみます。」

となりました。

本音を伝え合う

翌日、2人の子どもの話し合いの時間をつくりました。ケンカをふっかけた子が

「悪口を言ってごめんなさい」

と言いました。それまでの悪しき習慣で「ごめんなさい」と言ったら、簡単に「いいよ」と言ってもらえるものだという安易な感じがする謝り方でした。すると、前日に泣いた男の子が

「ぼくは、そのごめんなさいが本当のごめんなさいかどうか分からない。だって3回あったから。今回は許せても、次は許せない気持ちになると思うから、次は絶対にしないと約束してほしい。」

ときっぱりと伝えたのです。「ごめんなさい」と言ったら、今まで通り「いいよ」と言ってもらえるものだとどこかで思っていた友だちのいつもとは違う毅然(きぜん)とした態度に、男の子はハッと驚いた表情をうかべた後でうなだれました。そして、顔を上げると、

「次からはしないように気をつけるから、ごめんなさい」

と、心から謝ったのです。

同じことを繰り返すと許してもらえなくなることもある、、

そのことを知った男の子は、話し合いが終わった後も落ち込んで元気がでない様子でした。わたしは横に座ると、

「もしかしたらね、家で我慢していることがあるんじゃないのかな?本当は何があったのかな?」

と、たずねてみました。すると男の子はうっうっと泣き始め、絞り出すように家で起きたことを打ち明けてくれました。そして泣き止むと、意を決した様子で

「嫌なことを友だちにしてしまう自分をなおしたい。」

と言ったのです。本気で変わりたいんだなと感じました。

(イライラとして嫌なことをしてしまう自分をなおす方法とは、、、、う~~ん、う~~ん)と知恵を絞りました。

すると、ひらめいたのです!

「そうだ!怒り壺(ヒント2)でもつくって、2人で一緒に叫んでみる?人にイライラをぶつけるからケンカになっちゃうけど、壺ならケンカにならないよ!」

と提案してみました。「え?何?怒り壺???」という反応の男の子が見ている前でわたしは壺の絵を画用紙に描き、

「この壺に向かって何でも叫んだらいいよ、壺だから」

と言い、

「ばか~~~~!腹が立つ~!!!!」

とやってみせました。すると、男の子も

「バカ~!」「嫌だ~!」

と一緒に叫び始めました。一緒に叫んでいると、男の子のイライラの奥底に隠されていた本当は寂しかった気持ちや悲しかった気持ちも流れ出てきたように感じられました。

(イライラのもとは寂しさなんだな、、、)

わたしはそう感じるといたたまれなくなって、男の子をぎゅっとハグして(配慮1)、コチョコチョとくすぐり、アハハハハと笑いました。男の子もアハハと笑いました。その日から「むしゃくしゃする」と言いに来ては、怒り壺にワーと叫ぶ、紙に嫌な気持ちを書いてまるめてゴミ箱に捨てる、変顔してみる、深呼吸をして好きな漫画を思いうかべてみる、コチョコチョするなど、「イライラを友だちにはぶつけない」イライラ解消法を一つずつ試していきました。

お別れの日に

お別れの日がやってきました。離任式の日のことです。壇上でお別れの挨拶をし、体育館を後にするわたしの周りに子ども達がたくさん集まってきました。わたしも子ども達も別れが悲しくて泣いていました。すると

「先生、がんばって!これからもがんばって!」

と、わたしを励ます声が聞こえたのです。その声の主に視線を向けると、そこには「ばか~」「嫌だ~」と「怒り壺」に向かって叫んでいた男の子が、精一杯の笑顔をわたしに向けて手をふる姿があったのです。

たまゆらフォト

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解説編 ひらめきの背景

ひらめき(創造性)というのは、それまでに培われた知識や経験と意志の力の掛け合わせで現れるものではないかと今のわたしは考えています。そこで、今回はひらめきに至った背景を解説してみます。

ヒント1:「それぞれの課題として捉えるんだ!」

こちらのひらめきは、アドラー心理学の「課題の分離」の考え方が根拠となっています。お母さんはわたしが「きつく指導する」ことで相手のお母さんや相手のお子さんを変えようとしました。わたしは「変えることができるのは自分だけ」という前提で、自分の領域の中で何が課題で何ができるかを先に考えます。相手の領域に入りこんで相手を変えようとしていたお母さんを、一旦ご自身の領域に戻っていただき、わたしはわたしの領域からできることを伝えて、お母さんには息子との関係から何ができるかを考えてもらいました。気持ちが落ち着くと、普段の賢明さを取り戻したお母さんは、「わたしの方から息子に自分の気持ちを正直に伝えるように話をしてみます」とご自身のできることを伝えてくださいました。

アドラー心理学の「課題の分離」は、ケンカをしていつも相手を責めていた子達(10才の集団)にとっても有効な考え方でした。「相手のお庭」と「自分のお庭」として図を描いて説明し、相手を責めていいる時は相手のお庭にいるので、まず自分のお庭に戻ってそこから「本当は何をしたかったのか。」「本当は何をしたいか」を互いに伝え合うことを、ケンカになるたびに繰り返し試みたところ、相手を責めることをやめて、自分の心を見つめて話し合いで解決するように変化しました。

参考記事:人は変われる~もう、心が羽ばたいているよ~

    イライラケンカを乗り越える~子ども達の再生と成長~

ヒント2:「人にイライラをぶつけるからケンカになっちゃうけど、壺ならケンカにならないよ!」

「怒り壺」のひらめきは、心の科学とも称される仏教の「怒りの扱い方」と心理学のネガティブな感情の扱い方の掛け合わせです。仏教では、怒りは人に向けないとされています。例え正しいことであっても怒りとともに伝えられたら、怒りの方に反応して傷ついたり反感を覚えたりするものです。また心理学では、ネガティブな感情にふたをするとポジティブな感情も感じられなくなるとされています。つまりネガティブな感情を感じないようにすると、嬉しい・楽しいといったポジティブな感情も感じなくなり、嬉しさや楽しさを感じないと自分は何をしたいのかが分からなくなっていきます。そこで、怒りや悲しみを抑えて我慢するのではなく、壺に向かってはき出したり、言葉や絵に描いたりする方法を試みました。

配慮1:子どもの身体に触れることについて

感覚は人それぞれ異なります。身体に触れることを喜ぶ子もいれば嫌がる子もいます。虐待を受けて触れられることを怖がる子もいます。一方で、心に寂しさを抱えている子にとっては、ハグがその子の心を支える時もあります。わたしは、見分ける方法として、「ハグしてほしい子~?」と子ども達にきき、近くに寄ってきてハグされたがる子を覚えておいたり、「そうしてほしいけど自分からは近くに行けない」子の表情の変化を見て関わるようにしていました。今回の男の子は、「ハグしてほしい子~?」ときくと、真っ先に駆け寄ってくる子でした。きっと甘えたかったのだと思います。

関連記事:わたしの心を支えた言葉

     危うさを抱える「頑張り屋のいい子」~Sbタイプの子どもたち~

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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