子ども達との物語

先生、お兄ちゃんは本当にダメになっちゃうのな。

ご質問をいただきました

「先生、お兄ちゃんは本当にダメになっちゃうのかな。」

子どもが元気のない様子で聞きにきました。「どうしたの」と聞くと、教室を飛び出す6年生のお兄ちゃんのことを、ある先生が「このままだとあの子はダメになる」と言っているのを聞いて、心配になったとのことでした。「う~ん(何て応えたらいいのだろうか)」10歳の子どもからの問いに真剣に考えました。

ご質問にお答えします

「お兄ちゃんが将来ダメになるなんて、未来のことは誰にも分からないよ。お兄ちゃんは、確かに今教室を飛び出して、そして、体育館のステージの下に隠れたり、木に登ったりしている。だけどね、あの隠れっぷりや木登りっぷりは、ある意味お見事。狩猟・採集で生きてきた約2300年以上前の縄文時代にお兄ちゃんが生きていたら、(村)一番の狩人となって、大きな獲物を捕らえていたかもしれないし、ブラジルのパンタナールという草原には今でも牛飼いがいるから、広大な草原で生き物相手なら、お兄ちゃんに合っているかもしれないよ。生きる時代、生きる場所によっていい悪いは違ってくるから。それよりも、お兄ちゃんに合った場所を探したらいい。きっと見つかるよ。だって、世界は広いから。」と、目をじっと見て応えました。すると、「うん、お兄ちゃんはかっこいいんだ。山に一緒に行くと、お兄ちゃんはいろんなことができるんだよ。」と、山でのお兄ちゃんの活躍っぷりを話してくれたのです。

社長さんたちにインタビューする

わたしは、超多忙な先生時代、家の近くの居酒屋にご飯代を預けて、晩ご飯を毎晩、居酒屋で食べていた時期がありました。そこは、場所柄なのか会社経営者や起業家の方々との出逢いも多く、わたしは出会うと「学級委員していましたか?」「どんなお子さんでしたか?」と夜な夜なインタビューしていました。すると、「やんちゃだった(飲食・建築会社経営)」「暴れん坊で3年生まで席に座らなかった(税理士事務所経営)」「6年間宿題1回も提出しなかった(海外で会社経営)」という社長さん達に出逢い、「あれ~学校での『いい子』と社会の成功とは必ずしも=(イコール)ではないのだな。」と、思っていたことがありました。

ブラジルでの「マジか!」体験

わたしは、ブラジルに留学していた頃に、自分のそれまで生きてきた世界「当たり前」とされていたことが全然「当たり前」ではなくて、視野がとても狭かったことに気づきました。「鍾乳洞に行こう!」と誘われて「行く!」と応えたら、「汚れてもいい服と歩きやすい靴ね」と言われて、わたしは「???」と疑問でいっぱいでした。わたしにとって「鍾乳洞」といえば車で行って、入り口で入場料を払って入るアトラクションでした。ところが、ブラジルの「鍾乳洞」は、夜、車ででかけ、朝、山の入り口に着くと、ランプのついたヘルメットを渡され、大なたをもった男の人が、枝葉を払いながら獣道(けものみち)を歩き始めたのです。わたしの頭の中はずっと「???」となりながらもここまで来ちゃったからと、後についていくこと5時間・・・「到着した」と言うのです。目の前に崖があって、その下を川が流れていて、その向こうに小さな洞穴があって、その洞穴を指さして、「鍾乳洞についた」と言うのです。目の前は崖………わたしは、いったいそこから何が起きるのかさっぱり分かりませんでした。すると、身体をロープで結んだ男性陣が、崖を降りていき、ジグザグに待機し、「降りておいで」と言うのです。もう、「マジか!」体験です。男性陣に身体を支えられながら、崖を下ると首の下まで川の水につかりながら、洞穴を目指して泳ぎます。洞穴に到着すると中は真っ暗。そこを手を繋いで前に進んでいくと、「さあ、明かりをつけて」と声がかかりヘルメットのランプを灯しました。その瞬間、ランプの明かりに反射して鍾乳洞がきらきらと輝いたです。とても美しい瞬間でした。そして、暫く(しばらく)そこに佇むと(たたずむ)と、また、川を泳ぎ、崖を登り、大なたをふりながら歩く人を先頭に獣道(けものみち)を5時間かけて歩いたのです。「わたしの常識とブラジルの常識、『鍾乳洞へ行く』1つとっても違うんだ。」と、思った体験でした。

ブラジルで広さを体験

その後も、友だちに誘われてパンタナール(ブラジルの湿地帯)にも行きました。地図を広げると、なぜか国道が点線で描かれています。実は、その国道は、乾期のみ使える国道で、雨期になると沼地となり使えなくなる国道でした。広大な湿地帯の中に真っ直ぐに伸びた一本の道があって、その両脇にはワニがごろごろとお昼寝していました。最初は、「わ~ワニだ!」とはしゃいでいたのですが、この光景が車で120㎞で飛ばして、5時間経っても、6時間たっても変わらないのです。なぜなら、ブラジルのパンタナールは、日本の国土と同じ広さなのですから。地平線まで一本道を見たのは、生まれて初めてでした。

言葉のもつイメージの違いを体験

そして、ブラジルでみたアマゾン川。夜、船で横切った時、満天の星空が頭の上一面に輝き、視線を下ろしていくと水平線から下が漆黒の闇なのです。向こう岸の見えない川なのです。川の広さが、まるで海のようでした。川をポルトガル語では、rio と言います。だけど、同じ川と言っても、言葉のもつイメージが全然異なることも、わたしは体験を通して学んだのです。世界は広くて、知らないことばかりだなということも。

子どもの中に潜む宇宙

わたしは、一人の子どもに出会うと、その子どもの可能性はとっても広くて宇宙のようで、知らないことばかりで発見の連続だなと思います。わたしが目を見開いて探しても見つけられる子どもの可能性は、その中のほんの僅かな部分だけ。ブラジルで息をのんで眺めた満天の星空の様な宇宙が、一人の子どもの中にも潜んでいるように感じるのです。


ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

POSTED COMMENT

  1. ほしのまろん より:

    あるかたが、
    ひとりの見知らぬ子供が、亡くなったニュースを見たときに、
    ごめんなさいですむか
    この子供が国をかえたかもしれない
    世界をかえたかもしれないんだぞ

    っと語ったのを思い出しました。

    満点の星空と同じに、
    世界は果てしなく
    わたしたちのうちなる可能性も果てしない

    お兄ちゃんは

    いま
    なにをしているのかなあ

    果てしない可能性を天才の種として、見出してくれたペンギン先生と出会った子供時代から、
     さらに
    社会に負けないで
    自分をいきているかなあ

    わたしは
    たくさんのいまある大人たちに
    ペンギン先生と同じ可能性をみいだして

    世界の窓をすこし開きたくなりましたあ。

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