ペンギン先生の実践

言葉を上手く伝えられない子への対応

ご質問をいただきました

行動心理学をご専門とする教授からご質問をいただきました。

「(言葉を上手く伝えられない子どもに対して)大学の教員養成課程では教えていないのに、なぜそのような対応がとれるのか。どこで学んだのか。」

わたしのクラスのフィールドワークに入り わたしと子ども達とのやり取りを1年間に渡って克明に記録し 「教師と子どもとの信頼関係」という論文を発表した方がいました。その論文の中に、授業中発言する場面で言葉が伝えられなくなって口ごもった女の子へのわたしの言葉かけや対応についての記述があり、それを読んだ行動心理学をご専門とする教授から質問がありました。

ご質問にお答えします

先の質問をされた時の当初の答え

「え〜なんでだろう? (心理学)オタクだからかなぁ」

と、その時のわたしは的確に答えられませんでした。3年の月日を経て先ほどやっと答えを見つけました。

いいなぁと心がじんわりと感じた子どもの姿を見てまねをしたのです。

答えを見つけるきっかけ

先日、3歳から18歳ぐらいの子どもや青年、親、教員を目指す学生の方やこの春に特別支援学校の先生になる方などからなるボランティアスタッフなど、総勢29名で「あそびのがっこう」を開催しました。最初に、 アイスブレイクと自己紹介がありました。人間関係に苦手意識があったり、コミュニケーションをとることに消極的だったりする子どもも参加していました。一人ずつ順番に名前と「あそびのがっこう」でどんな気持ちになりたいかを伝える時に、一人の男の子が言葉を伝えられなくてモジモジしました。その男の子からわたしは対角線上の離れたところにいたのですが、ふと身体が動き ネコが近づくように男の子に腰をかがめて脇からそっと近寄ると男の子を見上げながら「お名前を教えて」と聞き内緒話をするように彼の口元に耳を近づけました。すると男の子が名前を教えてくれたのでわたしは拡声器役となって、皆さんに彼の名前を伝えました。そのあとで、どんな気持ちになりたいかを尋ねると男の子は首を傾げてモジモジしました。そこで、わたしは「楽しい気持ち? 嬉しい気持ち?ホッとする気持ち?」と聞いてみました。すると、男の子は「楽しい気持ち」と教えてくれたのでまたまたわたしは、拡声器役となって、皆さんに彼の気持ちを伝えました。その様子を見ていた方の中にプロカウンセラーの方がいて 「あれは、高等技術だった。なかなかできない。子どもへのアプローチの仕方、話の聞き方、選択する気持ちの問い方、間合いなどがその男の子にとって 『1つできた』という小さな成功体験にもなり、その後、前向きな気持ちにもなるようにも関わっていた」とのフィードバックをいただきました。わたしは自分の身体が自然に動いてしたことなので、「へえ~プロカウンセラーさんの視点からはそう捉えるのだな」と思いました。フィードバックを受けて、ある子どもの姿を思い出しました。

ある子どもの姿

子ども達との日々の中で起きた出来事です。ある女の子がトイレに篭って(こもって)出てこないのです。子どもがトイレに篭もると、親や先生達は「出てこい!」と言って外から怒鳴って無理矢理、トイレの扉を開けようとしました。でも、ある10歳の女の子の対応は違いました。トイレの扉から「どうしたの?誰か嫌なことしたの?1班の子?2班の子?」と順に聞き、8班の子と分かると、次は8班にいる子の名前を「〇〇君? 〇〇さん?」と順に聞き、誰かが分かると「〇〇さんと話がしたい?それとも、今はまだやめておく?」と聞き、今はまだ話をしたくないと分かると「今はまだ話したくないんだね。分かったよ。」とその子が伝えた時に、トイレの扉がスッと開いて、篭って(こもって)いた子が中から出てきたのです。わたしは、その様子を見た時に、まるで閉じられていた心の扉が開いたみたいだな。子どもってすごいなと感じ入りました。そして似た場面に遭遇した時に、その子どもがした事を真似てみたのです。

その後も、 泣いている友だちがいると、側で黙ってじっと待っている子がいたり、勇気が出せない友だちがいるとそっと手をつなぐ子がいたりと、子ども達の友だちの気持ちを感じて友だちに寄り添う姿を見ては、心がじんわりとして嬉しくなったり、 いいなぁと感じたりして、その時の子どもの姿をまねしていったら、言葉が伝えられない子がいた時に先のような対応を自然にとるようになったのだと思います。

ある先生の姿

そんなお話しをしていた時に、あるお母さんが小学校1年生の授業参観で見た場面を伝えてくれました。子どもが発表の途中で言葉につまって口ごもった時に、先生がその子どもを皆の前で叱り、結局なにも話せなくなった子どもに対してダメ出しをし、周りの子ども達がクスクスと笑った場面でした。わたしはそれを聞いて、その子どもはその経験と先生の姿から何を学ぶんだろうと思いました。人が怖いということかな、それとも、自分の存在が恥ずかしいということかな。本当のところは子どもに聞いてみないと分からないものの、胸が痛みました。そして、周りの子ども達も、言葉を伝えられない子がいた時に大人がダメ出しをしたことで、友だちが自分の想いや考えを言葉で表現するときに、応援の気持ちで待つことや友だちの力を信じて待つことの代わりに、友だちをあざけり笑うことを学んだとしたら、子どもが言葉を伝えられない時に皆の前で叱った先生は、その姿でいったい何を子どもに教えているのだろうか、とても残念なことだと思います。

まとめ

「(言葉を上手く伝えられない子どもに対して)大学の教員養成課程では教えていないのに、なぜそのような対応がとれるのか。どこで学んだのか。」というご質問に対する答えは下記の通りです。

目の前の子ども達の姿をじっと見て、「嬉しいな、いいな」と感じたことを、まねして自分に取り入れていく、つまりは子ども達の姿から学びました。「子ども博士課程」です。


ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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