ペンギン先生の実践

嘘を繰り返したり、友だちをいじめたりする子どもに出会った時に

教師になったばかりの4月の学級開きの日、1年間一緒に過ごす子ども達を前にして「あれ?あの子とあの子、何だか変、、おかしいな、、」そう感じた子どもが2人いました。後に、1人は父親から、もう1人は母親から暴力や暴言を受けている子どもだと分かりました。

父親から暴力を受けていた子どもには、自分より弱い立場の子どもをバカにしたりあざけったりする態度がみられました。個人懇談の際に、「本当は心の優しいお子さんだと思うのに、友だちにそんな態度をとるのはなぜなのでしょうか」とお伝えしたら、お母さんがウッと言葉を詰まらせたかと思うと泣きだして、父親が仕事でうまくいかない事があると子どもに暴力をふるうと打ち明けられました。

母親から暴力や暴言を受けていた子どもは、嘘を繰り返すことがありました。わたしの何がいけなくて子どもがわたしに嘘をつくのだろうかと最初とても悩みました。あるとき、高額な商品を子ども同士でやり取りしている事が判明し、母親が「学校でどんな教育をしているんだ!」と喧嘩腰で来たことがありました。その際、子どもがガダガタと震えて、わたしの横から離れようとしませんでした。「お母さんが学校にやって来ると知ってから、階段でうずくまって泣きだしたのでわたし授業を他の先生にお願いして、ずっーと隣にいたんです。何か心あたりはありますか?」と尋ねたら、2人きりになった時に、過去子どもにしてきた暴力・暴言の数々を母親本人から1時間半にわたり打ち明けられました。ああ、嘘を繰り返していたこの子は自分の命を守るためにそうしていたんだなと気づきました。命を守るために嘘をつく子どもがいるということを知ったのです。子どもが母親の期待通りの成績や成果を達成しなかったり、行動をとらなかったりすると、激昂しては暴力や暴言でカマキリが鎌を振り下ろすかのように子どもを傷つけるお母さんを「カマキリ母さん」と心の中で名付けました。

「カマキリ母さん」の思い通りにはならないことへの怒りや憎しみのこもったお話しを聴いた後で、わたしは体調がおかしくなりました。翌日無理をして学校に行ったものの高熱を出して早退することになりました。その後、「カマキリ母さん」にどう対応したらいいのかを悩みました。正直、「カマキリ母さん」からの話を聴き、関係性を築くことはわたしにとって怖いことでした。しかし、そのまま知らないふりをして見過ごすことはもっと怖いことでした。担任をしていた子どもへの愛情があったので変化を起こしたかったのです。わたしは意志の力を振り絞り、「カマキリ母さん」に連絡をし子どもに暴力や暴言をする前に必ずわたしに電話をする約束を取り付けました。怒りを子どもに向ける前にわたしに電話をするという一つの行動を「カマキリ母さん」が行うことで、子どもへの暴力や暴言を減らす事ができるかもしれないと考えたからです。

「カマキリ母さん」からの子どもに対する悪態や「今手を出してしまいそうだ!」の怒りの電話に、担任ではなくなった翌年も対応しました。「カマキリ母さん」もご自身の力で怒りを止められないからこそ、子どもとの関係性を変えたいと思ったからこそ、わたしに電話をしてきたのだと思います。子どもが卒業するまで「カマキリ母さん」からの電話は続きました。

その当時のわたしは、自分を労る(いたわる)ことが下手でした。どうもわたしは長年にわたって「カマキリ母さん」への辛さを心の奥底で抱えていたようです。「カマキリ母さん」には怒りや憎しみをそのまま人に向けたり、恥や罪悪感を与えてコントロールしようとすることで支配と依存の関係性を築こうとする力が強く、自分が何を感じているのかが分からなくなっていきます。心が感じなくなるのです。

当時のわたしはまだ「怒り壺」をひらめくには至っておらず、「かまきり母さん」の怒りをまともに受け止めておりました。今振り返ってみると、その時に自分が何を感じていたのか、その辛さをねぎらう心の余裕と知恵が必要だったなと思います。

(参考記事:「怒り壺」に向かって気持ちを叫ぶ

「カマキリ母さん」の子どもの様子はいつも気になりました。担任ではなくなってからも廊下ですれ違う時には声をかけようと決め、『おはよう』『どう』と声をかけていました。彼女はわたしと会うと、笑顔をわたしに向けてくれました。彼女が卒業する時、彼女からは「先生はいつも笑顔で声をかけてくれました。それがすごく嬉しかっです。ありがとうございます。」と感謝の手紙を受け取りました。わたしはその手紙を読んだ時に「たったあんな事で、、」と胸をかきむしりたい気持ちになりました。笑顔を向ける、温かな眼差しで見つめる、「おはよう」「どう」と声をかけるといった小さな行為(存在承認)を身近な大人から得られない子どもは、たったあんな事でこんなにも喜ぶほど心がカラカラに渇いているのだという事をわたしに教えてくれたのは彼女でした。同時に、子どもの存在を喜び、笑顔を向ける大人が1人でも近くにいたら、変化は起きる、希望はあるという想いにもなった経験でした。

進学を機に母親から離れて暮らすことになった彼女のことを思い出すたびに、あの当時の自分には精一杯の対応でも、あれでよかったのか、もっと何かできたのではないだろうか、彼女は今幸せでいるだろうか、、、と考えずにはいられない子どもの1人です。だからこそ、わたしは知識や知恵を身につけて成長したいと思い、学びました。

その後、「もう学校では対応できません!」と中学校で言われた「怪獣母さん」に出会いました。小学2年生で家出をしたこともある子どもの日々の環境を変えたくて、つまりは「怪獣母さん」と子どもの関係性を変化をもたらしたくて対応しました。「カマキリ母さん」の時よりも身につけていた知識や知恵があったからでしょうか。それとも子ども達の姿にたくさん励まされて諦めずに対応し続けられたからでしょうか。「怪獣母さん」の子どもに優しくしたら子どもがダメになるという思い込みを少しずつ外れていき、結果「怪獣母さん」と私の間の関係性にも変化が起きました。

(参考記事:モンスターママとの日々~火をふく「怪獣母さん」と魔法~)

子ども達は優しさと思いやりを生まれもってみんなもっています。

そんな子ども達が嘘を繰り返したり、誰かをいじめたり、暴力・暴言を繰り返したりする時には、実はその子どもにとって安心する居場所や誰かからの優しさを今とても必要としているサインだと思います。

表面に出ている目に見える行動から「悪い子!」「ダメな子」「いじめをする子」とその子の存在を否定的に決めつけたり罰したりする前に、

目には見えない心に何を抱えているのだろう、

どんな背景をもって今、生きているんだろう、、

そんなことを心の中で思い巡らせながら

「どうしたの」と

子どもに問いかける大人が1人でも多く増えますように。

その子の存在を喜び、笑顔を向ける大人が1人でも多く増えますように。

関連記事:「暴力をしたり暴言を吐いたりする子どもに出会った時に」

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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