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吉岡先生にどうしても会いたい!
「医療の届かないところに医療を届ける」
国際ボランティア団体ジャパンハートを創立した吉岡秀人医師は、
ミャンマーで子ども達が治療を受けられずに、
死んでいく現状に我慢が出来なくなって、
無償で治療を一人から始められた小児外科医の先生です。
以前、地雷除去・平和教育・子ども兵の社会復帰を行っている
認定NPO法人テラ・ルネッサンスの鬼丸さんのお話し会で
お隣の席に座った江口社長が、
カンボジアの電力不足で手術中に明かりが消えてしまうことを知り、
「ぼくのできることで貢献したい」と
太陽光発電のパネルをジャパンハートに寄付することに決めました。
その江口社長と再会した際、わたしはジャパンハートの吉岡先生の存在を知りました。
とても気になったわたしは、
吉岡先生のblogを読んで、Youtubeを観て、
手術をすることでその子の人生の質が変わるんだと信じて、
行動する姿に感銘を受け、
同時に、薬や器具がままならない場所で治療を始められて、
命を見送らないといけないこともあっただろう痛みに、
心折れることなく続けられる力の源が何かが不思議で知りたくなりました。
江口社長にお会いした翌週、
ジャパンハートへの視察ツアーを企画された
中村社長にたまたま再会し、
「緊急手術などが入らなければ、吉岡先生にもお会いできるかもしれないよ」
とうかがい、プノンペン現地集合・現地解散の視察ツアー
(2018年9月19日・20日開催)に申し込みました。
開催日5日前のことでした。
吉岡先生のお話を聞く機会に恵まれる
カンボジアの首都プノンペンの中心部から車で約1時間のところに、
ジャパンハートこども医療センターがありました。
そちらで、吉岡先生に直接お会いしお話しを聴く貴重な機会に恵まれました。
以下、吉岡先生のお話しです。
一年に1人か2人の命が救えて、
二年で5人か10人の命が救えて、
そうやって、10年後、20年後になった時に救える命が
もし一年スタートが遅れることで削られる成果があるんだ。
スタートが遅れたら、一番後ろの成果が削られるんだ。
だれかがやらないと!だから始めた。
がんの専門医が一人だけのカンボジアで
肝臓がんや腎臓がんになった子どもの治癒率は0%
たくさんの子ども達を見送ったからこそ、
カンボジアでこども医療センターを始めた。
そして、命を助けるだけが医療の役目じゃない。
もっと大きなものがある。
メンタルケアに、兄弟達への学習支援
子どもを世話をする母親への食事や生活の補助
これはSocialな試みで、小児がんを通して社会を変えるんだ。
日本の小児がんの子ども達には、
すまいるスマイルプロジェクト
http://www.japanheart.org/smile/
カンボジアの子ども達や看病に付き添う家族には
給食センタープロジェクトが進行している。
もともとは、ミャンマーで一人から始めた医療活動だった。
それは、たくさんの日本兵が命を失った地に
兄弟やご主人を亡くされた家族の方々が
慰霊のために訪れていたが
戦後50年を経てご高齢となり、
ミャンマーの地を訪れることができなくなり
新しい慰霊のカタチを模索していた。
そこで探し探され、わたしにたどり着き
遺族達からわたしに想いを託された。
仲間が逝った。
友が逝った。
愛する家族が逝った大地。
命からがら生き延びた。
その時、農民に命を救われて
自分だけが助かった、
申し訳ないという想いや気持ち。
その想いをどうか聴いて受け取って
今、ミャンマーで死にゆく人たちを
吉岡先生、助けて下さいと託された。
過去と未来が繋がるポイントにいるのは、
ぼくだけで、過去に向き合って受け取って
戦争で命を落とした20万人の代弁者として
20万人の命を救うまでこの活動を続けるんだ!
というミッションから始まった医療活動なんだ。
ここは、ぼくの存在価値が最高に活かされる場所、
ぼくは、幸せなんだ。(吉岡先生のお話の一部です)
歴史の力を受け取ったからこそ
個人的なことだと前置きして
吉岡先生がお話ししてくださったことから
過去に向き合って歴史の力を受け取ったからこそ
ギリギリのところで踏ん張って決断し、
最良を選択・創造する力になっているんだと私は感じました。
言葉に表現できないような悲痛な想いや、
胸を突き刺すような痛みをご家族に代わって
担われることもあっただろうに…
ずっと捨て置かれた難病の子ども達や
その子ども達の家族の「心を救う医療」をやると決めた人
それが吉岡先生という人でした。
ジャパンハートの今後の活動
ジャパンハートの活動は、今までは、
「(医療の届かない)貧しい人たちに医療を届ける」
これからは、
「(医療の届かない)貧しい人たちに最高の医療を届ける」
をビジョンに
日本からトップレベルの医者を呼んで
こちらで若い人たちの技術力を上げる
人材育成が始まっています。
こども医療センターでは、吉岡先生と活動を共にしたいと
若い医師の方々や、板前・元リクルート社員など多様な職歴の方々が
無償医療活動、給食プロジェクト、広報などに参加し、創り上げています。
「先進国と途上国の子どものがんの治癒率のギャップをなくす!」
という想いから、無償ボランティアとして活動している
小児科医の嘉数真理子先生にもお会いしました。
沖縄県出身の真理子先生も沖縄県の歴史の力を受け取って、
カンボジアの医療再生を担っている方です。
沖縄はかつて、40年前のカンボジアと同様、
沖縄戦で医療が崩壊した悲しい歴史があります。
「沖縄の医療復興の経験をカンボジアでも生かせるのではないか」
その活動がNHKで放映されました。
一人から始まった医療の灯火(ともしび)
1995年、一人から始まったミャンマーでの医療活動が
今ではミャンマー、カンボジア、ラオス、東日本大震災復興支援、
僻地離島の地域医療、国際緊急救援、
小児がんの子ども達へのすまいるスマイルプロジェクトと広がり、
2004年日本発祥の国際医療NGOジャパンハート設立以降、
約3500人のボランティアが参加し、
途上国で15万件の治療を行う活動となりました。(2017年12月現在)
ジャパンハートの創立者である吉岡先生は、
ご自身のことを「ぼくは川の流れの1つの分子だ」と称していました。
カンボジアに設立された
「ジャパンハートこども医療センター」
いろんな役割を果たすボランティア一人一人が集まって、
カンボジアやミャンマーの難病の子ども達に
最高の医療を届ける取り組みは、
2030年カンボジア人による自立医療を目指しています。
一人の日本人の心に宿った想い…
「心を救う医療」とは
特定非営利活動法人ジャパンハート
吉岡秀人先生のblogはこちらです。
ジャパンハートの活動はこちらです。
ボランティアとしての参加や、
寄付することで活動・運営費を支援することができます。
来年(2019年)
こども医療センターに必要な蓄電器を購入するクラウド・ファンディングを予定しています。