ペンギン先生の実践

「仕方のない子」と言われた女の子が教えてくれたこと

「仕方がない子」と言われた女の子との出会い

子どもにま前に前にと進む力がある、子ども達一人ひとりに「天才のたね」があると心の奥底から信じられるようになったわたしの、最初のきっかけとなった女の子のお話です。

外国籍の子ども達に感じた胸の痛み

ポルトガル語の通訳兼日本語指導員として公立の小中学校8校を巡回指導した時、20人の外国籍の子ども達に出会いました。その子ども達の殆ど(ほとんど)が言葉が分からない、自信がない、笑うことがない、そして、中には学校を辞めていく子どももいました。教室の中で笑うことのない子どもに出逢った時も胸が痛みました。学校を辞めていく子どもに出逢った時も胸が痛みました。わたしは、胸が痛むたびに、「こんな現状嫌だ~!納得できない!」「こんなに力のない、何にもできない自分も嫌だ~!!!」という気持ちを味わいました。痛みを感じるというのは、本当につらかったです。そのつらさを否定せずに、とことん味わったら、わたしの内側から、「国籍や家庭環境に関係なく、才能が開花する方法がきっとある」という想いがわいてきました。上手くできるかも分からないし自分に合っているかも分からないし不安でたまらなかったけど、想いがわいてきたので先生になると決めました。

日本語教室の先生になる

最初は、公立の小学校の中にできた日本語教室の講師としてスタートしました。教室をお掃除して、教材を準備することからのスタートでした。そして、外国籍の日本語が話せない子ども達に出逢いました。子ども達にとって、言葉が分からなくて学校に来ることは、毎日毎日がチャレンジです。わたしも、目の前の子ども達に必要なことは、今何なのかを見つけて、その時にできることをやり続けることは、毎日毎日がチャレンジでした。分からないことだらけ、出来ないことだらけの手探りの状態からのスタートです。一つ試みては、これは上手くいった…一つ試みては、これはダメやった…試行錯誤(しこうさくご)の日々ででした。幸いにも、外国籍の子どもが在籍するクラスの担任の先生と日本語が分からない保護者の方々との間の連絡事項や個人懇談でのやりとりにポルトガル語の通訳の立場で携わるができたので、多くの先生達の熟練の技を側で学ぶ機会がたくさんありました。学級経営が上手くいっていて、言葉があまり通じなくても、外国籍の子どもを受け入れて温かな関係性を築いている先生は、配慮が細やかで、視野が広くて外国籍の保護者や子どもが何に困っているか、どんな情報を必要としているかを捉えて手を差し伸べていました。先ず、その子どもの母語の挨拶を覚えようという姿勢がありました。わたしは、この日本語指導の先生兼通訳をしている頃に「ああ、この先生のされていることは本当に素晴らしいな」と尊敬する先生にも出逢い、わたしが子どもの対応でどの手立てがベストなのか悩んだ時には、先生が転勤された後でも、先生にご連絡して相談し、お知恵を借りるということをしていました。

個人懇談での対応に憤る

1学期が終わるころ、個人懇談がありました。その時は、たしか14人前後の個人懇談の通訳に入りました。その中の1人、1年生の外国人の女の子の保護者と担任の先生の通訳に入った時のことです。保護者に対して、その担任の先生はいかにその女の子が出来ないかを話し続け、最後には「給食のご飯の食べ方が汚い」と言い何一つその女の子のよさを保護者の方に伝えないまま個人懇談が終わりました。わたしは、その先生の態度に途中から呆れて(あきれて)しまい、そのまま伝えるのがあまりにも忍びないので別の内容を伝えるということをしました。そして職員室に戻った時に、その先生が「(外国人だから何もできなくても)仕方ない子だよね」と、その子どもがもつ可能性を否定する言葉にとうとうぶち切れ、「先生、お話ししたいことがありますからちょっといいですか」と、これも人生初!その先生を日本語教室に呼び出すと、「言葉が分からなくて教室にいることってそれだけでも子どもにとって大変ですよ。それなのに、1つもその子のいいところを見つけてないなんてどうゆうこと!こんなにひどい個人懇談、初めて見た!」と、教員歴20年以上のベテランの先生に向かって講師1年目の立場で言い放ったのです…当時は止められませんでした…自分を…

だったら、夏休みに日本語教室を開催する!

「(外国人だから何もできなくても)仕方がない子」という言葉と態度がどうにも納得がいかず、ひとしきり家でもぷりぷりとした後であっ!と思いついたのです。外国籍の子ども達は夏休みの間にずっと母語で生活をします。それだと日本語を忘れてしまうかもしれません。「仕方のない子」という先生の思う壺(つぼ)じゃないか!だったら、夏休みの間日本語教室開催したらいいかも!早速、夏休みに子ども達が学校の図書館に来て勉強する期間を同じよう日本語教室を開催したいと校長先生にかけ合って、日本語教室を開催することになりました。校長先生からは登下校に子ども達の安全を考えて、保護者の方が付き添うことが開催の条件でした。わたしは、当時2つの学校で日本語教室を担当していました。1つの学校の子ども達だけで日本語教室を開催するって、もう1つの学校の子ども達にフェアじゃないから、もう1つの学校の子ども達もご招待して、合同で学べるようにしたらいいなと考えました。課題は車で20分ほどの距離でした。すると外国籍の保護者の方が車で送り迎えをしてくれることになりました。(※注:今はこれが許されるかは分かりません)

女の子の変化

徒歩で来る子ども達の送り迎えは、件(くだん)の1年生の女の子のお母さんが担当することになりました。わたしは、せっかくお母さんが送り迎えに付き添ってくれるなら、日本語の授業の時にも一緒に側に居てくださいとお母さんにお願いしました。お母さんが座るためのイスをその女の子の横において、女の子がひらがなを学ぶところを見守っていてくださいとお願いしました。そして、「女の子が出来ない時に、お母さんは怒ったり叱ったりしなくていいです。お母さんはただ側で見ていてください」とお願いしました。お母さんは、毎日子ども達の登下校に付き添い女の子の横に座って、女の子が1学期間、教えては忘れ、教えては忘れていたひらがなを学ぶところを見守っていました。普段は言葉の分からないことから不安でいっぱいの外国籍の子ども達も日本語教室では、母語が伝わります。そこで、笑ったり真面目になったりしながら何だか楽しそうに日本語を学ぶ様子に、お母さんの緊張もほぐれて、女の子を優しい眼差しで見守るようになっていきました。そうやって5日間の夏休みの補習が過ぎたころです。1学期間、教えては忘れ、教えては忘れていた女の子がひらがなを読み始めたのです。女の子が一つひらがなを言い当てるとお母さんが嬉しそうに女の子を見る…すると、女の子もお母さんの嬉しそうな顔を見て一緒に嬉しそうに笑っているのです。わたしは女の子が急にひらがなを覚えたことにびっくりして、いったい何が起きたのだろう…なぜこの女の子は急に日本語を覚え始めたのだろうと不思議に思いました。

「仕方のない子」と言われた女の子が教えてくれたこと

その後、わたしは「大脳半球は機能的に右脳と左脳に別れていて、それぞれ得意分野を分担し、連携、補完しあっている。右脳と左脳をつなぐ経路が脳梁(のうりょう)である。この2つの脳は脳梁(のうりょう)を経て情報伝達をしている。つらい体験をすると本能的に自分を守ろうとし、右脳と左脳の橋渡しである脳梁も小さくなってしまう。(つまり情報伝達がされにくくなるから学習能力が下がるとわたしは理解)」という内容の脳科学の本を読んだ時に、なぜこの女の子が1学期間教えては忘れ、教えては忘れてしまったひらがなを、お母さんが側に座って嬉しそうにしていたら急に覚え始めたのか、腑(ふ)におちたのです。教室の中で亀のように身体をまるめて縮こまっていた1年生の女の子…わたしが感じていた以上にすごく辛かったのだな…そして、日本語教室で母語が通じるところでお母さんが側にいて嬉しそうな顔を見て安心したのだな…と思いました。「(外国人だから)仕方がない子」と言われた女の子と出逢い「『仕方がない子』ってどうゆうこと!『仕方がない子』じゃないんだよ!」と奮起して日本語教室を開催したら、子どもの成長にとって安心感がとても大切なことを知るきっかけとなりました。だからこそそれから9年後…教室を飛び出して、ブランコの横で固まって動かない「地蔵君」に出逢った時にも「地蔵君」の成長を信じて待つことができました。

子ども達は前に前にと進む力がある

今回は、共に過ごした日々を通して、子ども達のいのちの輝きに触れたことから、でこぼこでも真っ直ぐじゃなくても前に前にと進む力があるよ。そして、子ども達一人ひとりによさや才能、その子らしい「天才のたね」が必ずあるよ。ということを、こころの奥底から信じているわたしの最初のきっかけとなった女の子のお話しでした…

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「天才のたね」の発芽条件

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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