ペンギン先生の実践

算数の文章題につまずいた子ども達がのびのびの~びた♪~「きちんと」からの解放~

のび太君ってね

ドラえもんやひみつの道具に

いつもいつも頼っているみたいで

実は、試行錯誤しながら

自分で課題に取り組んでいく子なんだよ。

その試行錯誤の過程(プロセス)の中で、

潜在意識の中で

もともと持っていた

優しさや「いいところ」を

呼び覚ましていくんだよね。

そしてね、「いいところ」っていうのは、

一人ひとりが必ず1つはもっている

「天才のたね」のことなんだ。

算数の文章問題を1つ解くことからでも、

やさしさや「いいところ」を

呼び覚ましていくことができるんだ。

どんな時間も「天才のたね」を育てる時間にすることができるんだ。

ただ、多くの人がそのことに気付いていないだけなんだよ。

算数の文章問題ができない時に、

きちんとやりなさい!

ちゃんと読みなさい!

なんでできないの!

立ちなさい!

出来ないなんてダメです!

集中しなさい!

もう一度やり直し!

怖い顔で檄(げき)をとばす大人っているよね‥

わたしは、大人達のこんな言葉を耳にすると、

せっかく天才のたねから出た芽が

しおれちゃうように感じるんだ。

子ども達に「本当はどう思うの?」って聞いてみたらね、

ちゃんと読んでいるのにな。

きちんとっていったい何なの?

なんで出来ないのか一番知りたいのはわたしだよ。

出来ないことからと人前で立たされて恥ずかしい。

にらまれて怖いよ。

算数(先生)なんて嫌いだ!

という気持ちになるんだって

子ども達は打ち明けてくれたんだ…

きちんとしなさい。

ちゃんとやりなさい。

なんで出来ないの!

ダメな子!

問題児!と

周りの大人達に何度も何度も言われて、否定されて、

ついに我慢が出来なくなって、

「大人達の言うことなんか聞くもんか!」とばかりに

3年生で学級崩壊した子ども達にも出会ったことあるんだ。

その時に「きちんとしなさい!」って

子ども達に言う大人達をみて気づいたんだけど、

「きちんと」って曖昧(あいまい)な言葉だよね。

何をどうしたらいいのかが明確に伝わらないし、

「きちんと」ってよく子ども達に言う大人をじっと眺めていたらね、

言った大人の期待していることを期待した方法で

子どもがすると「きちんとできたね」ってほめて、

子どもがやりたいこと、

子どもがやりやすい方法、

子どもがその時のできるところまでをすると

「きちんとしてない!」って怒るんだ。

「きちんと!」「きちんと!」って、

透明な縄でぐるぐる縛ってキュウキュウにしておいて、

「ダメな子」「問題児!」と否定すると、

ゆるすことが得意な心の広い子ども達も、

「もう嫌だ!」「もうゆるさないぞ!」となって、

関係性が崩壊しちゃうんだなって思った。

3年生で学級崩壊した子ども達を

4年生で引き継いで担任したときの

4月最初の授業

子ども達の反応は冷ややかで無気力で

「面倒くさいし、やりたくないし、出来ないし」のどよ~んとした3拍子!

算数の思考(文章問題)の平均点は69点!

子ども達のことをすごくよく考える先生達が集められた学校だったけど、

職員室の中では、「なぜ出来ないのか」と子ども達の中に原因を見つけて

「出来ない」理由を説明する会話がわたしはすごく気になったんだ。

正直に言うと、納得できずに異和感を感じたんだ。

なぜなら、

「出来ない」理由をどんなに上手く説明をしたところで、

子ども達は「出来ない」ままだし、

大人が「自分は悪くないよ」って

自分のことを守っているように思えたんだ。

だから一緒になってその会話に参加する気になれなかったんだ。

むしろ、目の前の子どもが今

「面倒くさいし・やりたくないし・出来ないし!」

と言っている現状を、

「頭が悪い子だ!」「ダメな子だ!」

って判断したり否定したりせずに、

「今は、面倒くさいし・やりたくないし・出来ないし!なんだね」

ってそのまま受け入れて、

わたしは算数っていろんな考え方が学べて面白いと思うし、

子ども達に学ぶってことの楽しさを味わってほしいし、

問題が出来ても出来なくても算数を通して

子ども達の幸せに繋がるようなことで、

自分はその現状から「何ができるかな」を考えたんだ。

そしたら、文章問題を

「面倒くさくなくて・やりたくなって・できるようにする」ために

必要な力が何かを分析することだなって思いついたんだ。

だから、自分のできること、

算数の文章問題を分析することを始めた笑

つまり、

子ども達の中に「出来ない」理由を見つける会話への異和感をヒントに、

わたし

子ども達が算数の文章問題を理解するのに、どんな力が必要かを分析する

ということに挑戦してみたんだ。

最初は上手くいくかなんて、分からないよ。

だけど、自分ができることから始めないと何も変わらないんだ。

まず、文章問題をじっくり分析すると!

1つの文章問題を6つに分けることができた!

1 文章を読む 漢字を含めて、その文章自体を正しく読めているかを確認

2 図にする  文章から読み取った情報を図にすると、

子どもがどのようにその文を認知しているかわたしが分かる

つまり、子どもがどこでどう間違えているのかが理解できる。

3 立式する 必要な情報を文から取り出して、式が組み立てられるかを見る。

小学校の文章問題の場合は、語句が限定されているから、

その語句が意味していることが何かを理解したら、

かけ算か、足し算か、わり算か、引き算かの判断ができて、

立式はスイスイ。後は、組み合わせ。

4 計算する 正しく計算する力があるか

5 問いと答え 文章問題の場合には、問われたように答える必要があり。

例 何羽ですか?が問いなら、羽と答えるのね。

6 見直しをする  余白を使って、確かめ算。

そうやって、

一人ひとりの子どもには、どの力があって、

どの力が弱いかを把握しようと努めたんだ。

そして、

子ども一人ひとり、つまづくポイントは異なるので、

間違えたときが学ぶチャンス!を繰り返し伝えて

つまづくポイントを分析して、子どもが間違えた時に、

「計算の9の段のかけ算の部分で間違えたね」とか、

図を見せながら、「立式する時に、2つずつ増えましたの時は、

2つずつだからたし算ではなくてかけ算だね」のように、

具体的に指摘したんだ。

最初はすごく地道な細かい作業だよ。

だけどそれをコツコツ続けるんだ。

やがて子ども達が、

自分がどこで間違えるのかを理解するようになると、

自分の間違いやすいところを自覚するから、

自分で何をしたらいいのかが分かるようになって

自分がやることで分かると面白くなるんだね。

「問いに対する答えを間違えちゃう」と気づいた子に

「どうしたい?」と聞くと、

問題の問いに線を引いて、

見直しをすると自分で決めてやるようになった。

こうやって、

子ども達が自分で決めて自分でやるようになると、

もともともっていた

「いいところ」が自ら呼び覚まされていくんだ。

子ども達のこんな姿を見ると嬉しくなるんだ。

「わたしは、正確に計算することは得意なんだけど、

文章問題で最初にどうやって式にするかが苦手で‥

意見を聞いてると、ここのちゃんいいアイディアがあるから、

どうしてここのちゃんはいいアイディアが出てくるのか聞いてくる」と言って、

友だちの優れた点を見つけて、

その優れた点を自分も身につけるには

どうしたらいいのかを考えて友だちに聞くようになった子もいた。

のび太とドラえもんのような関係性ができて、

友だち同士で「いいところ」を

伸ばし合うようになっていったんだ。

小さなことだけど、

自分で気づいて

自分でどう対応したらいいのかを考えて

実際にやるってことが大切で、

試行錯誤を通して、

もともと持っていた

やさしさや思いやり、

「いいところ」が呼び覚まされていくと

子ども達がきらきらしていくんだ。

そして、

自分との「小さな約束」を果たしていくことで、

自信や自己肯定感が育っていくんだ。

まとめると

1 1つの文章問題を6つの力に分けて説明した(わたし)

2 具体的に指摘した (わたし)やがて(子ども)

3 子どもが自分のできること・できないことを自覚して、

試行錯誤しながら、どうしたらいいのかを考えるようになった (子ども)

4 子ども達の中で学び合い・教え合いが進んだ (子ども)

「間違いから学ぶことは多いよ」という、

人生紆余曲折!

いっぱい「失敗」経験のある

わたしの経験則が子ども達の安心感となって

子ども達は間違えたことを隠さなくなった。

算数の文章問題の方法は、

いろんな場面で応用ができて

その方法でバスケットのチームの顧問をしたら、

たった8人のチームが地区大会で優勝したこともあった!

1 優勝するにはどんな作戦&力が必要かを分析し説明する(わたし)

2 具体的に指摘する(わたし)やがて(子ども達)

3 子ども達が自分達のできること・苦手なこと・

出来ないことを明らかにして、試行錯誤しながら考えるようになった(子ども)

4 子ども達の中で学び合い・教え合いが始まった(子ども)

こんな感じでできた

子ども達は、わたしの厳しい指摘にも耳を傾けることができた。

なぜなら、子ども達とわたしの間には、

学級崩壊から再生する日々を共に過ごすうちに、

信頼が築かれていたからね。

こうやって、

算数の文章問題を解くことでも、

他の場面でも、

試行錯誤のプロセスの中で、

もともと持っていた

優しさや「天才のたね」を

呼び覚まして、

育てていくことができるんだ。

「きちんとしなさい」と言わずに、

「どうしたい?」と聞いていくと、

子ども達が自分で決めてやっていくんだ。

他にも、算数の文章問題を通して

身につけることのできる力はある。

学校では、文部科学省が定めた各教科のゴールがあるけど、

全ての学びは、わたしは、

ある1つの目的を達成するためにあると考えている。

それは、

親や先生の手元から子ども達が巣立っていった時に、

それぞれの人生を「幸せに生きる」という目的。

子ども達が「幸せに生きる」

だから算数の文章問題1つにおいても、

一人ひとりが個々に解けたから〇で100点!

「すごい!」「できたね!」でお終いというものではなくて、

この学習(体験)を通して、子ども達は

何を身につけたかなってことをよく考えていた。

例えばね、

人生、嫌でも避けたくっても困難に直面することはある。

その時に、

一つの文章問題を6つに分けて、

「何が出来て」「何が出来ないか」を明らかにすることが身についていると、

困難を一つのかたまりで捉えると

大きくて乗り越えられないように思えて

挑戦する前に諦めてしまうようなことでも、

困難をいくつかに分けて、出来ることから始めたら

やがて乗り越えられるようになると考えたんだ。

3学期になると、

3年生の時には教室を飛び出してブランコの横で

地蔵のように固まって動かなかった子どもも

先生役となって授業を行うようになり、

4年生の4月当初平均69点だったクラスが、

4年生3学期には、平均92点のクラスになって、

子ども達が先生役となる授業を、

子ども達はとても楽しんでいた。

友だちと共に学ぶことを楽しんでいたんだ。

その時には、

冷ややかで無気力だったクラスの雰囲気が

すっかり変わっていたんだ。

5年生1学期には、

野外活動の清掃で

「来た時よりもきれいにする」と子ども達が動く姿を見た

キャンプ場の方々が感動して

「こんなに一生懸命に掃除をする子ども達は初めてだ!」と絶賛し、

先生になって3年目の「ぼくなんて」が口癖だった

若手教師が前向きな気持ちになって

勘違いから(笑)自信をもつ、

先生を育てる子ども集団になっていた笑

教室の中に、

ドラえもんはいなかったけど、

子ども達の中に「天才のたねはある!」を信じる先生がいて、

一つの文章問題を6つの力に分けて

「どうしたいの?」と聞いていったら、

子ども達の「天才のたね」がのびのび伸びていった、

のびのびの~びたのお話は、

今日はここまで。

次はね、「仲良くしなさい!」ってよく言われるけど

「仲良くしたいのにできないんだ!」と訴えた子どもの想いを叶えたくって、

そもそも仲良くって何よ?を考えたお話しを書きたいな。

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Photo by Emmy  choosejoy

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

POSTED COMMENT

  1. 魔法使いさん より:

    「どうしたい?」はまさに魔法の力をもつ質問ですね。

  2. pen より:

    魔法使いさんへ
    「本当はどうしたかったの?」で自己受容  「本当はどうしたい?」が自己肯定 そして、天才を育てるには「どうしたい?」なのです笑

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