「よく来たね。どうしたの」の魔法~自己肯定感を育む最初の一歩~

これは、小学校の先生をしていた頃に

子ども達の「小さな声」が聴こえるようになった私の体験からのお話しです。

 

遅刻をする子ども達がちらほらと現れる、月曜日の朝の全校朝礼…

「なぜ遅れたのですか。ダメです!いけません!」と皆の前で立たせて叱り

それから列の後ろへ行きなさいと子どもに目で促すアメとムチ系パワフル先生。

「わ~来たね~!」と言って遅刻をした子どもを抱きしめ、

列の後ろへと手を繋いで一緒に歩く若い先生。

それを、苦々しい顔でにらんで見ていたアメとムチ系パワフル先生が、

後で、若い先生へのご指導とご鞭撻(べんたつ)

すると、若い先生も次の全校朝礼で遅刻してくる子どもがいると、

「叱る→列へ」と指導法を変えるアメとムチの連鎖…

 

私は学校で繰り広げられる人間模様を眺めながら、何だかしっくりこなくて

「遅刻をしてくる子どもがいたら、どう受け入れるのがいいのかな」

と、あ~でもない、こ~でもないと考えていた時期がありました。

 

遅刻はいけないから「ダメだ」と注意をする方法は、

アメとムチ系パワフル先生が言うように

確かに、秩序は大事だし「時間は守るべきもの」はそうなんだけど、

叱ることで遅刻をしなくなるというのが本当かどうかよく分からないな…

しかも、「遅刻はいけません」と叱るアメとムチ系パワフル先生からは、

秩序を乱す子どもへのイライラや「この子嫌だ」という感情をなんか感じる…

「わ~来たね」と抱きしめる方法は、「子どもが来て嬉しい」を感じるけど、

周りの子ども達にしたら「遅刻したら抱きしめてもらえる」と態度で教えることになり、

遅刻を促すことになりかねないから、これもいい方法かどうかが分からないな…

1人の子どもにとってよくて、

周りの子ども達にとってもいい方法ってあるのかな…

そんなことをあ~でもない、こ~でもないと考えていました。

 

学級崩壊したクラスを再生した翌年、

様々な特性をもつ子ども達がたくさんいる

手立てと工夫を総決算!!の

「多様性ばんざい!」のクラス担任になりました。

30人ぐらいのクラスでしたが、3クラス分の重量がありました。

その中に、「怪獣母さん」の息子R君もいました。

※怪獣母さん (参照 「火を噴く怪獣母さんと魔法」

R君は、不登校傾向の子どもで弟と2人よく遅刻してきました。

弟は、アメとムチ系パワフル先生が担任で、

遅刻をすると「ダメです!いけません!」と叱られてから列に並びます。

ただ私には、子どもを「遅刻をしたからいけません!」と叱ることが、

やっぱり「時間を守って学校に来る」ことへの動機付けになるのかが大いに疑問でした。

そして、子ども達の「小さな声」が聴こえるようになると、

大人の決めた基準のもとで叱ることに胸がチクチクとするようになってきました。

 

「遅刻」や「忘れ物」の中には、「ダメだ!」「いけません」と言って叱ることよりも、

「どうしたの」と聴くと、本当は困っていて大人の手助けを必要とする子どもが確実にいます。

子ども達の現実を知ると、「いけません!」と言って叱ることに、胸がチクチクし始めたのです。

 

アメとムチ系パワフル指導は胸がチクチクするし、R君の遅刻はよくあるし…

「どうしたら、いいのかな~」とお空を見上げていたら!ひらめきました!

「そもそも、R君は学校が嫌でつまらないから遅刻してたんでしょ。

だったら学校に来てよかった!ってR君が思ったらいいんだ!

先ずはにっこり作戦だ!」ひらめいたら、即行動!Go!Go!Go!

 

R君は遅刻をしてくると、授業をしている周り子の迷惑にならないように、

ソッと用具を机の中にしまい、ソッと席に座る周りを気遣う子でした。

私は授業をしながら、彼と目が合うのを待ち、目が合ったら微笑み、

後は何事もなかったように、授業を進めました。

 

私とR君との間に、遅刻をしたらその後の放課の時間に

「連絡帳を書いてもってくる」という約束がありました。

R君が連絡帳を書いてもってくると、

「よく来たね。今日はどうしたの?」とお話しをする時間をとる様にしていました。

すると、R君はぼそぼそっと家での大変な事情を話し、私はその話を聴きました。

するとずっと自分の気持ち言を伝えられなかったR君が、

自分の気持ちを少しずつ友達にも言えるようになっていきました。

 

アメとムチ系パワフル先生は相変わらずR君の弟を「ダメです!いけません!」

と人前で立たせて叱る方法を続けていました。

教員歴は私の3倍…アメとムチ系パワフル先生は、

何かと私を「子どもに甘い!ダメだ!」と言ってよく非難しました。

だけど、アメとムチ系パワフル先生のご指導ご鞭撻にあっても、

子ども達の「小さな声」が聴こえるから、

やりたくないことはどうしてもやれないものですね~

争いが苦手なヘナチョコなのに、そこは屈しませんでした。

こっそり「にっこり作戦」を続けているうちに、

R君は楽しそうな様子で過ごすことが増えてきました。

たまに遅れて来ることもありました。すると、怪獣母さんが、

「本当はRは、朝早く起きてランドセルも用意していたんです。

だけど、弟が行きたがらず待っていて遅れたんです。」

と、教えてくれるようになりました。

私はこの時に、アメとムチ系パワフル先生の「ダメだ!」という指導方法は、

結局、「遅刻→行きたがらない→欠席」という流れをつくっているじゃん!と思いました。

それに、パワフル先生から感じる遅刻する子どもへの「イライラ」………

感じる力が大人達よりずっと優れている子ども達のことだから、

「遅刻はいけません」という言葉よりも

アメとムチ系パワフル先生のイライラを感じとって、

子どもの心で反応しているんだな、

子どもは見抜いているよと思いました。

 

R君との間の小さな心の交流で、忘れられない場面があります。

教員人生最大の「飛び出し君」が秋に転校してきた時のことです。

給食の時間に歩き回る「飛び出し君」の対応で、

私の給食を食べる時間が5分から3分ぐらいになった時のことです。

私が給食を急いで食べ終わるとR君が直ぐに私の机にやってきて、

「先生、ぼく片付けておくから」と言って、

私の給食のトレイを片付けてくれたのです。

 

R君の席はその時私の机の対角線上、1番離れた場所にありました。

翌日も、その翌日も私が給食を急いで食べ終わると、

R君は直ぐに私のところにやってきて片付けてくれました。

「R君は、私が食べ終わるのが分かるんだね。」

と言うとR君は、

「だって、ぼくいつも先生のことを見てるんだよ。」

と言いました。

(いつも見ているんだ…私今、全然見ていない…)

と思った私は、

「ごめんね、今先生、『飛び出し君』のことで手一杯で、

R君には何にもできてないよね。本当にごめんね。」

と言うと、

「分かってるよ、いいんだよ、先生。」

と、R君は言いました。

そうやって、R君は「飛び出し君」の居場所創りに懸命な私を、

R君が出来ることで私を支えてくれました。

そして、「飛び出し君」が遅刻して学校に来ると、

R君は「おはよう、よく来たな」と言って、

「飛び出し君」のランドセルの片付けや、

連絡帳書きを手伝っていました。

私はそれを見た時、

私からR君へ、R君から「飛び出し君」への

「よく来たねの連鎖だ」と思い嬉しくなりました。

もしもあの時、アメとムチ系パワフル先生に屈して、

遅刻するR君を「ダメだ」と叱っていたら、

R君から「飛び出し君」への「よく来たね」の連鎖もなかったし、

手を差し伸べるR君のような子どもがいなかったら、

寂しさから暴れる「飛び出し君」のイライラエネルギーに

周りの子ども達が巻き込まれて、

「子どもチームVSペンギン先生の紛争勃発」になっていたかもしれません。

だけど、こっそり「にっこり作戦」をしていたら、

R君だけでなく周りの子ども達も「飛び出し君」に手を差し伸べて、

教室の中にいられるように、手伝ってくれました。

「飛び出し君」の対応には決断と実行の連続で、

「これ以上はもう我慢できな~~~~~い!絶叫!」

ということを多々やらかす子どもでしたが、

ふと気づくと、

「飛び出し君」の周りには、彼を補おうとする

子ども達の思いやりの輪が広がっていきました。

そうやって、「『飛び出し君』にも居場所を創る」

という私の想いを、子ども達は支え応援してくれたのです。

(参照 「飛び出し君」の春風

 

私は、子ども達と一緒にいることが大好きで、学校へ行くことが大好きでした。

大好きすぎて、35人クラスを担任すると「今年はおれは36番目か…」

40人クラスを担任すると「今年はおれは41番目か…」

と、夫がつぶやく程でした。

ただ、教員人生において1度だけ「学校に行きたくない」と思ったことがありました。

それは、先生を辞めることに決めた最後の年3月の始めの頃です。

「飛び出し君」とも心が繋がり、

「ああ、あと先生も2週間なんだな」

とホッとした時に、それまでのいろいろな出来事が一気に思い出されたのです。

子ども達の自己肯定感を高めるために導入した手立てや研修が、

特にアメとムチ系パワフル先生達に非難されたこと、

何かにつけて否定されたことが思い出されて、

仲間だと思っていた分、悲しくなって泣けて泣けてしかたがありませんでした。

争いの苦手な私は、何かにつけて謝ることの多い一年でした。

心配した夫が気晴らしにと日曜日一緒に外出した後も、

月曜日の朝、やっぱり泣けて起き上がることができませんでした。

その時、私の側でずっと私を見守っていた夫は、

「もういい、もう学校に行かなくていい。ずっと休んだらいい。」

と言ってくれました。

その言葉を聞いた時、心が落ち着いて

「やっぱり行く。」

と立ち上がることができました。

 

いつも、学校には7時半に行き準備をし、

7時50分ぐらいからやってくる子ども達を、

教室で「おはよう」と言って迎え入れることをしていました。

その日は、8時10分ぐらい、遅刻ギリギリに教室につきました。

すると、子ども達が教室で待っていて、

「先生来た~!」

「休みかと思って心配したよ。」

「おはよう、先生。」

「待ってたよ、先生。」

と笑顔で迎え入れてくれました。

そして、子ども達が私の周りに集まってきました。

感じる力が大人よりもずっと優れている子ども達のことです。

私がいつもより元気がないということもきっと感じとっていたと思います。

この時の子ども達の笑顔に私の心は救われました。

(ああ、笑顔で迎え入れてもらえるって、

こんなにほっとした気持ちになるんだ)

そう思った私は、翌日も7時半に学校に行き、

子ども達を教室に「おはよう」と言って迎え入れることを続けました。

 

翌年度、アメとムチ系パワフル先生が、

私の担任したクラスを引き継ぐことになりました。

その先生は、子ども達の自己肯定感を高めるために

「温かな関係性」を学校全体に導入しようとした際、

子ども達の存在を先ず認める、

子ども達の「したこと・しなかったこと」を先ず認める

「承認」という手立てに対して1番強く反対をした方でした。

講師の先生を学校にお呼びして「承認」についての研修会をした後でも、

子ども達に「ダメだ!」という否定の言葉をよく使って、

先生が決めた基準で子ども達が行動するように

人前で子どもを立たせて叱ったり怒鳴ったりしていました。

私に対しても、同じことをしました。

その先生が担任になると聞いた時、私の心に不安がよぎりました。

(学校に来られなくなる子どもがでてくるかもしれない…)

そして、その不安を当時、学級経営について相談によくのっていただいていた

自ら起業し会社を大きくした社長に打ち明けました。

すると、その社長は、

「悪いことを念じてはいけない。

その先生のもと上手くいくようにと考えなさい。」

と、私を諫めました。私はその通りだなと思い、

子ども達みんなが学校に来るために行った手立てと記録、

子ども達みんなが参加できる授業にするために、

工夫し作成した教材データー全てを学校の共有ファイルに残し、

学校最後の日に、

「子ども達に関することは何でも連絡してください」

と、連絡先として私の携帯番号を渡しました。

 

それから約半年後、学校から招待をされ秋に学習発表会を見に行った時です。

1年前の学習発表会で劇の主役をした外国籍の男の子の姿がありませんでした

そして、R君の姿もありませんでした…

外国籍の男の子は学校を辞め、

R君は不登校になりその後転校していったと聞きました。

「よく来たね」の連鎖が途絶えていました…

(外国籍の男の子について 参照 「『天才のたね』がニョッキニョキ」

 

「忘れ物」をする子どもの中に、「遅刻する」子どもの中に、

「本当によく来たね」「生きて学校に来たんだね」

と心から思うような生活環境の中で生きている子ども達に出会いました。

「みんなと同じようにしなさい!ダメでしょ」と叱られても、

何をどうしたらいいのか分からなくて出来なくてとても困っていて、

手助けが必要な子ども達にもたくさん出会いました。

だけど、子ども達の声はとても小さくて、

大人が先に「ダメだ」という否定の言葉から関わると、

子ども達は心を閉ざして、「小さな声」を伝えてはくれません。

大人が「どうしたの」と耳を傾けたら、

子ども達は本当の気持ちを心から伝えてくれます。

 

笑顔でいたり、友達と一緒にいたりする子どもの中にも、

ふとした時に急に泣き出して、「小さな声」を伝えてくれる子ども達に出会いました。

子ども達の心が大人に否定されて傷ついている子どもに出会って

「ダメという言葉は使いたくない。子ども達にいい言葉で関わりたい…」という思い…

家庭が安全な場所だとは限らない子どもに出会って

「温かな家族のようなクラスにしたい」という思い…

大人が怖くてたまらない「飛び出し君」と

「飛び出し君」をにらみつけてクラスから排除しようとする先生に出会って

「みんなに居場所のあるクラスにしたい」と思い…

 

その時に胸の奥の奥からわき上がってきた想いを大切に1つ1つ課題に取り組んだら、

やっている途中の道のりでは、

本当にこれで上手くいく方法なのかどうかなんて全然分からなかったけど、

学級崩壊したクラスが再生して、子ども達の「天才のたね」が育って、学力も上がったから、

自分だけのものにせずに皆さんにもどうぞ~っと学校全体に共有化したら、

アメとムチ系パワフル先生達からあれだけ反対されて逆風の中だったのに、

子ども達の笑顔が増えて、結果、自己肯定感が高まる実践になりました。

子ども達の「小さな声」を素直に自分の心で聴いて、

必要だと思ったことをやってみたらできたことですが、

1つのクラスでできて、

1つの学校でできたことだから、

再現性がある実践だと考えます。

(参照 「愛おしいを育む居場所~心理学オタクの実践~」

 

実践を振り返って、今わたしは、

先生達が「温かな関係性」を最初のステップにもってくることと、

「承認」と「自己受容」の本当のところを理解したら、

日本の子ども達の自己肯定感は変わると私は考えています。

自己肯定感が高まると、

生きる力を支える心のねっこが太くなるから、

若者達の自殺率が高い日本がきっと変わります。

 

学校現場で子ども達の自己肯定感が高まった実践の最初のステップは、

「ダメだ」という言葉を「どうしたの」に変えるだけ。

1つの言葉を変えるだけでした。

 

私にとって、

「どうしたの」は、子どもの可能性を芽吹かせる魔法の言葉です。

そして、子どもは敏感に感じとります。

愛からなのか、否定からなのかを感じとります。

Photo by Emmy

「よく来たね。どうしたの」の魔法~自己肯定感を育む最初の一歩~」への2件のフィードバック

  1. ペンギン先生の集大成のような記事ですね。僕のやっていることにも確信がもてました。ありがとう〜!

  2. 感情の学校の一滴先生からのコメント、光栄です。こちらこそ、ありがと~!

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