小さな声を聴く~「学校が楽しい」と言った女の子の本音~

学級崩壊のクラスを立て直していた頃のこと

「ダメ」という言葉を使わずに

「どうしたの」という言葉を使って、

子ども達の話に、以前よりも耳を澄ませて聴くようになると、

堰を切ったように突然泣き出す子ども達が出てきました。

出てきたというか続出でした。

いろんな家庭環境でふんばって生きている子ども達が

いろんなお話しをしてくれました。

そして、私はそのお話をじっと聴きました。

その中で、当時の私の学級経営に

ものすごく影響を与えた女の子(当時10歳)がいました。Mちゃんです。

参照 Mちゃんの笑顔

その女の子は、当時騒がしい子ども達が多いクラスの中では珍しく

静かに座っていられる子でした。

宿題も、毎日欠かさずやってくることができました

その子が、アンケートの回答欄に「学校が楽しい」と書いてきました。

以前の私なら、「学校が楽しいならよかった」とそのままになったかもしれません。

でも、その時はなぜだか「だいじょうぶだ」という感じがしませんでした。

そこで、2人きりになれるところに呼んで、

「学校が楽しいのはどうして?」と聴いてみました。

すると、彼女の目から涙が溢れ出し、

「家だと(不登校の)お兄ちゃんが暴れて叩いてくる」

「家の中はケンカばっかりだから、学校が楽しい」と話し始めました。

(ずっとだれにも言えずに辛かったんだ)と思った私は

この時、胸の奥がきゅーっとなりました。

そして、「学校が楽しい」という彼女にとって、

昨年、学級崩壊したクラスの中で

先生や子ども達の怒鳴り声やケンカの声を聞くのは、

どんな気持ちだったのだろう………

家の中でも学校の中でも怒鳴り声やケンカの声ばかり…

きっと一生分は聞いただろうな。

もうそんな声を聞かせたくないと

心からそう思いました。

Mちゃんは、

「仕事で疲れている母さんには、心配かけたくないから言えない」

とも言いました。

お母さんに、初めてお会いした時のことを思い出しました。

人生が思う様にいかず、心も身体もくたくたな様子でした。

お母さんに何かを頼むのは難しそうだなと思いました。

胸の奥が更にきゅーーーとなりました。

「私にいったい何ができるのかな」と考えながら、聞いてみました。

「学校にいて、いつが楽しいの?」

「休み時間に、友だちとおしゃべりをする時が楽しい」

「お友だちは、お兄さんのことを知っているの?」

「うん、家のこと何でも話ができる」

何でも話ができるお友だちが1人いることが分かりました。

 

お話しを聞いた後で、1つずつ約束をしました。

お兄さんから暴力を受けたら直ぐに私に伝えること、

私は、楽しみにしている放課の時間には授業を延長しないこと…

 

彼女の1日の中にある「楽しい時間」を確保したいから、

約束を守りたいと思いました。

でも、どうしても、どうしても守ることができずに

授業を延長してしまうときがありました。

その時は、次の授業の開始の時間をずらしました。

そうやって、約束を守ろうとしました。

その頃には彼女と私に、

「先生、まあ、ぎりぎりセーフね」

「何とかしましたよ。ごめんね」

と、目と目で会話する心の繋がりができていました。

 

彼女から話を聞いてすぐに、

大人の方でご自身の子どもの頃の話を打ち明けて下さる方がいました。

その方は父親から暴力を受けて育った方でした。

夏休みが苦痛で、夏休みになると家に居たくなく、

自殺しようと思ったことが何度もあったと教えてくれました。

家の中が安心じゃないから、「学校が楽しい」子どもがいるということ…

「楽しい夏休み!」とはしゃぐ子ども達の中に混じって、

心に苦しみを抱えている子ども達がいるということ…

「学校が楽しい」という言葉の奥にある子どもの本当の思いに気づかずに、

私は、どれだけの子ども達の声を聞き逃してきたのだろう…と顧みた時に、

胸がずきんと痛くなりました。

もしかしたら、あの時も、この時もと、子ども達との会話がひとしきり思い返され、

ずーーーーーーーんとメゲて、のたうちまわりました。

そしてひとしきりのたうちまわった後で、

「何でも、今、ここからだ!」と思い直した時です。

 

「長い時間一緒に居ることが、温かな関係性を築くことになるのではないんだ。

初めて教室に入った時に冷たいと感じたクラスの雰囲気は、

絆の薄い関係性からきているだ」と気づいたのです。

そして、きゅーっとなった胸の奥の奥から

「温かな家族のようなクラスにしたい!」

という想いが溢れてきました。

その想いを叶える方法を探して、試して、考えることを繰り返す中で、

子ども達1人1人が変化し、崩壊したクラスが再生し、それが翌年、

学校全体の自己肯定感を高める実践に繋がりました。

参照 愛おしいを育む居場所~心理学オタクの実践~

 

教員人生最大級の「飛び出し君」に出逢った時も、

「うるせ~」「ばばあ」「ぶっ殺す」と悪態をつく「飛び出し君」を前にして、

「飛び出し君」を排除しようとするパワフル先生を前にして、

ケンカも争いも苦手な私が勇気を出して、

「飛び出し君をクラスに入れます」と言えたのは、

振り返ってみると、

「学校が楽しい」という言葉の奥にある本音を伝えてくれたMちゃんや、

学級崩壊から再生する姿を見せてくれた子ども達との日々が支えとなりました。

子ども達との日々を通して、今、目の前の子どもが荒れていても、

「人は再生する」ということが信じられたからです。

 

パワフル先生に怒鳴られたり、人前で批判されたりすることは、

プライドが傷つく嫌な経験としてその後しばらく残り、

やがて自分を憐れむのをやめたら、どうでもよくなり消えていきました。

でも、「飛び出し君」に居場所がなくなることは心が痛かったのです。

心の痛みによって、「飛び出し君」に居場所を創りたいという

私の中の本当の想いに気づくことができました。

自分の中の本当の想い、「小さな声」を選んだことで、

「飛び出し君」をめぐっての苦労はいっぱいありましたが、

「飛び出し君」や子ども達から素敵なギフトもたくさん受け取りました。

参照 「飛び出し君」の春風

 

そして、

心に痛みを感じてもそこから逃げないで、自分の中の小さな声を聴く体験を通して、

「あなたが大切に思うものの中に、あなたの心がある…」

痛みを感じる時は、そこに心があるということ

すなわち、それが大切なものだというサインだということが分かりました。

だから痛みを感じることを恐れなくていい。

「大切なもの」に気づいて大切にしたら、痛みはやがて温もりに包まれていくから…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Photo by Emmy

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