天才のたね

「飛び出し君」と子ども達のきらめくいのち~まあるくなあれ、環になあれ~

「飛び出し君」が転校してくる!

1週間の中で2時間、

教室に居るか居られないかが分からないという

「飛び出し君」が転校してくる!

「飛び出し君」が転校してくる前に、

「飛び出し君」について何も知らない私のところに、

彼についてのあれやこれやが教務先生、

当時の担任の先生、保護者、子ども達から順に入ってきました。

一番最初は、夏休みの終わり頃‥

教務先生が何ともいえない表情で、

「あやお先生、今度の転校生は、

かなりご苦労をおかけすると思うわ。

1度、担任の先生にお電話して下さい」

との言葉と共に電話番号を渡されました。

「飛び出し君」の担任の先生にお電話すると、

30分以上にわたって彼の「問題」行動ばかりのお話しが続き、

彼のよさや上手くいった手立てについて何一つ聞けませんでした。

そのため、「電話だと不十分なので1度学校に来て下さい」

という当時の担任の先生の申し出は速やかにご辞退しました。

多忙を極めていたわたしにとって

上手くいかなかった手立てと

いかに子どもが「問題か」を聞くことは

エネルギーが消耗して他のことに使えない!

エネルギー・ロスになるからです。

その後、担任をしていたクラスの

ある保護者の方からわざわざお電話がありました。

「あやお先生…今度の転校生のことが

お母さん達の間でうわさになっていて

かなり動揺しているよ。

先生、お願いだから潰れないでね」

という応援と励ましのお電話でした。

「飛び出し君」の初めての出会いは

彼が転校してくる1週間ほど前に

子ども達が下校した後の校長室でした‥

初めて出会った「飛び出し君」は、

校長室の応接セットにあぐらをかいて

私をキッとにらみつけ

「大人なんか信じられるものか!」とばかりに

トゲトゲチクチクエネルギーを大放出していました。

だけど、同時に心の奥の奥底に

「友だちがほしい」「独りは寂しい」「新しい学校で新しい自分になりたい」

という気持ちも僅かにあって、

その心の声がとても小さいけど

微かに伝わってくる9才の男の子でした。

「飛び出し君」に初めて出会った翌朝、

さてクラスの子ども達にいったいどこまで話をしたらいいのだろうか‥

そのままを伝えたら子ども達が怖がるんじゃないか‥

先入観を植え付けてしまうのではないか‥

どう伝えることが一番いい方法なんだろうか…

と、もんもんと考えながら廊下を歩いていた時のことです。

子ども達が私を見つけて駆け寄ってきました。

「先生~~おはようございます!知っている?

今度の転校生、かなりのやんちゃなんだよ!」

子ども達から「飛び出し君」の話しがでたのです。

「あれまあ、転校してくることも、彼のことも知っているの?」

「知ってるよ。保育園一緒だったもん。」

子ども達は知っていたことにホッとしました。

幸いにも半年間共に過ごしていたので、

子ども達と本音で話す関係性ができていたからです。

早速、子どもが「飛び出し君」をどう捉えているのか、

子ども達に聞いてみました。

「やんちゃって言うけど、どれぐらいやんちゃなの?」

「うんとね、すごくやんちゃだよ。

保育園での〇〇事件とか、〇〇事件とか、彼なんだよ。」

と、9才の子ども達が保育園であった出来事をいろいろと振り返って話す、話す‥

そして、事件が出てくる、出てくる‥

校長室での「飛び出し君」の態度を思い出しながら

う~~~ん、なるほど。なかなかのもんですな‥‥

そして、お母さん達が動揺して話をしているからでしょう。

子ども達の中にも不安がだいぶあるな‥と感じました。

さて、何を大切にしていったらいいだろうか…

何を大切にするチームだと子どもに伝えたらいいだろうか‥

心の中でつぶやいた時に、

「飛び出し君」の「友だちがほしい」

「独りは寂しい」「新しい学校で新しく変わりたい」という

彼の心の奥の奥底にある小さな声を

ここは大切にしたいなと思いました。

正直に言って、「飛び出し君」をクラスに受け入れることは、

子ども達にとっても私にとっても

困難を伴うチャレンジなのは、

あの「飛び出し君」の態度からも容易に予想できます。

だけど先生に転職した時に

「国籍や家庭環境に関係なく才能が開花する方法はきっとある!」

という想いをもった私にとって、

「問題」行動ばかりする「飛び出し君」だから

教室に入れない・排除するという選択肢はありませんでした。

9才で「飛び出し君」になるような子どもにこそ、

居場所が必要だと思いました。

「『飛び出し君』のチームが必要ですな。」

と、口火を切ると子ども達が

「先生、それはいるね。必要だよ。」

と、のってきました。

不登校傾向の子どもがいて、

外国籍の子どもがいて、

困難な家庭環境を背景とする子どもがいて、

子ども達が休んだり、暴れたり、

寂しさからすねたりした時に、

表面に出る行動だけを見て

「あの子はダメな子だ」

「あの子は悪い子だ」と決めつけるのではなくて、

どうしたら共に学べるかな…

どうしたら仲良くなれるかな…

共に考えて、共に試みてきた子ども達だったから、

「飛び出し君」のことにも付き合ってくれるんだなと思いました。

そして、「飛び出し君」が転校するまでの半年間に、

もしわたしがクラスの誰かを

例えば、不登校傾向の子どもだから「ダメな子」

外国籍の子どもだから「できない子」

あの子は家庭環境がいけないから「仕方のない子」…

と決めつけたり、排除したりしていたら

どんなに言葉でキレイに

「仲良くしよう」とか

「差別はいけない」とか言ったとしても

大人の浅はかな「嘘」を子ども達は軽々と見破って

心から協力してくれなかったと思います。

子ども達よ!苦労をかけるね!

わたしは、クラスに来た子はみんなを受け入れたい。

すまんが、私の想いに半年間つき合って下さいと、

心の中で頭をさげつつ、

子ども達もわたしも「飛び出し君」の嵐の中に出航です。

わたしは子ども達に問いました。

「いったい誰がすっごくやんちゃな

飛び出し君にも優しくできるだろうか。」

「飛び出し君」もいて子ども達もいて、

同じ場で共に成長していくには、

先ず最初に「飛び出し君」と関係性を

築くことができる子どもの存在が必要です。

急遽、子ども達と廊下で環(わ)になって

わちゃわちゃ会議が始まりました。

子ども達の意見として出たのは、すみれちゃんでした。

「すみれちゃんだったら、『飛び出し君』に優しくできる。」

「あ~すみれちゃんなら優しくできるかもしれない。

逆にあかぼし君はすぐにけんかしそうだね。」

「するね~、そうなったら教室の中が大変だよ。」

と、子ども達がわちゃわちゃと話すのをじっと聞いていました。

子ども達が「飛び出し君」に優しくできると考えたすみれちゃんは

やんちゃな、でも本当は心が寂しい男の子の気持ちを

2年生の時に代弁していた女の子でした。

すみれちゃんを呼んで、聴いてみました。

「今度ね、『飛び出し君』が転校してくるの。

『飛び出し君』のこと知っている?」

「私、保育園いっしょだったから、『飛び出し君』のこと知っているよ。」

「先生ね、『飛び出し君』が教室にずっと居られるしたいんだ。

そのためにね、今チームを考えているんだけど、すみれちゃんはどう思う?」

「先生、私『飛び出し君』と仲良くできるかもしれない。

でも独りだと悲しいから、だれかと一緒がいい。」

と、すみれちゃんは応えました。

2年生の頃にやんちゃな男の子の気持ちを一人代弁するすみれちゃんに、

「何であんなやつの味方をするんだ」と強くあたる子がいたこと、

当時の担任の先生がアメとムチ系賞罰指導をする先生で、

やんちゃな男の子を「ダメ子な子だ!」と言って

足をもって引っ張り、教室の外に引きずり出すのを

止めることもできず黙って見てることが

すみれちゃんには悲しかったのです。

結局すみれちゃんが気持ちを代弁していた男の子は、

先生の言う通りにさせようとすればする程、

先生の言うことを聞かず、

いろんな問題をひき起こし、とうとう

3年生から別の教室に通うことになりました。

このことは、すみれちゃんの心にも

子ども達の心にも暗い影を落としました。

先生の言う通りにしないと、

教室から排除されるという怖い怖い影です。

だから、4月に出逢った時の子ども達は

びっくりするぐらいピシッと席には座っているけど、

仮面をかぶった様なつくった表情をする子ども達でした。

最初の頃は

「どう思うの?」

「本当はどうしたいの?」

「あなたのいいところを教えてほしいの」

と聞いても、

首をかしげて応えることができなかったのを、

半年を経て、「本当はこう思う」「本当はこうしたかった」が

言えるようになった子ども達でした。

わたしは、すみれちゃんに

「誰がすみれちゃんの応援してくれるかな。

すみれちゃんにとって一緒にいて安心する子はだれ。」

と聞いてみました。

しばらくじっと考えていたすみれちゃんが、

「ひろひと君。ひろひと君となら私、大丈夫だと思う。」

と、すみれちゃんは応えました。

私はひろひと君と聞いて、

普段の彼の様子をじっと思い出してみました。

ひろひと君が優しい心の持ち主であることは間違いありません。

ただ、本人自身が大変な努力家なので、

彼の様には出来ない子に「なんで出来ないんだ」という

人を見下したような態度をとり、

「ダメだ!」と強く注意するところが気になる子でした。

その部分が「飛び出し君」とぶつかることも、

「飛び出し君」の気持ちが分かるようになることも、

ひろひと君にとって学びになるなと考えました。

「飛び出し君」、すみれちゃん、ひろひと君‥

4人の班の中の後一人、誰がぴったりだろうかと考えました。

クラスの中で一番穏やかで平和な心をもっている子がいいなと思った時に、

一人の男の子の顔が思い浮かびました。

「すみれちゃん、4人の班の後一人、こうすけ君はどうかな。

彼はモノを創るのが大好きで、

心がとっても落ち着いているから、

4人ならいいチームになるかもしれない。」

「あ、先生、こうすけ君ならいいと思う。

それから、『飛び出し君』に困った時には、

先生にすぐ助けてほしいから、

先生のすぐ近くの席にしてほしい。」

「分かった。そうするね。

困ったり怖かったりしたらすぐ言ってね。

決して我慢しなくていいからね。」

と、話し合いました。

「友だちがほしい」「独りは寂しい」という

「飛び出し君」の心の奥の奥底にある小さな声を叶える

最初の4人のチームができました。

そして、「飛び出し君」が転校する前日に、

クラスの子ども達みんなに、

「しばらくの間、『飛び出し君』にかかり切りとなって、

今できていることができなくなるし、

寂しい思いをさせることもあると思うけど、

協力してほしい」とお話しをしました。

あわせて、「飛び出し君」と喧嘩にすぐなるだろう

あかぼし君にも、

本音と本音のぶつかり合いのケンカではなく、

わたしの気をひくためのケンカを未然に防ぐために、

「わざわざ『飛び出し君』とけんかしなくても、

今までみたいにお話ししたい時には、

こればいいからね」と伝えました。

さて、転校1日目の1時間目

新しい学校で新しい自分でスタートするはずだった『飛び出し君』は、

最初の5分で、「うるせ~ばばあ、ぶっ殺す」と言い放ち、

教室から飛びだそうとしました。

「新しくスタートしたい」と初めて出逢った時に

言っていたのになんで飛び出していくのだろう‥

とわたしは考えました。

その時に、以前読んだ

「ストレス(闘争・逃走)反応は、

『やる力』『やらない力』『望む力』をつかさどる

前頭前皮質の活動を停止させてしまう」

というスタンフォード大の心理学者の本の一節を思い出しました。

(※ケリーマクゴニガル著「最高の自分を引き出す法」)

なるほど、「飛び出し君」は、

新しい環境や大人が怖いのかもしれないなと思いました。

恐怖心や不安感から脳の機能として

ストレス反応を起こしてしまうとしたら、

アメとムチ系賞罰指導の先生達のやり方で

にらみつけたり、大きな声で怒鳴ったりして

言うことを聞かせよう(これを外的コントロールという)とする方法には

「飛び出し君」は逃げ出すか、闘いを挑むかだけで、

効果がないのではないかと最初、考えました。

その後、「飛び出し君」からいろんなお話しを聞いて、

大人を怖いと思うだけの理由があることも分かりました。

「飛び出し君」が意志の力を発揮して、

「友だちがほしい」

「新しい学校で新しい自分に変わりたい」を叶えるには、

「飛び出し君」がストレスを感じない

「飛び出し君」にとって安心する関わり方を探る必要があったのです。

転校してきた頃、「飛び出し君」は授業中

大声を出したり立ち歩いたりして授業妨害をしました。

暴れる、暴言を吐く、物を投げる、靴を隠す、

机を倒してけんかする、授業中歩き回る、

飛びだそうとする‥

「飛び出し君」は、

それはそれはいろいろとやり、

連日いろいろな事件も起きました。

その中で、「飛び出し君」が安心する関わり方を試し始めました。

アメとムチ系賞罰指導をする先生からは

わたしのやり方は理解されず

職員室では「先生は甘い」と批判を浴び、

なかなか辛い時もありました。

でも一つひとつやり続けました。

ちなみに、一部分の行動をもって

~は〇〇だと人格を決めつけるのも

アメとムチ系賞罰指導をする方の特徴です。

例 宿題をしない子はダメな子だ。

宿題をしないという一つの行動が、

その子全体を「ダメな子」としてしまう捉え方です。

わたしは、アメとムチ系賞罰指導の先生がするような

子どもを人前で怒鳴ったり、

出来ないからと立たせたり、

忘れ物をしたからと恥をかかせたり、

言うことを聞かないからと教室を

追い出したりするのは嫌でした。

心が痛みました。

「飛び出し君」と対話しながら、

できることを一つひとつ増やしていく方法が

わたしの考え方や心に合っていました。

職員室では、なかなか理解者がいない状況の中で、

「飛び出し君」が安心する関わり方を

1日1歩、3日で3歩、3歩進んで、2歩下がる♪の唄のように、

一つ試みて「これはうまくいった…」

一つ試みて「あちゃ~これは全くうまくいかない…」

と、一つひとつ試みる日々の中が始まりました。

すると、ある時気がついてみたら、

教室では、私は一人ぼっちじゃなかったのです。

「飛び出し君」を真ん中にして子どもチームを創ったつもりが、

すみれちゃん、ひろひと君、こうすけ君が

私の「みんなを受け入れたい」という想いに共感して

「飛び出し君」を共に受け入れ、ゆるし、

わたしを励まし、わたしも励まされる仲間になっていたのです。

「飛び出し君」を理由として授業が

何度もストップすることのないように

「飛び出し君」の机を2つ教室に用意しました。

「飛び出し君」は、一緒に学べる時は前の席へ座ります。

なにぶん、1週間に2時間教室に居るか居られないかから

スタートした「飛び出し君」です。

「飛び出し君」が苦しい時は

子ども達の視線に入りにくい後ろの席に座り、

どちらの場面でも、教室の中に

「飛び出し君」の居場所を作る工夫しました。

「飛び出し君」が前の席に座った時には、

わたしは、深呼吸をして、心を整えて、

「今は教科書を開けるよ」

「今は鉛筆をもつよ」

と「飛び出し君」に静かに淡々と

言い続けることをしていました。

すると、穏やかで平和な心の男の子が、

「飛び出し君」の隣の席で私の代わりに

「飛び出し君」がやってもやらなくても

「今ね、鉛筆をもつときだよ」

「今ね、教科書を20頁を開くときだよ」と、

私が最初「飛び出し君」にやり続けたことを

代わりになって静かな声で言い続けてくれたのです。

すると、「飛び出し君」の気持ちが少しずつ落ち着いて、

授業に参加しようとする姿勢をみせるようになりました。

すみれちゃんは、「飛び出し君」が鉛筆をもった瞬間に

「今、鉛筆もてたね」

教科書を開いた瞬間に

「今、教科書開いたね」

と、彼を笑顔で励まし続けました。

すみれちゃんは、

「飛び出し君」がちょこっとでもやろうとした瞬間を見つけて、

それはそれは心の底から嬉しそうに喜ぶのです。

すると、「飛び出し君」もつられて笑顔になっていったのです。

「ダメ!」と注意しがちなひろひと君には、

「ダメ」と言わずに「今~するといいよ」と伝え方を教えました。

すると、ひろひと君は「おかわりしちゃダメ!」という代わりに、

「給食のおかわりは、50分からするといいよ」と伝え方を変えて、

子ども達が守っている大切なルールを

分かりやすく説明するようになりました。

すると、「飛び出し君」は彼を信頼して、

今どうしたらいいのかを聞くようになっていきました。

「飛び出し君」が暴れても、暴言を吐いても、

私とすみれちゃん、ひろひと君、こうすけ君は、

「飛び出し君」を避けることなく、

「『飛び出し君』はダメな子だ」

と心の中でも外でも排除することなく、

ずっとずっと関わり続けました。

「飛び出し君」はとても敏感な子どもでした。

わたしが心の中で「嫌だ」と思いながら、

作り笑顔で優しい言葉を言っても

「嫌だ」と思っていることはすぐ気づくし、

アメとムチの賞罰指導の先生が

「あなたのために言っているんだ」と怒鳴っても、

その先生が心の中で「飛び出し君」を

邪魔者にして排除しようとしていることも

すぐに見抜きました。

だから、「飛び出し君」と関わるときは

排除の気持ちや否定の気持ちを呼吸で整えて

「わたしは本当にこれがしたい」からやっている

本音で関わることが大切でした。

いつもいつも「飛び出し君」に

わたしの本当のところを試されている感じでした。

そうこうするうちに

「飛び出し君」が教室に居るようになり、

授業中席に座るようになり、

鉛筆をもって学習に参加するようになりました。

そして、「飛び出し君」の心の中の寂しさに他の子ども達も気づき始め、

「飛び出し君」に笑顔を向ける子どもが

一人、また一人と増え始めたのです。

転校前の学校からずっと「飛び出し君」に関わっていた

スクールカウンセラーの先生が、

「飛び出し君」があんなに穏やかな表情で

子ども達と共に学ぶ姿を初めて見たと言いました。

しかし、「飛び出し君」との日々は、

一筋縄ではすみません。

いつも何か事件が起きました。

「飛び出し君」が女の子の靴を隠したたことがありました。

「飛び出し君」が友だちになりたいから話しかけたのに、

女の子が「飛び出し君」を避けたのが嫌だったのです。

女の子は「飛び出し君」の言葉使いが怖くて無視したのです。

「ばばあとか、ばかとか悪い言葉を大きな声で言うのが怖い」

と女の子が伝えると、

「飛び出し君」は「ぼくだって悪い言葉を直したいだ」と本音をつぶやきました。

やがて2人は、笑って話すようになりました。

「飛び出し君」が暴れて、机をけり倒したことがありました。

「ルールを守らないから一緒にゲームをしていてつまらない」

と言われたのが嫌だったのです。

泣いた男の子が「飛び出し君」と話し合いをする中で

「飛び出し君」に向かって、ふと気づいたように

「『飛び出し君』っていろいろ大変なんだね」

と言いました。すると「飛び出し君」は

「おれは、いろいろ大変なんだよ」と答えました。

実際、「飛び出し君」の家庭はいろいろあって、

心に痛みを抱えて学校に来る子どもでした。

やがて、男の子は「飛び出し君」の心の痛みを察して、

「飛び出し君」のサポートをそっとする子になりました。

転校してきた頃、「飛び出し君」の乱れる心のままに、

机の中も周りもくちゃくちゃに物が散らばっていました。

私は、段ボール箱を机の側に置いて、

「まずこの中に自分のモノはいれておこうね」と伝え、

最初の1つを拾いました。

すると、子ども達が「ぼくも拾うから一緒にやろうよ」

と声をかけるようになりました。

私が1つ拾う、子ども達が1つずつ拾う、

そして「飛び出し君」も拾う。

机の中や周りが少しずつ片付いていくようになりました。

やがて、完璧主義者で「なんで、『飛び出し君』ばかり許されるんだ!」と

最初は怒っていた男の子も、「箱の中を整頓すると見つけやすいぞ」と言って

一緒に整理整頓をするようになりました。

個別の支援が必要な子どもが教室の中にいるときに、他の子ども達が

「僕たちがゆるされないことがなんであの子だけゆるされるんだ」

と不満に思うということはよくあることでした。

支援が必要な子どもと他の子どもとの調整は、

それまでの知恵を総決算!腕の見せ所の場面です。

「なんで『飛び出し君』だけあんな勝手なまねが許されるんだ!」

と怒って、私に抗議しにきた時には、

私は、「飛び出し君」の成長の階段を黒板に書いて、

「今一歩ずつ彼の成長の階段を上がっているところなんだ」と説明しました。

そして

「なんでだと相手を責めて怒ることは簡単なんだ。

それだとずっと相手とはわかり合えないままだよ。。

どうしたら互いにいいのかを

考えることの方が難しかったりするんだ。

今、難しい方を挑戦しているんだ。

それに、大人になった時にあなたは

言葉や文化が違う人と一緒に何かをする、

働くって時があると思うよ。

その時に、なんでだと相手を責めて怒ることと

どうしたら互いにいいのかを考えること

どちらが、あなたにとって役に立つ経験になるんだろうね。」

とか、

「自分に何か出来ない時に、『なんでなんだ!』と怒って言われるのと

『一緒にやろう』と手を差し伸べられるのと、どっちが嬉しいかな」

とかと、その時もっている知恵の限りを尽くしてお話をします。

子どもの中で納得するとやがて、

私がどんなに呼吸を整えても心を整えても、

「飛び出し君」の態度や行動に許せなくなり、

「まあいかん!『飛び出し君』め!

もう、これ以上我慢できなーーーーーい!!きっー!!」

となった時に、

「まあまあ、『飛び出し君』だってやろうとしていたんだけど、

今はまだできないんだから、先生待ってあげなよ。

もうちょっと大目に見てあげなよ。」

と私を慰め諫める(いさめる)ようになりました。

ああ、子どもの方が大人のわたしよりも

心が柔軟で優しいんだなと思いました。

そして、わたしは「『飛び出し君』にも居場所を創る」という

本来の場所に立ち戻ることができました。

一歩ずつ一歩ずつ、「飛び出し君」は成長していきました。

でも、家で暴力を振るわれたり、

ご飯を食べさせてもらえなかったりした後で学校に来ると、

「先生なんかに俺の気持ちがわかるか!」

と言って暴れることがありました。

その時ばかりは無力感に打ち拉がれて落ち込んでいると、

「先生、いつもありがとう」

「先生、心は傷ついていないの。大丈夫?」

と、励ましに来る子が現れるようになっていました。

2年生の時に不登校傾向で、

3年生になったら学校に来るようになった

「元不登校君」も「飛び出し君」と似た家庭環境でした。

「元不登校君」は「飛び出し君」に向かって、

「おまえさあ、ちゃんと先生の言うこと聞けよ。

おまえのこと思って言ってるの分かってんだろ」と、

「飛び出し君」を諫める(いさめる)ようになっていました。

「飛び出し君」の気持ちが本当によく分かるから、

「飛び出し君」に意見をすることができるのです。

「元不登校君」は、「飛び出し君」が転校してきて、

給食を食べる時間が更に短くなった時に、

私が給食を食べ終わると

いつも私の給食を片付けに来てくれた子でした。

その時、彼の席はわたしの対角線上の離れた場所にありました。

わたしが食べ終わると、片付けに来る

次の日も食べ終わると、片付けに来る

ある日

「すぐに片付けに来てくれてありがとう」

と言うと、

「ぼく、いつも先生のことみてるから」

と彼は言いました。わたしは、はっとして

「ごめんね、先生、全然今、見てないね」

と言うと

「いいよ、分かってるから」

と彼は言いました。

わたしは彼の優しさに涙が出そうになりました。

「飛び出し君」が転校してきて、約1ヶ月たったころ

「先生、潰れないでね」と電話をかけてきた

保護者の方からまた電話がかかってきました。

「先生、あの『飛び出し君』ね、小さな弟をおんぶしたり、

一緒に遊んだりして、優しいところがあるね。」

という内容でした。

わたしはそれを聞きながら心の中で、

彼がもし彼のことを大切にする家族の中で育ったら、

今の彼は「飛び出し君」じゃなくて

ちょっとばかし元気のいい

利発な男の子だったろうにと思いました。

「飛び出し君」が転校して約一ヶ月後‥

班を変える時期になりました。

すみれちゃんに

「すみれちゃん、いろいろ大変な思いをさせたね。

ごめんね。ありがとう。」と伝えた時に、

すみれちゃんは、私の目を真っ直ぐ見て言いました。

「先生、全然大変じゃなかった。

だって、こうすけ君はずっと今何をしたら良いのか言ってくれたし、

ひろひと君はみんなが大切にしているルールを説明してくれたし、

私は『できたね』って言って励まして、一緒にやったから楽しかった。」

と嬉しそうに笑ったのです。

私は、それを聞いて驚きました。

苦労しなかったはずはなかったのに、

楽しかったとすみれちゃんは言っているんです。

何て子どもの心は柔らかで優しいのだろうと思いました。

すみれちゃん、こうすけ君、ひろひと君から始まった

優しさの環が他の子ども達にも広がっていきました。

「飛び出し君」がトゲトゲしている時には、

「飛び出し君」の寂しさに気づいた子ども達が

ふわふわな心で彼を包みこむように関わるようになっていました。

そして、「くそばばあ!」「ぶっ殺す!」と悪態をつかれながらも

「飛び出し君」に関わり続ける私にも、

子ども達がふわふわな心で包みこむように

関わるようになっていました。

ちょうど、この頃だったと思います。

「飛び出し君」に「元不登校君」…

いろんな寂しさや悲しみを抱えていた子ども達に

心の繋がりができて、

子ども達同士で楽しそうに笑って一緒に食べていた時のことでした。

教室の中が急に静かになって、

子ども達の動きがスローモーションになったかと思うと、

金の粒が空からしゃらんしゃらんとふってきたみたいに、

子ども達がみんなきらめき始めたのです。

その時の光景のあまりの美しさに

私は息を呑んでじっと見ていました。

そして気づくとナミダが出ていました。

子ども達も私もみんなで1つになったような

それはそれは幸せな感覚でした。

最初は私と3人の子ども達‥

その後に、1人、また1人と子ども達が

まあるくなって環になって、

トゲトゲでいっぱいだった「飛び出し君」の心を

ふわふわな心で包みこみ、

「飛び出し君」のいのちを活かそう活かそうとしました。

「飛び出し君」も子ども達の優しさと思いやりに応えるように

自分のいのちを活かそう活かそうとし始めました。

すると、子ども達も「飛び出し君」も

共にいのちのきらめきを放ち始めたのです。

労る(いたわる)という言葉は、痛みという言葉を語源にもつと聞いたことがあります。

「飛び出し君」の心の痛みをわたしが担う(になう)

わたしの心の痛みを子ども達が少しずつ担う

そうやって、「飛び出し君」の心の痛みを分かち合ったら

優しさと思いやりが広がった

「飛び出し君」と子ども達と

共に過ごした日々を通して

私は、気づいたのです。

いのちを活かそう活かそうとする働き全てが「愛」なんだって…

花の名前は「ヒペリカム」 花言葉は「きらめき」

「飛び出し君」について

教室を飛び出す子が変わった~「飛び出し君」の春風~

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「元不登校君」について

モンスターママとの日々~火を噴く「怪獣母さん」と魔法~

Photo by Emmy

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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