旅にでる

今「ある」ものから創る世界~キューバへの旅~

キューバとは

2017年3月、キューバを訪れました。

街で出会った子ども達
首都 ハバナ
クラシックカーが観光客を乗せて街を走っています。

街を歩いていると、いたるところで「チェ・ゲバラ」に出会います。

【チェ・ゲバラってだれ?】キューバ革命の英雄。アルゼンチン人のチェ・ゲバラは、ブエノスアイレス大学医学部を卒業後、オートバイで中南米を放浪中に、貧困や病気、圧政と不平等に苦しむ人々を目の当たりにし、「中南米の解放」を志すようになります。カストロとはメキシコで出会い、徹底した平等主義で意気投合し、キューバ革命軍に参加。ゲリラ戦を指揮し、革命の成功に尽力しました。ホセ・マルティの精神を受け継いで、「弱者のための革命」を戦い抜いたカストロとチェ・ゲバラの人生は、今も多くのキューバ人に共感を与え、敬愛されています。出典元 外務省「わかる!国際情勢

【キューバ豆知識】キューバはアメリカ合衆国フロリダ半島南150㎞に位置する小さな島国です。1899年、キューバは米国の軍事占領下で、スペインからの独立を果たします。政争や民衆の反乱、暴動、米国の干渉などで混乱、対米従属のバティスタ政権を経て、1959年1月1日カストロ率いる革命軍が首都ハバナを陥落、革命により誕生したカストロ政権は、農地改革、米系企業の接収など急進的な改革を実施します。これに対し米国はキューバ援助打ち切り、1961年キューバと米国の国交断絶しました。
この頃、世界では米国(資本主義陣営)と旧ソ連(共産主義陣営)による冷戦が深刻化します。このような情勢下で、カストロが米国の圧倒的力に対抗するために選択したのが、ソ連の巨大な力を借りること、すなわち社会主義体制への転換でした。そして、1962年、ソ連に急速に接近していたキューバにおいて、ソ連が核弾頭ミサイル基地建設を進めていることが明らかになり、米ソ間の対立が核戦争にまでしかねないという緊張感が一気に高まりました。(キューバ危機)こうして米キューバ間の対立が決定的となると、1962年 アメリカはキューバに経済制裁を発動しました。出典元 外務省「わかる!国際情勢

見たり聞いたりしたこと

ここから先は、

実際に現地の方々から聞いたり、

わたしが見たりしたことに基づくお話しです。

キューバの平均月収は日本円で2500円

キューバには外国人旅行者が使用するお金(兌換・だかんペソ)と

キューバの方々が使用するお金(人民ペソ)と2つのお金が流通しています。

外国人が使用する兌換(だかん)ペソと

キューバの人達が使用する人民ペソの交換率は

当時 1兌換ペソ=25人民ペソ

同じアイスクリーム1つ買うのでも、

外国人用の売り場とキューバ人用の売り場があって、

価格が違っています。

資本主義を牽引する大国アメリカの近くに位置しながら

社会主義国である小さな島国キューバは、

1990年代、貿易先85%を占めたソ連と東欧諸国の崩壊により

未曾有(みぞう)の経済危機に陥ります。

そのどん底の時期を経て、

貧富の差が広がったとされる2017年キューバでは

医療費と教育無料

「貧富の差はあったとしても、医療と教育に差はない」

といわれるほど充実していました。

小学校の先生が担当する児童数は最大20人まで

中学校においては担当する生徒数最大15人まで

1年生~6年生、中学1年~3年までの担任が

持ち上がりでした。

中南米を旅すると必ず出会う、

ストリートチルドレンに出会うことはありませんでした。

ちなみに、国会議員の女性の割合は64%です。

学校にも訪問いたしました。
子ども達による歓迎の催し

1つの団地の中に1人お医者さんが住んでいて、

住民に健康保持のアドバイスをするなど

保健師さんのような役割を担い住民の未病に務めていました。

一番心に残ったこと

このキューバ視察旅行の中で一番心に残ったのは、

首都にあるアラマール農園に訪れて、

アラマール農園を1から創った方からお話しを聞いたことです。

1991年長年のキューバ支援国であった

ソ連が崩壊し、支援物資は途絶え、

未曾有(みぞう)の経済危機に陥った際、

都市の人達にとって一番困ったこと、

それは食糧の確保でした。

ソ連の崩壊によって輸入が途絶えた約800項目の品物に

農薬や石油も含まれており、

石油の輸入がストップしたことで、

地方で栽培した農作物を都市に運ぶことができなくなったのです。

都市に食べ物が届かなくなり、

都市に住む人達が生き抜いていくために始めたことの1つ

それが、アラマール農園でした。

都市に農園を創ったのです。

左 農園を始めた5人の方の1人
右 今回の視察旅行企画者 
国分寺カフェスローの吉岡さん

最初は、5人からのスタートでした。

ゴミの不法投棄場兼焼却所だった場所から

ゴミを取り除き、土地を耕し、

化学肥料や農薬の代わりとなる方法を模索しました。

農業省の官僚だった知識人と農民が協力し合い、

知恵を駆使しての挑戦が始まりました。

馬糞にミミズを投入

馬糞の中にミミズを入れて堆肥を作り、

生ゴミからコンポストを作り、堆肥と混ぜて

苗床の土ができました。

害虫駆除には、農薬の代わりに

特定の木の葉っぱを三日間水につけ

その水をまくと虫がよってきません。

この木の葉っぱを3日間お水につけます

そうやって、1つ1つ工夫を重ねて農作物を作り続け

93年に5人から始めたアラマール農園は

2017年には10.8ヘクタールの耕作地に

120人が働く農園となりました。

農園のある地区から歩いて働きに来る人達のために先ず野菜を提供し

余った野菜を販売していました。

ホテルなどにオーガニックのハーブ類を売って

平均賃金の3倍の収入を得ています。

農園ではお花も販売していました。

先駆的な都市型オーガニック農園として

世界中から視察団が来るアラマール農園には

マイナスの出来事を

知恵と挑戦と日々の努力でプラスに変えた

そこに生きる人々のいのちがつまっていました。

目の前に「ある」ものを活かして創る世界が広がっていました。

「ある」ものを活かしきっている!
5人から始めた元ゴミ捨て場だった場所が
今では120人の方々が食べる野菜と
平均賃金の3倍を供給する農園となりました。

アラマール農園内をご案内していただいた方は、

76歳のおじいさんでした。

農園の将来の構想を聞かれて、

「これ以上、横に広げることはできないので、中でどれだけ技術をアップさせていくかを考えている。農民というのは、自分の畑が大好きで、自分の恋人、奥さんのように土地が大好きだから、この土地から離れることはない。ぼくは田舎で生まれて、技術者となり、農業省で国家レベルの農業プロジェクトの一員として働き、そこを退職し、この農園にやってきたんだよ。76歳でもうこの先長くはないがね。」

と応えてみえました。

キューバ革命時に、この方は18歳。

激動の時代を生き抜いて、

穏やかな笑顔をうかべてゆったりとお話しする方でした。

今、『ある』ものから必要なモノを創り出す」ことの

できる人ってすごいなぁと、わたしは感嘆しました。

帰国して、友だちにキューバのお話しをした時に、

都市にすむ友だちは、

「わたし2500円じゃ、とても生活できない」

と言い、

大和という自然豊かな田舎に住むお父さんは

「2500円で暮らせるとは豊かな国だな」

と言いました。大和のお父さんというのは、実の父ではなくて

行きつけの飲み屋さんのマスターの奥さんのお父さんで、

家に遊びに行くと

「ようきたな。」と言って、

家に泊まらせてくれたりご飯をふるまってくれたりする方です。

わたしは、大和(やまと)のお父さんに

「豊かな国だなって、なんでそう思うの」

と聞いてみると、

「必要なものは自分で創れるから、お金がいらんのだろ」

と、言いました。

確かに大和のお父さんは、

自分で食べるものや使うものを創り出せる手をもっているから、

そう考えるんだなっとわたしは思いました。

汐見稔幸先生とともに

キューバへの旅は、

教育哲学者で「ぐうたら村」の村長さん

汐見稔幸(しおみ としゆき)先生とご一緒の旅でした。

ご一緒した汐見先生は、畑からにんじんをひっこぬくと!
パクリとひとかじり!うまい!うまい!とモグモグ
ヘミングウエイが住んでいたお家でも、落ちていた木の実を拾うとパクリと一口!

汐見先生について印象的だったのは、

落ちていた木の実を拾って食べるまでに

何の躊躇(ちゅうちょ)もなかったことです。

興味をもって、味わってみたい!と思ったら

試みるまで一瞬なんだなと思ったわたしは、

「この速さが汐見先生の知性の源なんだな!

 子ども心そのものだ」と感動しました。

汐見先生を最初に存じ上げたのは、汐見先生のご著書を介してでした。

わたしは、崩壊したクラスの立て直しをしている頃、

心がバラバラで繋がりのない

目の前の子ども達の「目には見えない大切な心」を理解したいと、

当時、それはもういろんな本を読んでいました。

子ども達への関わり方や言葉かけの参考になった育児書が、

汐見稔幸先生のご著書

子どもが育つお母さんの言葉かけ」という本でした。

今は、「この『言葉がけ』が子どもを伸ばす(PHP文庫)

という本になっています。

この本を読んで、それまでの自分を振り返って

本当に恥ずかしくなり、猛反省したわたしは、

命に関わる絶対的な禁止以外は

「ダメだ!」という言葉を子どもに対して使わない!と決め

1つ1つ実行したことが、

その後、基本的自尊感情(自己肯定感)の実践となりました。

汐見先生のご著書に本屋さんで出会った2年後に、

汐見先生ご自身とともにキューバを旅することになるとは、

当時のわたしは全く想像もしていなかったです。

絵本作家のお友達からご紹介いただき、

汐見先生のご自宅にうかがい、

初めてお会いしたわたしに、

「ぼくはね、あなたみたいな先生を応援しますよ!」

と熱く言われてドギマギし、

浜に打ち上げられた魚のように口がパクパクして

最初、よく声が出なかったたことを覚えています。

先生の育児書から、子ども達への関わり方や言葉がけへの

大ヒントをいただいたことへの

感謝の念をなんとか伝えると、

「この本も読みなさい」と、ご著書を2冊いただきました。

左 とても素敵な音楽の先生
真ん中 汐見稔幸先生
右 わたし(ぺんぎん先生)

こちらは昨年末、購入した汐見先生のご著書です。

読んでいたら、次の文に目がとまりました。

「私はおもに幼児教育を中心とした活動を通して、子ども達一人ひとりの『命の輝き』を実現したいと考えてきました。」(出典元「天才」は学校で育たない)

こちらを読んだときに、

「大切にしたいことが同じ人に出会えていたんだな。」

ということが分かって涙が出ました。

~・~・~・~・~

汐見稔幸先生とは? こちら

国分寺 カフェスロー吉岡さんとは? こちら

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「子ども達のいのちが輝く瞬間は、何とも言えない驚きと喜びをもたらし、私は、子ども達のいのちの輝きに夢中でした。」(子ども達一人ひとりに必ずある「天才のたね」の発芽条件より

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生(たかはし あやお) 愛知県在住。元小学校教員。講師。(近い未来)作家。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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