子ども達との物語

絶対にあやまらない子どもが変わった~「地蔵君」の喜びの花が咲く日まで~

絶対にあやまらない「地蔵君」との出会い

4年生のクラスの担任となった時に、

いがぐり頭の小柄な男の子に出会いました。

3年生の頃の彼は、授業中でも教室を飛び出して、

運動場のブランコの横で石のように固まり、

なだめても、怒っても、何をしても頑として動かなかったと

前の担任の先生から引き継ぎで聞きました。

お話しを聞きながら、ふと浮かんだのは「風林火山」

「そのはやきこと風のごとく、

 そのしずかなること林のごとく、

 しんりゃくすること火のごとく、

 動かざること山のごとし」なら、

その男の子はブランコの横で動かないこと、

石のごとくかぁ~

頑なな(かたくなな)姿は

まるで鎮座(ちんざ)する巌のよう……う~~ん

あ!だったら彼を「地蔵君」と呼ぼうと

心の中で名付けたのです。

さて、この「地蔵君」…

小さな身体にも関わらず、肩を怒ら(いから)せて

女子達に何か言われたら、鋭利(えいり)な言葉でやり返す。

男子に何か言われたら、大変な剣幕(けんまく)で怒鳴りちらす。

熱血先生に注意されると「ウザいんだよ、ばばあ」と吐きすてる。

わたしが何か楽しくやろうよと関わろうとすると、

「つまんねえ」と意気消沈する一言を発する…チーン

出会った頃は頭もイガぐりなら、

心もトゲトゲのイガイガトゲトゲ君でした。

そんな「地蔵君」ですから、彼の周りで小競り合いや

「先生~『地蔵君』に嫌なこと言われた。」という

女の子からの訴えはしょっちゅうでした。

そこで「地蔵君」と話をすると、

「俺は絶対悪くない、あいつが先にやったんだ。」

「俺は絶対悪くない、あいつが叩いたから言い返したんだ。」と

激しく主張し、

俺は絶対にあやまらない!」と

頑な(かたくな)に言い張りました。

絶対にあやまらない!「地蔵君」の背景

「地蔵君」の態度にますます周りも

「あいつまたか」「あいつ許さない!」となっていきます。

「地蔵君」のあやまることへの頑な(かたくな)な拒絶は、

いったい何でだろうと不思議に思い、

以前彼に関わっていた先生や周りの子ども達に聞いてみました。

すると2年生の頃に、

当時の担任の先生のことを慕っていた子ども達が、

先生を喜ばそうとお誕生日会の準備をしている時に、

「地蔵君」が言った一言で、

女の子達が一斉に泣いてしまい、

楽しいお誕生日会が台無しになったこと…

3年生の頃に、

当時の担任に暴言を吐いた「地蔵君」に、

担任と母親と教頭先生と3人かかりで2時間かかって

謝らせたことが分かりました。

2年生のお誕生日会のことは、

本当のところのことはよく分からないとして、

大人3人がかりで「地蔵君」に謝らせたことに対して、

「地蔵君」は今も納得していないんだな、

だから「俺は絶対に悪くない!」と、

頑なに主張するんだなと思いました。

「ごめんなさい」と謝る時は、

自分がしたことで相手が悲しい気持ちや

嫌な気持ちになったなと感じて、

心で悪かったなぁ…あやまりたいなぁ…

と思うからこその「ごめんなさい」

その時の気持ちや本音を聴かずに、

無理矢理あやまらせても、

今の「地蔵君」の姿からだと彼の成長にはならないなと考えました。

周りの子ども達は納得しないけど「地蔵君」の成長をまず待とう…

「地蔵君」が自分からあやまりたいと

思うようになる日が来るまで待つことに決めました。

小競り合いは相変わらずで、

「地蔵君」が何かを言う、

子ども達からわたしに訴えがある、

「地蔵君」と話をする、

互いの言い分を伝え合う、が、

謝ることはしない、というのが

ずっと続きました。

当時のわたしは、子ども達のケンカ、言い合い、

「問題」行動…、全て記録にとっていました。

「地蔵君」とのやりとりも全部メモにしており、

そのメモをながめてつらつらと、

(なんでこんなにもケンカをするんだろう…)と、

「地蔵君」のことを考えていた時のこと。

ケンカには「共通点」があることに、ふと気づいたのです。

もしかして、もしかして…と思い、

次にケンカになった時は、

「地蔵君」に直接、ぶつけてみることにしました。

「地蔵君」から本当の気持ちを聴く

「地蔵君」がまた、男子と小競り合いをし、ケンカに発展し、

「俺は悪くない!あいつが嫌なこと言ったんだ!」と、

いつものパターンで主張しました。

さぁ、待ってました!この時です!

(心の中で腕まくりする瞬間です)

「地蔵君」と真剣に話し合う時が

とうとうやってきました。

わたしは、深く深呼吸をすると、

「地蔵君」の目を真っ直ぐに見つめて、

「そうなんだね、嫌なこと言われたんだね。

ただね、先生1つ気づいたことがあるから

言ってもいい?」

「何だよ!!!!!(イガイガトゲトゲ発散中)」

わたしは深い呼吸を意識しながら、

穏やかな口調で話しかけました。

「嫌なこと言われたっていっていたよね。

さっきも同じ事言われていたけど、

その時は笑っていたよね。

どうして、体育の授業の前だとケンカになるのかな。

先生には、体育の授業の前だから、

わざわざケンカしているように思えるよ」と

「地蔵君」の目を真っ直ぐに見つめたまま、

ぶつけてみたのです。

すると、「地蔵君」はハッとした顔をして、

「別に、体育の授業の前だからってわけじゃない。」

さっきまでの剣幕から一転、

横を向いて、うそぶきました。

「そうなのね。ただ、この前のケンカも、

その前のケンカも、

体育の授業の前に起きていてるよね。

もしかしたらだよ…

体育の授業が嫌だから、ケンカをしているのかな。

本当は何が嫌なの?」と、

聞いてみました。

すると、「地蔵君」はうなだれて、

「体育の時におれができないと、笑うやつがいるから嫌だ」と、

つぶやいたのです。

(あ~~~、そうだったのか!

運動全般を苦手とする「地蔵君」は、

自分の弱みを笑われて、恥ずかしく思うようになっていたんだな。

彼の本音がやっと分かった…)

「そうなんね。笑う子がいたんだね。それは嫌だったね。

ただ、体育はね、できないことに身体を使ってチャレンジするから、

学校の授業の中で、一番ケガをしやすい授業なんだよ。

ケンカが起きて、みんなの心がザワザワして落ち着かないと、

集中できずにケガをしやすくなるんだよ。

先生は、そんなことでケガをしてほしくないんだ。

ケガすることのないように、あなたには協力してほしいんだ。」と、

と「地蔵君」の気持ちを受け止めた後で、わたしからのお願いを提案してみました。

すると「地蔵君」が

「ケンカはしないけど、授業はやりたくない」

と、言ったのです。

「分かった。近くで見ていてくれるかな。

そして、できたら、何かお手伝いをしてほしい。」

と言い、「地蔵君」の変化を見守ることにしました。

「地蔵君」の一番の笑顔

体育の鉄棒の授業の時のことです。

昨年、学級崩壊して授業が成立せず、

子ども達はやれていないこと・できないことが

穴ぼこのようにありました。

充分な練習の時間もやりたい気持ちもなかったから、

逆上がりのできる子が5,6人だけの状態からのスタートでした。

逆上がりができる子に「ミニ・ティーチャー」になってもらい、

逆上がりにチャレンジする子どもの横に立って、

足を上げてまわる際、手で足やおしりを支える仕方を伝え、

練習をしていた時のことです。

さっき座っていたところに「地蔵君」が見当たらない!

一瞬、やっぱり嫌になってどこかに行ったのかなと見回すと、

なんと!「地蔵君」が鉄棒の下にいたのです。

逆上がりにチャレンジしている友だちの背中に自分の背中をつけて、

逆上がりをしようと地面を蹴り上げて回る際に、

足をぐっと踏ん張って、

友だちの身体を「地蔵君」は小さな背中で持ち上げて、

その後で、えびのように鉄棒の下を抜けていったのです。

すると、「地蔵君」の背中で持ち上げられた友だちが、

くるりと回り、逆上がりができたのです!

「できた!初めて回れた!ありがとう!」

「地蔵君」は何とも照れたような表情を浮かべたかと思うと、

「できたな!よかったな!」と共に笑い始めたのです。

できないと、笑われるから嫌だ」と、

弱みを認めたことで、友だちとケンカをする必要がなくなり、

体育の授業を「見る」ことで、参加していた「地蔵君」が、

サポートの仕方を思いつき、自らやってみたら、

「初めてできた!ありがとう!」

「できたな!よかったな!」と、

喜び合う現実を創り出したのです。

4月に出逢ってからの一番の笑顔でした。

わたしは、「地蔵君」よ!

君はサポートの天才だったか!と思いました。

この日をきっかけに、体育の授業中、

名サポーターとして活躍するようになりました。

「地蔵君」からの打ち明け話

ある日のことです。

「地蔵君」が

「先生、話したいことがあるんだ」

と言って、2年生の頃、先生のお誕生日会を準備していて、

自分が言った言葉で女の子達が、

一斉に泣いたことを話し始めました。

「ぼくは、準備をしている時に

女子が言い合いを始めたから、

ケンカをしながら準備したって先生は嬉しくないから、

ケンカするぐらいならと思って、

『誕生会なんかやめろ』って言ったら、

女子が一斉に泣いてしまったんだ。」

「そうゆうことなんだ。

自分の言った言葉で一斉に泣いたら、それはなかなか辛いね。」

「うん、女子にだいぶ責められた。」

「そうだったんだ。

『地蔵君』なりにお誕生日会をよくしたいとか、

先生に喜んでもらいたいとか思っていたんだね。」

「うん、先生に喜んでほしかったんだ。」

「そうなんだね、先生に喜んでほしかったんだね。」

そんなことを話すと、

「地蔵君」は、「はぁ~っ」と深い息をはきました。

肩の力がスゥ~と抜け、

まるで重い鎧(よろい)を脱いだかのように楽になり、

穏やかな表情を浮かべました。

「地蔵君」がついに!

それからしばらくしてのことです。

学習発表会に使う小道具を作っていた「地蔵君」が、

その小道具の飾りをどうするかで一緒に作っていた子と

お互いに熱中するあまり意見がぶつかり合い、

カァーっとなった「地蔵君」が振り下ろした手で、

小道具に貼ってあった絵が破れてしまいました。

その絵を描いた女の子が一瞬息をのんだかと思うと

わぁーっと泣き始めました。

いつもの様に「あいつが」と言いかけて

わたしを見た「地蔵君」に、

わたしは首を横にふり、

黙って「地蔵君」をじっと見ました。

すると「地蔵君」は友だちを責めることをやめて、

その女の子が泣き止むのをじっと待っていました。

そして、女の子が泣き止むと、

「地蔵君」は背筋をピンと伸ばし、

一生懸命に描いた絵を破って、ごめんなさい。」と、

深々と頭を下げたのです。みんなが見ている前でした。

周りの子ども達が「地蔵君」の真剣な様子にシーンとなり、

後から、女の子の何人かが

「あやまるの初めて見た」

「あのあやまり方、本当にあやまっていて、見直した」

などなど、口々に言いに来ました。

わたしは、女の子達に2年生の時のお誕生日会のこと

「地蔵君」ずっと気にしていたんだよと伝えました。

「絶対に謝るもんか!」と主張する「地蔵君」が

自分から「あやまりたい」と思うようになるまで待とうと決めて、

半年が経った頃のことでした。

「地蔵君」、算数の授業で先生になる

3学期になると、

「地蔵君」は、算数の先生役としてみなの前で算数の授業をし、

わたしが生徒役となって「地蔵君」の先生っぷりを

にこにこと笑いながら見ているということも試みました。

授業を行った後、「地蔵君」は、

「先生って、なかなか大変な仕事なんだ」と、

何だか分かったかのようなことをしみじみと言いました。

「地蔵君」とのその後

「地蔵君」が5年生になり、

わたしは3年生の担任となった時、

わたしは「飛び出し君」と出会いました。

「飛び出し君」にあの手この手で関わろうとするわたしに、

「先生、毎年大変だね。今年はそいつで、去年は僕でさ。

だけど,そいつがそんなに物にこだわるのは、

それだけ物に、興味関心があるってことだよ。

大目に見てあげてよ、先生」

とわたしに言いにきたのです。

それを聞いたわたしは大笑いして

「その通りだね」

と言うと、「地蔵君」に手を差し出し、

大好きだよ「地蔵君」という気持ちを込めて握手をしたのでした。

「地蔵君」の未来に

「地蔵君」へ

あなたは気づいているでしょうか。

友だちの身体を小さな背中で持ち上げて、

友だちが初めて逆上がりができた時に、

友だちの喜びを、まるで自分の喜びのように

友だちと一緒になって喜んでいた、

あの瞬間に蒔かれた「喜びのたね」‥‥

あなたの喜びの花が咲く日まで

わたしは生きていないかもしれないけど、

あなたはきっとあなたらしい

喜びの花を咲かせて生きていくことでしょう。

そのことがわたしはとても嬉しいのです。

解説編

絶対にあやまらない!と頑なに言い張る「地蔵君」の成長をなぜ待つことににしたのか。

頑なな(かたくなな)姿を見せる子どもに出会った時には、目には見えないその背景を理解することが大切です。

目に見えている「飛び出し君」の態度を力ずくで変えようとすると

暴言、暴力、無気力など、他のカタチで現れるようになります。

3年生の時には、すでに担任への暴言が始まっていました。

もしわたしが力でコントロールして、

無理矢理にでも謝らそうとしていたら、

「地蔵君」は暴言・暴力、無気力で対抗してきたことでしょう。

(参考 アドラー心理学

関連記事 教室を飛び出す子どもが変わった~「飛び出し君」への対応~

目では見えない「地蔵君」の背景には、「地蔵君」の心の傷がありました。

そのために、「地蔵君」が自分からあやまりたいと思うようになる日が来るまで

信じて待つということをしました。

この方法は、一見何も手立てを打っていないかのように見えるため、

周りの子ども達から不満が出ることがあります。

集団の中で、個の成長に合った対応をする時には、

周りの子ども達にも説明し、協力してもらうための

配慮が必要となります。

待っていると、やがて心の傷に向き合うタイミングがやってきます。

「地蔵君」の場合、

弱音をはいた時にこそ、受け入れる(受容する)ことで、

「地蔵君」は本来の力を取り戻し、

創造性を発揮して、活き活きと生き始めました。

心の傷から自分を守るために、

周りと闘っていた「地蔵君」が、

弱音を受け入れたことで、

それまでとは違う行動を選択し、その結果

「地蔵君」を取り巻く現実が変わっていったのです。

その後の「地蔵君」がわたしに見せてくれたいきいきとした姿は、

わたしの想像をはるかに超えていました。

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ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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