星のカケラという名前~父と対話ができたこと~

大自然と神秘な場所へ、

ユニークな仲間達との旅で、

感じて気づいたこと。

 

私の名前、あやおは「文尾」と書く。

男と間違われることがしょっちゅうあるこの名前…

特にこの名前に使われている「尾」が、実はずっと嫌だった。

 

小学生の頃、絵画コンクールで受賞した時に、

校長先生に全校生徒の前で、「ふみお君」と呼ばれたことがあった。

前に出て行かなかったら、

「ふみお君、ふみお君、早く出てきなさい」と連呼され、

「あやおと言います」と伝えたら、

「名前にはいろいろな呼び方があって」と

校長先生がごまかしたのも嫌な気持ちに拍車をかけた。

漢字の由来を調べると「しかばね」に、

動物のしっぽを表す「毛」という字。

せめて「糸偏の緒ならいいのに」と何度も思った。

 

今回の旅で、

神や仏や自然と人を繋ぐ山伏の星野先達に出逢い、

名前を伝えた時に、

「美しい名前だね」

と言われたことが、ふと心にのこった。

初めて出逢った人に、

「美しい名前ですね」

と言われることが、最近何度かあったからだ…

 

なぜ、今、こんなに気になるんだろう…

静かに自分の心に聴いてみた。

そして、思い出したのだ。

小学生の頃、父に、

「どうして文尾という名前にしたの」

と聞いたことを…

 

その時、父は、

「『文尾』は美しい名前だと感じたからだよ」

と私に言った。

 

父が感じた「美しい」って何だろう…

父が感じた「美しい」を知りたくなった。

もう一度、漢字の成り立ち、字源、由来を調べてみた。

 

すると「尾」には星座の名前、

「足垂星(あしたれぼし)」の意味があると載っていた。

月が地球を一周する間に、

通過する28星座の1つ、

二十八宿の1つが足垂星(あしたれぼし)だった。

 

心を静めて、目を閉じて、

夜空に浮かぶ星々を、

砂漠で見た星空を、

旅先で見た星の景色を、

順に思い浮かべたその時に、

父の魂と私の魂が繋がって、

父の想いが一気に流れてきた。

 

戦時中、小さな頃に実母が逝き、

戦後直ぐに、中学1年生で実父が逝き、

義母と義弟とともに、父は長男として貧しい時代を生き抜いた。

食べ物が十分にないときに、義弟に義母がこっそりと食事を与え、

父がもらえなかったこともあったらしい。

酔った父の口から聞いた母が私に話したことがあった。

その話を聞いた時に、

空腹とともに感じた父の孤独はどれほどのものだろうと、

子どもだった私の心は痛んだ。

 

貧しかったために、中学を卒業して直ぐに奉公に出された父は、

それでも学ぶことが諦められずに、奉公先を逃げだし、

昼間は郵便局で働き、夜は高校に通い、

周りの人達からは何年か遅れて、大学に進学した。

大学では学費の支払いが滞る度に、

掲示板に名前を張り出され、

それを見た教授に学費を工面してもらい、

その教授の後継者にと望まれていたのを、

義弟への仕送りのために教師となった人だった。

哲学に精通し、「カミソリ」と言われる程の感性の鋭い人だった。

 

父親代わりとなった教授の紹介で、

父が母に出逢い、私が生まれた。

私が生まれた時に、父が私を抱いて、

「ああ、ずっと独りだった俺に、

これでやっと本当の家族ができた」

と、父が心の中でつぶやいたのを

生まれたばかりの私は聴き、

父の孤独が私の存在で一気に癒やされていくのを感じた。

 

そう、父にとっての私は、

孤独だった父の闇を照らす光、

この世に生まれた星のカケラだったのだ。

心が打ち砕かれるような出来事に出会う度に、

父は夜空を見上げ、星々の輝きを見つめていたのだろう。

だから、父の感性と智慧でもって、

わたしに「文尾」と名付けたのだ。

父が「美しい」と感じた名前。

 

大自然の中で、私は「本当の自分」、「素(す)」に還っていった。

自然と人とを繋ぐ山伏の星野先達に出会った。

雨降る羽黒山を裸足で歩いたら、いのちの歓びを大地から感じた。

帰り道の車の中でかかっていた曲「星のカケラ」が妙に気になった。

ヒントがちりばめられた旅を振り返り、

静かに自分に問いていったら、

父の想いが流れてきたのだ。

 

時間も空間も飛び越えて、

16年前に逝った父との対話ができた今日という日(2017年6月3日)

 

追記

後日、星野先達に再会し、父と対話ができた体験をお伝えしました。

すると

「直感で言ったことは、覚えていないんだよ。

魂とはそうゆうものなんだ」と仰っていました。(2018年4月11日)