人生の喜びとは何か、そしてその喜びはどこにあるのか

「最高の人生の見つけ方」という映画があります。

余命6ヶ月を宣告された年輩の男性二人が、 

人生の中でやり残したこと

やりたかったことを実現する旅の物語です。

その中で、こんな会話がありました。

「古代エジプトで信じられていたことがある。

死ぬと天国の門の前で神に二つの質問されるんだ。

イエスかノーかで、中に入れるか決まるんだ。」

そしてその2つの質問というのが、次の通りです。

「一つは、 

あなたは人生で喜びを見つけましたか?

そしてもう一つは、 

あなたは、人に喜びを与えましたか?」


わたしは、

「もしわたしがこの2つを質問されたとしたら、何と答えるのだろう」

と、自分に問いてみました。

今、自分の人生を振り返って、

悲しいと感じたことの10分の1ぐらい

嬉しいと感じたことがあったとしたら

「これこそがわたしの喜びだった」と

心の底から感じられることは何だろうと疑問がわいたのです。

人生を振り返ってみると、わたしは

小さなことから大きなことまで

いろんなことにチャレンジをしてきました。

大学在学中にブラジルに留学し

帰国後に就いた仕事は

入国管理法の改正後に急激に増えた

外国人労働者達への相談窓口の立ち上げでした。

雇用の調整弁として働く外国人労働者の生活・労働・職業相談に携わりました。

その次は、公立学校に増加した

外国人労働者の子女のための日本語指導員を経て、

日本語適応教室の立ち上げでした。

「雇用の調整弁」として不安定な生活を強いられた

外国人労働者の家庭で起きている出来事に直面し、

今振り返っても、よく正気を保っていたなと思います。

その後、採用試験を受け教職に就いたら、

内発的動機付けによる学力向上を達成した後、

崩壊したクラスの立て直しをし、その経験から

今なおアメとムチ系賞罰指導が遺る学校現場に

真逆な方法(承認・選択理論などなど)を導入し、

自己肯定感を高める研究・実践を行いました。

目の前の現状を観察・分析して、

資料やマニュアルなどが何もないところから

そのとき選択できるベストな対応を見つけ出すために

関係機関に問い合わせをしたり、

その道のプロに学びに行ったり、

業務を遂行する上で必要とされる

知識(法律・言語・教育など)を身につけたりしながら、

目の前の人にとって必要な情報や教材を集め

提供をするということに随分時間を費やしてきたことに気づきました。

同時に、何かを立ち上げる、

0を1にするという作業は、

チャレンジの連続です。

チャレンジするから、うまくいかなくって

周りの人達に迷惑をかけたこともいっぱいあるし、

「自分の大切なことは何か」を学んだこともあるし、

とことん落ち込んだときの周りのわたしへの関わりから

いろんなカタチの優しさがあるなと気づいたこともありました。

そんなわたしの人生の中で、

最大のチャレンジが何だったか

と問われたら、

今の時点でのわたしの中の答えは、

「飛びだし君」を教室に受け入れたことです。

初めて出会った時の「飛び出し君」は

トゲトゲチクチクエネルギーを大放出させて

校長室のソファーであぐらをかいて座っていました。

その彼を、教室に受け入れて

居場所を創るということは、

わたしにとって、人生最大のチャレンジでした。

振り返ってみても、実際に彼との日々は

嵐が吹きすさぶ大海に

行き先もよく分からずに

小さな船で出航したような

事件、事件が起きる大荒れの日々でした。

「『飛び出し君』さえいなかったら、どれだけラクか」

正直そう思ったことも一度や二度、三度や四度ではありません。

その「飛びだし君」のお母さんから

「前の学校では、『飛びだし君』が遠足に参加すると、

安全面が確保できないと担任から言われ、

そこまで言われたら休むしかなかった。

本当は彼も遠足に参加したかったのに」

と打ち明けられたときは、

「そう言いたくなる前の担任の気持ちも分かるなあ」

という思いもありつつ、

「言いたくなるのと実際に言って排除するのとはまた別問題よね」

という冷静に分析する頭もありつつ、

「飛びだし君」もそのお母さんも

ずっと社会の片隅で生きてきたのだなと心で感じたわたしは、

「飛び出し君」が遠足に参加できるようにと学校内の調整

クラスの子ども達との話し合い、

「飛び出し君」と同じ班になった

子どもの保護者の理解と対応策の調整と時間を費やしました。

当時、ある組合の女性部長と、

別の組合の女性副部長と、

校内では研究主任ともろもろ担当していながらも

「授業大好き!」で授業の準備にも手を抜きたくなかったわたしは、

「飛び出し君」に費やす時間を捻出するために

睡眠時間を削って取り組んでいました。

先日再会した、

わたしの尊敬する先生は今でもその生活を続けてみえます。

わたしはその先生のぎりぎりな様子を思い出すたびに、

「どうかどうかいのちを大切に生きてください」という思いになります。


「飛び出し君」と一緒に遠足計画に向けて準備していた頃は、

彼が転校してきて一ヶ月経ていない、

まだクラスに慣れていないころで、

「飛び出し君」からは「くそばばあ」と悪態をつかれ、暴れられ、

周りの先生達からは「先生は甘すぎる」と言われ、

そんな中で、子ども達から「よく泣く先生だ」

と言われていた泣き虫なわたしが

どうして諦めないで「飛び出し君」に

アメとムチ系賞罰指導とは真逆の方法で対応し続けたのか、

わたしは、その時の自分の心の奥底に

何があったのかを眺めてみることにしました。

「無知のムチ」で子ども達の勇気をくじく

アメとムチ系賞罰指導をする先生への反発心が大いにありました。

「飛び出し君」の孤独に生前の父の孤独を重ねていた痛みもありました。

たった9歳で大人が怖くてしかたがない「飛び出し君」に対して

どんなに優しくしたって彼の人生においたら微々たるものだよね!

っといった義憤にも近いものもありました。

そう一つずつ思い返してみても、なんだかストンと納得できません。

そして、静かに自分に問いた時に、

気づいたことがあったのです。

わたしは、「飛び出し君」に出会うまでにも、

胸がかきむしられるぐらい悲しい気持ちになる

子ども達に出会ってきました。

子ども達を大切にしない社会の現状を

呪っていたと言っても過言ではありません。

だけど、その奥には深い悲しみがあって、

本当は自分に力も知識も経験もなくて、

何もできないでいることがもっとも悲しいことでした。

崩壊したクラスの立て直しをした際に、

「温かな家族のようなクラスにしたい」

という心の奥底からわきあがってきた想いは

温かな家族というものを知らずに生きている

子ども達に出会ってきたからです。

あの時感じた深い悲しみを目の前の子ども達とは2度と味わいたくない….

だから、「自分にできることはする」と決め、

たった9歳で大人が怖くて仕方がない

「飛び出し君」にとって安心する関わり方を模索しながら

「飛び出し君」に対応したのだと気づいたのです。

クラスの子ども達はわたしの気持ちを感じとって

一人、また一人とわたしの挑戦を支えてくれました。

「飛び出し君」との日々は1つうまくいっても、

次には、2つうまくいかないことはざら、

挑戦してはなかなかうまくいかなくて

うまくいかないことを笑える元気のある時はまだいいのですが、

心底、落ち込み泣きたい気分の時にも

意志の力でふんばっていたときには

「先生、大丈夫?」っと何かを感じとった

子ども達にそのまま受け入れられて

その時の最高の自分を発揮するようになっていったのです。

秋の遠足で集まって、

お弁当を食べていた時のことです。

「飛び出し君」は、

笑顔をわたしに向けたかと思うと、

「まあ、先生はみんなに愛されているんだね」と言って、

うまい棒のチーズ味をわたしに差し出しました。

この時に目に見えて起きている出来事は

「飛び出し君」からわたしに

10円のうまい棒が渡されたということです。

だけど、心で感じとれる人達は、

これがどういったことなのかを心で理解します。

「本当に大切な事は目に見えない」のです。

「飛び出し君」が笑顔を向けて10円のうまい棒を

わたしに向かって差しだしたあの瞬間

頑なに(かたくなに)閉じられていた

「飛び出し君」の心が

わたしに向かってふわりと開き

わたしの心とつながって、

「まあ、先生はみんなに愛されているんだね」

という言葉とともに

「飛び出し君」の優しさがわたしの心の中に流れてきたのです。

周りの子ども達はすぐに「飛び出し君」の変化を感じとり、

笑顔になると、いっせいに

「先生、食べて、食べて」と

わたしの手の平いっぱいにお菓子が集まりました。


だから、わたしは今でも思うのです。

あの時わたしが手のひらに受け取ったのは、

「大人なんて信じるものか!」と

トゲトゲチクチクしていた「飛び出し君」の

ずっと隠されてきた本当は柔らかな心と

それを共に喜ぶ子ども達の優しい心なのです。

「飛び出し君」の心が開いて

わたしと心がつながって

そして、周りの子ども達もそれを感じとって笑顔になった

あの瞬間の深い「喜び」は、

今もなお、夜空を見上げて

愛おしく眺める星々のように

わたしの心の中で輝いているのです。

~・~・~・~・~・~・

「死ぬと天国の門の前で神に二つの質問されるんだ。

イエスかノーかで、中に入れるか決まるんだ。

一つは、

 あなたは人生で喜びを見つけましたか?

そしてもう一つは、

 あなたは、人に喜びを与えましたか?」

   映画 「最高の人生の見つけ方」より