天才のたね

失恋したお友だちと錦のママと香港のお母さんとうっとりとする瞬間

失恋したお友達と会う

「あやお先生、お話ししたいことがあるから今から会えますか。」

と、同期で仲良くなった女性の先生から電話がありました。

何だかその切羽詰まった声色(こわいろ)にピンときて

「職場に行くね」と向かえに行くと、

車に乗り込んだ途端に彼女は、

「別れたい」というメールを彼からもらったと言って、

職場では泣けないとずっと我慢していたのでしょう…

堰(せき)を切ったように泣いて泣いて、

ずっと泣いていました。

結婚をするつもりだった彼からのメールでの急な別れに、

打ちのめされた彼女の様子を見て、

「わたしにいったい何ができるだろう。」

と思いました。

泣いている時に側にいたり、

お話しを聞いたりすることはできるけど、

色恋い話しはわたしでは役不足だし、

だけど、何か彼女を元気づけることがしたいし、

(力になりたいけど、なれない切なさよ…)と

少し遠い目になっていた時のことです。

艶っぽい女性の姿が思いうかびました。

そうだ!恋愛のことといえば、※錦(にしき)のママだ!

※錦とは…名古屋にある銀座みたいなところ

「錦のママに逢いに、錦に飲みに行こう!」

と、彼女を誘ってみました。

わたしの突拍子もない申し出に、

「行く」と言った彼女と、

ちょうどその頃、

彼女がとても仲良くしている

お友達も彼氏にふられたと聞き、

そのお友達も誘って3人で行くことにしました。

まこちゃん(夫)に、

「錦に行くときには何したらいいの?

錦で社長価格だとまいるなぁ。いくらくらいするの?」

とあれこれ聞くと、

「事前にママに連絡して、正直に伝えるんだな。

後はママが判断するさ」

と教えてもらい、ドキドキしながら錦のママに連絡しました。

「失恋したての女子2人を連れて3人で行きたいのですが、

3人とも小学校の先生だから公務員価格でお願いできますか」

と正直に伝えると、

「あら~いいわよ♡いらしてね。うふふふふ。」

と艶(つや)感満載の声で快諾していただき、

いよいよ、錦に飲みに行くことになりました。

錦のママに会いに行く

錦の飲み会決行!の日は、

教員研修の帰り道で、

研修に提出しないといけない

レポートのコピーのことは

すっかり忘れていて、

何とか研修所でコピーして事なきを得たのに、

錦のママの店までの行き方を描いた

地図のコピーは大事をとって2部持参という

念の入れようでした。

錦で飲むのは「生まれて初めて!」という女子2人をつれて、

錦のママのお店に行くと、

ママ自ら(みずから)がカウンターでお相手…

ママから、

「男はね、初めて~♡って言ってくすぐるのが大事なのよ。」

とか、

「男との会話はね、さしすせそで相づちすればいいのよ♡

さは、さすがです♡

しは、知らなかった♡

すは、素敵♡

せは、センス良いですね♡

そは、そうなんですね♡なのよ。」

などなど、錦のママからの2人へ人生レクチャーが始まりました。

2人は、ママからのレクチャーを

「錦も初めてだけど、こんな話しも初めて…」

と、聞きいっていました。

わたしも、昼間に受けた研修の内容は

今ではカケラも覚えていないけど、

夜、錦のママが話したことは

こうやって再現できるくらい覚えているのだから、

随分、楽しくて集中して聞いていたんだな…笑

転職して学校の先生になったわたしにとって

同期でもある2人はずっとずっと年下でした。

同期の人達の集まりに「みんな年下でちょっと中に入りにくいな」

という気持ちがあったからこそ、

同期の中で仲良くなった貴重な2人に

「ありがとう」の気持ちがあって、

その2人の楽しそうな様子に

何だかとても嬉しくなりました。

近くに座った社長が、2人を見て目を細め、

「ママ、彼女たちにシャンパンね」

とシャンパンをおごってくれました。

「あやお先生、私たちお酒飲めないんです。」

という2人の分まで、

わたしが3人分いただいて、

至極いい気分でその日はお開きとなりました。

錦のママのレクチャーは最後、

「あのね、結局テクニックじゃないのよ。

後で別れてもったいなかったって

男に思わせるぐらいのいい女になるのよ」

で、締められました。

錦のママからの請求書は、公務員価格どころか席料のみでした。

離婚して、子どもを育てるために錦で働き始め、

10年以上錦でママしている方の在り方って

やっぱりかっこいいな!と思い、

「錦のママに、すっごくお世話になった。」

と、まこちゃん(夫)に報告しました。

するとまこちゃん(夫)は、

後日、社長を連れて錦のママのところに行き

丁度いい塩梅(あんばい)になりました。

しばらくすると、

またお友だちから連絡がありました。

錦のママのところに一緒に行った時には、

元気になっていたのに

また泣いていました。

元彼が元彼女と寄りを戻し、

結婚することになったと聞いて、

ひどく落ち込んでいたのです。

しかも元彼は同じ職場………

その落ち込んだ様子に胸が痛みました。

(何かわたしにできることあるかな~)

と、再び遠い目になった時のことです。

ふと、「香港のお母さん」を思い出しました。

「香港のお母さん」とはある方から、

「ぼく、『香港のお母さん』と慕っている方がいるので、

香港に行くならご紹介します」

とご縁をいただき、5月に香港で出逢って、

大いに楽しく心地良くお酒を飲んだ方でした。

初めて出逢ったわたしに、

「あなた!気に入ったから、

7月にある浴衣パーティーにいらっしゃいよ。

旦那さんが忙しいなら、

一人でもいいからいらっしゃいよ」

と、誘っていただいていたことを、

ふと思い出したのです。

(失恋といえば旅だよね!)

とひらめき、

「ねえねえ、香港で浴衣パーティーがあるけど行く?」

と、聞いてみました。

「どんなパーティーですか?」

「ぜんぜん分からないんだけど、『香港のお母さん』に誘われたの。」

「『香港のお母さん』って、どなたですか。」

「う~ん、それもよく分からないけど、

一緒に飲むとすごく楽しくて何だか豪快な人」

という会話をした確か、その日の夜のことです…

「わたし、行きます!

何が何でも仕事を調整して香港に行きます」

と彼女から連絡がきて、香港行きが決定しました。

「香港のお母さん」をご紹介いただいた方にご連絡し、

そして、本当に何にもよく分からないまま、

浴衣パーティーに参加することになりました。

香港のお母さんの「浴衣パーティー」に参加する

「香港のお母さん」はわたしにとって、

香港で気持ちよく楽しく一緒に飲んだ方!という認識でしたが、

「浴衣パーティ-」の会場にいくと

どうも東南アジアと中国を統括する商社の代表(?)の

奥様が「香港のお母さん」らしく、

「香港のお母さん」の「浴衣パーティー」なるものは、

商社の社交の場でもありました。

「香港のお母さん」から軽く誘われたから、

わたしも軽くお友だちを誘って

「浴衣着て飲み会」ぐらいのノリで

参加することにしたのですが、

実際は、飾られた円卓や踊りの舞台までもが用意された

ホテルの大広間を借り切った

たいそう豪華なパーティーでした。

舞台前列1列目にある

「香港のお母さん」と同じ円卓に、

わたしと友だち2人分席が用意され、

キラキラとしたあめ玉のような大きな宝石を、

指にいくつも付けたマダムや紳士が座っていました。

その時のわたしの装いといえば…

日々仕事でバタバタの毎日で

何も用意する時間がなく、

出発前日の夜中にタンスの肥やしになっていた

10年ぶりぐらいの浴衣を取り出して、

しかも下駄(げた)を忘れたから靴を履くという

「浴衣に靴」のチグハグとした装い(よそおい)

しかも、ピンピンと先っちょがあちこちはねた髪の毛…

マダムと紳士と、なぜだかわたし…

写真に写ったそのコントラストといったら…

それなのに「香港のお母さん」は、

涼しい顔で気持ちよく受け入れて下さり、

浴衣パーティーが終わった後、

「せっかく香港にいらしたんだから、遊んで行きなさいね。」と

ご主人の部下を接待係としてつけてくれました。

香港採用の商社のイケメン達は、

日本を飛び出して、

「香港で一旗揚げる!」と気骨ある方々で、

話す内容は面白いし、

タクシーが止まれば扉をサっと開け、

グラスに水滴がつけばソッと拭き取り、

道を横切る時にはスッと車が来る方に

移動するジェントルマンっぷり。

イケメン達から人生初接待を受けた友だちは、

あんなにしょんぼりしていたのが嘘のように

どんどんと元気を取り戻し、

「香港のお母さん」をご紹介下さった方も

その時に香港にいてご一緒し、

とことん遊んで楽しんで、

帰国するときには、

「わたし、教員の狭い世界しか知らなかった。

こんな世界もあるんですね。

世界って本当に広いんですね。

あーーーーーーーーーーー!!!!

あんな男と別れてせいせいします!!!!!

もっともっといい人にわたし出逢いますから!」

と高らかに宣言したのです。

彼女の世界の中心にいた「元彼」がはじき飛ばされて、

彼女の世界の中心に彼女が戻った瞬間でした。

帰国後、彼女は宣言した通り、

彼女をとても大切に想う人と出会い、結婚し、

待望の赤ちゃんを連れて、

我が家に遊びに来てくれました。

「別れた時は、人生どん底で

一生彼のことは許さない!と思ったけど、

今では彼に会っても

もう何にも思わないし、

心が波立たないんです」

と、伝えてくれました。

赤ちゃんが生まれるまでに、

悲しい出来事もあって、

それもくぐり抜けて

お母さんになった彼女…

彼女の旦那さんは、

彼女のことを本当に大切にしていて、

海外に単身赴任する時には、

「しばらく彼女一人になりますが、

いろいろ頑張りすぎちゃう彼女なので、

何かの際にはどうぞよろしくお願いします」

と、わたしに言ってみえたことを、

彼女は多分知りません。

うっとりとする瞬間

そして、先日…

「香港のお母さん」が日本に帰国されたと聞き、

約5年ぶりの再会を果たしました。

「香港のお母さん」からしたら、

たった1度逢っただけの

わたしのお友達のことなのに、

「あの時にご一緒した友だちは、

香港の旅ですごく気持ちが変わって、

今はご結婚されてお子さんもいるんですよ」

と伝えたら、自分のことのようにすごく喜んでみえました。

そして、日本での再会を果たした1週間後…

「香港のお母さん」をご紹介いただいた方を介して

「香港のお母さん」から1枚の作品が届けられました。

その精密さと美しさに、

写真かと見間違えてしまいそうになる

こちらの作品

こちらの作品、目をこらしてみると手刺繍なのです。

作品が届いた夜

失恋して泣いて泣いて泣いていたお友だちが

「行く!」と決めて行動した後に展開した「今」と

錦のママや「香港のお母さん」の分かち合って下さった

優しさをつらつらと思い出し

作品を眺めながら、日本酒を飲む…

何とも、うっとりとする瞬間でした。

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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