ペンギン先生の実践

ゆるすこととゆるされること~「盗った・盗られた」を、愛に変えた子どものお話し~

何かやらかしちゃうのが子どもの姿です。
「人のものは盗ってはいけません」と伝えていても
「物を盗った・盗られた」が起きることは、
私が経験した学校生活では、日常の一コマでした。

「盗った・盗られた」に何件も関わった経験から、

「盗った」とされる子どもの心を傷つけることなくどう聞いたらいいのか、

「盗った」ことを認めて謝った子どもを周りの子ども達からどう守るか、

そして、子どもが「盗った」事実を親にどう伝えるかに配慮が必要でした。

クラスの現状、友達関係、親子関係…

ベストのベストは何かを考えて対応しても、

上手くいくこともあれば、いかないこともあり、

智恵の大家のような先生に相談すると、

新しい視点を得て視野が広がることもあれば、

どこまで考えもその時の「My Best」で

正しい答えはない対応に苦慮するからか、

「自分のクラスでは絶対に起きません」

と言い切る(ことにして逃げている)先生もいました。

わたしは、「正直に言ったことは叱らないよ、約束」

と子ども達に言い、約束したことは守ろうと努めたがために、

子ども達から「言いたいことがあるの」

と告白されることがよくありました。

ずっと隠しておくことも子どもの心には負担なんですね‥

「繰り返し盗ってる」告白を子どもから聞いた時には、

3年越しの年期の入った「盗った・盗られた」対応など、

有り難い遺産を受け継ぐ貴重な経験を何度もしました。
(卒業式の呼びかけ風に)

おかげさまで 隠さずに 見ないふりせずに あるままに

対応することの大切さを学びました。

子どもが物を盗った事実を親に伝えると、

謝る親、泣く親、悲しむ親、怒り出す親、認めない親

感情に翻弄された親の反応は様々でした。

親の感情の嵐を被って、八つ当たりされることだってあります。

だけど、子どもからの訴えを「なかったこと」にせずに、

1つ1つコツコツと対応したことで、

今振り返ると、「子ども心」に触れて感じて気がついて

随分深く学ぶ機会になりました。

子ども達から私へのギフトだなと思います。

今回はその中から2つ…

1つ目

クラスの友達の筆箱を盗った子がいました。

学校に来たお母さんは、

「筆箱を盗るなんて恥ずかし事をして!もうその子の親には会えないじゃないの!」

と世間体を気にして子どもを怒鳴り、

うなだれて、手をぎゅっとしていた子どもが、

お母さんと目を合わせようとしない様子から、

「何かがおかしい‥」と

心のすれ違いを感じた1週間後のことです…

その子はお店に行き、

友達がいるところで(わざわざ)お菓子を万引きし、

すぐに見つかり、すぐに盗ったことを認め、

お母さんと子どもそれぞれじっくりとお話しを聴く機会となりました。

お話しを聴いてみると、

お母さん視点からだと、素直でよく出来る姉と手のかかる妹で、

こんなにも世話をしているのになぜ?

子ども視点からだと、お姉ちゃんはいつも褒められ、

「姉のように勉強しなさい」「どうしてお姉ちゃんみたいにできないの」

と比べられることが嫌で、その頃は、

お母さんと全くお話しをしなくなっていました。

お母さんからすると、精一杯子どもを世話してきたのになぜ?

子どもからすると、「認められないさびしさ」から「困った」行動を繰り返す。

その時の、2人の関係性は絡まった糸のようでした。

糸が絡まっているときには、無理にひっぱると切れてしまうので、

絡まりを解きほどくことが大切な時でした。

大人の目に見えるのは子どもの「困った」行動ですが、

目には見えない「今、実は困っている」寂しさを抱えた子どもの心に

意識を向けることが盗る行動をやめる本当の意味での糸口となりました。

2つ目
3年生を担任していた時の頃です。

「鉛筆がなくなった。おばあちゃんにお誕生日に買ってもらった鉛筆がなくなったの。大切な鉛筆なの」

と女の子が言いに来て泣きました。

手をつないで鉛筆を一緒に探しても見つかりませんでした。

それから数日後、同じクラスのA子ちゃんが鉛筆を盗ったことを認めました。

このような時にどう子どもにどう対応したらいいのかを悩みます。

悩んだ末に得た解は、

学校は警察でもなく、裁判所でもないのだから、

「犯人」を見つけて罰する場ではない。

体験を通して共に学び、共に成長する場だから、

この経験を通して何を子どもが学ぶのかを大切にしようと考えました。

放課の時間にA子ちゃんと女の子と私3人だけになり、

私は2人を見守っていました。

A子ちゃんが鉛筆をもって、

「鉛筆が可愛かったから欲しくなって筆箱からとりました。ごめんなさい」

と言って、鉛筆を返した時です。鉛筆を返された女の子が

「分かったから、もういいよ」と言ったのです。

私は、

「鉛筆がなくなった時に、おばあちゃんがお誕生日に買ってくれた

大切な鉛筆がなくなったと言って泣いていたよね。

本当に、分かったからもういいの?」と聞くと、

「A子ちゃんは、嘘をつかずに正直に言ってくれた。

正直に言うのは勇気がいるから、A子ちゃんはすごいと思うし、

ずっとお友達でいたい」と、応えたのです。

その時、A子ちゃんの目から大粒の涙がぽたん、ぽたんと落ちました。

私は、「ああ、A子ちゃんのこの涙は温かなナミダだな」と感じました。

温かなナミダというのはA子ちゃんのようにゆるされたことで、

心に優しさと思いやりが広がることを促すナミダのことです。

「物を盗った・盗られた」という一見2人の関係が崩れてもおかしくない出来事が、

子どものゆるす心で愛を広げる体験に変わる奇跡の瞬間に、共にいることができました。

ゆるした子もゆるされた子も、どちらのいのちもキラリと輝くのを感じました。

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Photo by Emmy

 

ABOUT ME
ペンギン先生
ペンギン先生 愛知県在住。元小学校教員。 学級崩壊のクラスを受け持ち、「面倒くさいし」「やりたくないし」「出来ないし」という子ども集団を目の前にして、「何とかしたい」「道を拓きたい」と懸命に試みていたあの頃の私を思い出しながら書いています。 自己肯定感の低い子ども達や家族の心の闇に直面し、「子ども達一人ひとりに、必ず1つは『天才のたね』がある!」「温かな家族のようなクラスにしたい!」という想いを心の灯火に、試行錯誤しながらも課題に1つ1つ取り組み、全国平均76%よりも低かった子ども達の自己肯定感が担任していたクラスでは97%へと向上しました。 このブログを通じて、子供達の可能性を信じる気持ちが波紋のように大人たちに広がることを願っています。

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